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むせ返るような芳香、甘い蜜。蝶のような優雅さで。 そのカラダに鋭い棘を隠して。
はじめに

ようこそ、偽アカシアへ。
こちらは私、朝斗の今までの作品展示室となっております。

過去作品から随時追加予定です。
同じものを掲載していますが、若干の推敲をしている場合もあります。
詳しくは『はじめに』をご一読ください。
2008.5.6 Asato.S
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 世界の揺らぎは遠かった。
 砂の上に寝そべって、ヘッドフォンで耳を塞いで。
 目の前に広がる深い青の中を、雲がゆっくり流れていく。足元の海よりずっと青かった。

 初夏の思い掛けない晴天模様。背中に、一身に大地の暖かさを受け止める。蓄積された太陽光が、じわじわと砂から滲んでくる。
 その上に溶け出すように、意識が揺れる。夢の入り口はどこだ?目を閉じていても、太陽の偉大さは目蓋を貫いた。
 心地良い海の風。お気に入りのバンドの、揺蕩(たゆた)う海を歌う曲。広い砂浜で、音楽で満ちたこの世界が自分だけの場所。
 そこに、少女の声が割って入る。

「またこんな所で寝てる」

 俺は夢の扉を閉じて、砂浜の上に戻った。目の前には、からかい笑みの夕梨亜の顔。彼女は俺の顔を覗き込むようにして、隣に座っていた。その長い髪が頬をくすぐる。見るとあちこち砂まみれだ。どうやら随分頑張って探索してきたらしい。

「折角海に来てるんだから、海を見ればいいのに」

「見なくても感じ取ってんだよ」

 海開きにはまだ早い、6月のある日。梅雨空の合間から覗いた晴れマークに誘われて、二人で海に来ていた。電車で40分ばかりの、ちょっとした遠出。
 非現実。決して日常とは混じることのない、幻想世界。たまの休みにしか来ない、生活圏からの丁度良い遠さ。それが魅力的だった。
 
 ヘッドフォンを外すと、あっという間に潮騒が耳に戻って来た。
 ざざぁ。ざざぁ。
 打ち寄せては、遠ざかる。攻め入っては、気弱に引く。その延々とした繰り返し。
 
 
「波の音って、聴いてると落込むだろ」

 寝転んだままで、海を見つめる。するとクスリと笑う気配がして、

「また始まった。キミの少女趣味」
「ロマンチストと言ってくれ」

 茶化すような物言いはいつものこと。気心が知れた同士の、昔から繰り返される言葉遊び。それこそ、義務教育の頃からの。

「海にいると、自分の無力さが身に沁みるよ。世界に比べて、俺はこんなに小さい」

 水平線の少し手前を船が行く。
 その上を、もう夏と勘違いしたような積乱雲が、もくもくと膨らんでいる。

「アリス症候群?」
「違うって」

 『自分を小さく感じる』という場所に反応して、とんでもないことを言う。まさか俺だって、そこまでお伽話じみてはいない。
 ありきたりなのは分かってる。この青い星の上に居て、なんと自分の小さなことか。
 くだらない悩み、些細な不安。狭い世界の中で、それを許すことの出来ない、更に小さな自分。
 夏の空は好きだ。騒々しい海水浴場は好きだ。けれど、ひとけのないこの砂浜は、輝いていてもどこか心許無い。夏の賑やかさはまだ遠い。静かだと、憂鬱なイメージが波と共に広がっていく。寄せては返す、えも言われぬ想い。

 ふうん。と夕梨亜が相槌を打った後の、短い静寂。
 ざざぁ。ざざぁ。
 打ち寄せる、言葉にならない心細さ。涙も滲まない空虚感。

 それでも空は鮮やかで。

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 エレベーターの扉が開いた。
 同時に声が少女を迎える。

「お帰りなさいませ」

 聞きなれた執事の声。アンジェリアは緋毛氈の廊下を歩き、執務室へ入った。そのまま中央に据え置かれた机へ向かう。
 紺碧のドレスに映えた、金の髪、蒼の瞳。陶磁器のような透き通った肌が美しい、女性と呼ぶには早すぎるその少女。
「紅茶を」
 革張りのチェアに座ると、すぐにティーセットが用意された。執事は彼女に長年仕える初老の男で、手際良く茶器を並べる。

 
「本日はいかがでしたか」
「駄目よ。話にならないわ」
 穏やかな執事の声。
 アンジェリアは苦虫を噛んだような顔で、苛々と語った。
「誰も皆、自分の欲ばかり。いっそ清々しいくらいよ。特にあの男、アディントン家の嫡子様」
 闇社会で顔が訊くと噂される男の顔を思い出して眉をひそめる。

「まだうら若きハーヴェイ子女には荷が重過ぎましょう、ですって。私の代わりに経営を取り仕切ってくれるそうよ。手際の良いことに出所の知れぬ書類まで揃えて」

「それは困りますね。早急に手を考えなければ」
 興奮さめやらぬ様子に苦笑を浮かべる執事。主人が息をついたその絶妙のタイミングでミルクティーを差し出す。途端にアンジェリアの表情が緩む。

「良い香りね。今日はウヴァ?」
 見上げてくる蒼の瞳に、こくりと頷く。
「アンジェリア様の御心身が共に心配です。あまり無理はなさいませんよう」
「ありがとうユリエル。でも私は大丈夫よ」

 名を呼ばれ、執事は主人の顔を見つめた。

「家も土地も会社も。お爺様の残してくださった財産(モノ)だもの。何があっても守り抜いてみせるわ」

 それは若干17歳の少女とは思えない凛々しい顔つきだった。泣き虫だった幼子の面影はなく、まさにハーヴェイ家当主としての表情をしていた。
 ユリエルにはそれが誇らしくもあり、淋しくもあった。


 彼は微笑んで、白髪の混じり始めた頭を丁寧に下げた。それから一通の封筒を取り出した。
 
「ところでお嬢様。本日は晩餐会への招待状を受け取っております」
「へぇ、どちらから?」
「アディントン卿のご招待です」

 ティーカップを口許に運ぶその指が一瞬止まった。感慨深そうに目を細める。


「…そう…あの男が」

「いかがいたしますか」

「いいわ。伺いましょう」

 曇り空から目を放し、振り返る。ためらいも無く頷いて。


「これだけお世話になったんですもの。相応のお礼はさせていただかなければね」

 そう言って、妖艶さを秘めて嗤う。
 執事は軽く微笑み、改めて頭を下げた。

「Yes,my lady」

 つまり、
 はい。ご主人様、と。

End.

  後書

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 エレベーターの扉が開いた。

 僕は誰もいないその箱に、晴れやかな心で乗り込んだ。
 行き先のボタンを押す。すぐに扉が閉まって、エレベーターは昇って行く。

 そう、答えは出たんだ。酷く簡単で、酷く呆気ない答えが。だから僕の心はこんなにも軽い。

 僕は彼女に会いに行く。

 あんな形で別れることになってしまった僕と彼女。心が潰れるんじゃないかというくらいに泣いて泣いて、誰にも会わずに部屋に籠った。

 昼も夜も分からなかった。
 自分が誰かも見失っていた。

 傷ついて、可哀想で、
 淋しくて、絶望に包まれて。

 けれどユウヤに、食事も口にしない僕を見た彼に、死ぬ気か、それでいいのかと、殴られた瞬間気がついた。
 これでは駄目なのだと。
 だから僕は会いに行くんだ。何も言わずに別れたままの彼女に。


 4階。
 幸運なことに、どの階でも人一人乗って来ない。当たり前か、こんな深夜に出歩く人間なんていやしない。

 彼女はちゃんと迎えてくれるだろうか?
 大丈夫、きっと分かってくれるさ。
 最初は怒られるかもしれない。でも彼女も、独りで心細いに違いないから。

 ジーンズのポケットに手を突っ込んで、彼女に貰った懐中時計がないことに気がついた。
 家から確実に持って来たのだから、落としたならおそらく入口前で携帯を取り出した時だろう。それなら大丈夫、すぐに降りるから見つかるはずだ。それにそのほうが、壊れずに済んでいいかもしれない。


 9階。ここが彼女の部屋の階。
 けれど僕は降りなかった。彼女がそこにいないことだけは、ちゃんと理解していたから。

 エレベーターはどんどん上昇していく。
 それにあわせて、僕の思考もどんどん澄んでいく。

 彼女に会ったら、一体何を話そう。
 キミが居なくなってどれだけ淋しかったとか、キミの式にたくさんの人が集まったこととか、話すことはいくつもある。
 そしてもうすぐ来るはずだった、二人の記念日を祝おう。

 思い出されるのは、太陽のような彼女の笑顔。

 いつの間にか涙が流れていた。
 こんなにも気持ちが空っぽなのに、心の奥が痛いのは何故だろう。


 ポーン。
 デジタル表記が最上階を示した。
 なんのためらいも無くエレベーターの扉が開いた。

 僕は彼女の好きだった歌を口ずさみながら外へ出た。



 待っていて、サトカ。今行くから。
 すぐに追いかけるから。

 

 屋上の風は寒かった。


 歩き出した僕の背後で、扉は静かに閉ざされた。
 
 
End.

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Welcome
冬に包まれる季節。
詳しくはFirstを参照ください。
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