ようこそ、偽アカシアへ。
こちらは私、朝斗の今までの作品展示室となっております。
過去作品から随時追加予定です。
同じものを掲載していますが、若干の推敲をしている場合もあります。
詳しくは『はじめに』をご一読ください。
終わらせてはいけない。
綱渡りの、そのゲーム。
デジャヴ・ゲーム
それは、いつでも唐突にやってくる。
直前までは何も無いのだ。それなのに、ある瞬間が近付くと、途端に思い出す。
これから起こることを。
窓の外に目をやってから、ふと、このアングルに覚えがあると気がつく。
遠くの雲を目で追ってから、また黒板に目を戻して。授業は数学。xやyが並んでいる。それから、隣の席の男子が目に入る。
――ということは、次はきっと私が当てられる。
「では、次の問いを吉岡さん」
ほら、来た。
そして残念ながら、私が覚えているのはここまで。
今回も無事、私の勝ち。
日常生活の中、既視感を覚える瞬間が訪れる。
デジャヴというやつだ。経験のないことのはずなのに、「あれ、これ前にもあった」と感じるというアレ。
例えばさっきの、遠くの雲を見てから黒板に目を戻し、私が当てられて返事をする、というワンシーン。私の場合、同じ瞬間を夢の中で見たような気がする。
大概は、どうでもいい日常のシーンであることが多い。
どうせなら、数学の答えが分かるとか、そっちのほうがいいのに。デジャヴもいまいち役には立たない。
変則的にやってくるデジャヴ。その殆どは、意識せずにやり過ごせる。
何も考えなくても体が夢通りに行動してくれる。
しかし最近は、それが曖昧だったり、『セリフ』が思い出せなかったりが多くなっている。自分がこの瞬間、何をするのが正しいのか。何を言えば夢と一緒なのか。
それを必死に思い出さなければいけないことがある。
多いのは、自分の台詞が曖昧なこと。
無難にやり過ごすゲームの中で、ふと頭の片隅を過ぎる。
もし夢と同じことを言わなかった場合、どうなるんだろう。
ううん、考えすぎに決まってる。
これは私の一人遊び。間違ったって、どうせ何も起こらない。
私が残念に思うだけ。
「今日は何食べよう。ランチは何が出てるかな?」
財布を握りしめて、楽しくお喋りしながら廊下を横切る。
瑞希が待ちきれないといった風に、財布の中を覗き込んだ。小銭の有無を確認しながら、階段に足をかける。
あ。これ、夢で見た。目がこっちに移って、こう考えて…そして…確か。
「未依知ってる?そういえばさ、隣のクラスの里村さん、うちのクラスの男子と付き合ってるらしいよ」
「ええ?誰?」
どうやら今日のゲームの合図は、瑞希の『セリフ』。
そして次の瞬間、不安が過ぎる。
「でもその組み合わせ、おかしいでしょ?」
「うん…そうだよねぇ。里村さんってもっと賑やかな人が…」
あれ…何て言ったかな…私…
会話の続きが上手く思い出せない。瑞希とのお喋りで、私はこの次にどう応えればいいのか分からない。
『そうじゃないからね』?『そうじゃないもんね』?
それは本当に些細な違い。いや、何か違う気がする。どっちが正しい?
微妙な違いでも、この『ゲーム』では命取りになるのだから。
二人で手を繋いで、さっき歩いてきた道を引き返す。遠くからでも商店街から神社までの通りの、ぼんやりと連なる提灯が見えた。蛍とはまた違う、幻想的な光だった。
「そろそろ帰らなきゃ。ボク達のほうもお祭りが始まるから」
再び神社に帰ってきたところで、男の子が言った。
「そうなの? 残念だね、これから河原で花火もあがるんだよ」
「うん、でも、遅れないようにしなきゃいけないから」
そういいながらも、彼は名残惜しそうだった。
ありがとう、と告げて歩き出し、少し行っては振り返り、僕にひらひらと手を振った。
「じゃあね、お兄ちゃん」
僕も答えて手を振った。
「ああ、じゃあね。気をつけて」
少年は石段をおりて、パタパタと駆けていった。転ぶなよ、とその後姿を笑いながら見送る。ああ、名前を聞きそびれた。それに、こんな暗い道、ひとりで帰すべきじゃなかったな。
境内の上からは、田舎の風景が一望できた。彼はどうやら、山の方に向かって帰って行ったらしい。その足取りに迷いは見られなかった。
僕はふと、祭りの喧騒を振り返った。
祭囃子の音は。体の奥に浸透して、静かに僕を沸き立たせる。
人の波の中にいて、突然泣きたくなった。
夏が、全てを置き去りにしていくのだ。
――夏が終わったら、僕も帰ろう。
大丈夫、この優しさと暖かさを持ち帰れば、向こうでもまたやっていけるさ。
だって、僕には故郷があるのだから。
浴衣姿の少年が夜闇の中を駆けていた。
祭囃子ももう遠い、そこは山裾の草原だった。
彼は湖の側に何かの姿を見て、さらに速度を上げる。
「遅かったわねぇ」
草の間を走り下りる彼に、誰かが声をかけた。 少年はその声の主を見つけて嬉しそうに微笑んだ。
「ごめんなさい、おかあさん」
けれど、そこに人間の姿は一つもなかった。居るのは、山に住まう沢山の動物。
「もう始まるわ」
いつの間にか、少年の姿は野原から消えていた。その代わり、少年がさっきまで立っていた場所に一匹の子ギツネが現れた。
それからいくらもしないうちに草原じゅうに青い光が灯された。
蛍にも似た儚い輝きは、湖の中にも反射してきらきらと揺らめいた。
「きれいだね」
「やっぱり、夏を送るならこうでなくちゃ」
「でもね、にんげんのお祭りも楽しかったよ」
煌々ときらめく碧の炎。
蛍よりも鮮やかで、儚く。
星よりも眩しくて、切なく。
炎よりも優雅で、温かい。
無数のともしびが、夜の草原を埋め尽くした。
キツネの夏祭りだった。
完
Back
「そうか、よかった」
満面の笑みで少年は綿飴に齧り付いた。それを見て僕も笑う。
今でも覚えてる。初めて連れて行ってもらったお祭りでも、一番に買ってもらったのが綿菓子だった。
なんとなく、幼い頃の自分を見ている気分になった。
「お兄ちゃん、見ない顔だね。ここのひと?」
彼は改めて僕を見ると、そう尋ねてきた。
「昔はね。今は、違うところで住んでるんだ」
「どうして?」
少年は細い首を傾げてみせた。
「だってここ、いいところじゃない。空気もきれいだし、住みやすいよ?」
僕は面食らった。まさかこんな子供から『住みやすい』なんて言葉を聞くとは思わなかったからだ。
「そうだね。どうしてだろう」
苦笑するしかなかった。
本当に、どうしてだろうか。この子の言う通り、ここはとても良い場所なのに。
「多分、昔は何かを勘違いしていたんだよ」
そう。この場所を『寂れた田舎』だと勘違いして、都会へ飛び出した。そこに行けば、何もかもが自由で、進んでいて、探していた『何か』を見つけられるのだ、と。
「じゃあ、今は?」
どこか心配そうに尋ねる彼に、僕は微笑んで見せた。
「今は大丈夫。もう間違ったりしないよ」
それから僕達は、お祭りを片端から楽しんだ。
少年は射的もリンゴ飴も初めてで、始終きゃあきゃあと楽しそうに笑っていた。
僕は惜しみなくそれらにお金を使った。昔は我慢するものもあったけれど、今はもう、そんな必要は無いからだ。
歩き疲れて、僕達は神社の石段に座って休んだ。
「ねえお兄ちゃん、ホタルって知ってる?」
僕の幻影はラムネビンを空にしながら突然尋ねてきた。
「え? ああ…小さい頃は良く見たなぁ」
「ホタルの光も、青白いってほんとう?」
「うん。すこし緑がかった青でね、川のあちこちで瞬くんだ。とても綺麗だよ」
蛍か。最後に見たのは中学校に上がった頃だったろう。もうずっと見ていない。そればかりか、今その名前を聞くまで『蛍』という存在すら忘れていた気がする。
僕は本当に、ここに忘れていったものが多すぎる。
だったら、と少年は立ち上がった。
「ボク、この近くの川で見れるってお母さんに聞いたんだけど、見にいかない?」
神社とその川までは、本当に近かった。神社の裏手から降りて、田んぼ沿いに少し歩いたところにその川はあった。
川というよりは、田園の用水路だった。草を掻き分けて進んでいく。
そして見た。
その静かな流れの上に、無数の光が舞っていた。
蛍だった。
音もなく、光の尾を引いて、暗闇を彩る。
「わぁ…」
少年は感極まったような声を上げた。両手を広げて、まるでその光の帯を捕まえるかのような仕草をした。
同じように、僕も心の中で感嘆の声を洩らす。
夜空に弧を描いて、幽かな灯が行き交っていた。
声を出せないほどに綺麗だった。
何千、というのは少し大袈裟かもしれない。でも、その時の僕には確かにそれほどの輝きに感じたのだ。
少年の指先に、一匹の蛍がとまった。
儚いと思った光は、彼の顔を力強く照らした。