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むせ返るような芳香、甘い蜜。蝶のような優雅さで。 そのカラダに鋭い棘を隠して。
はじめに

ようこそ、偽アカシアへ。
こちらは私、朝斗の今までの作品展示室となっております。

過去作品から随時追加予定です。
同じものを掲載していますが、若干の推敲をしている場合もあります。
詳しくは『はじめに』をご一読ください。
2008.5.6 Asato.S
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 それは、秋の終わり。そして冬の始まり。
 雲の上の街は、ひんやりとした空気に包まれていた。今年は、冬の到来が早いらしい。それは、辺りを見回すだけで明らかだった。世界は輝くほどに白さを増している。

「ジェイド、ジェイドっ!」

 朝日が昇ってすぐ。ジェイドが秋の司者の一人と話しているところに、カナリアが慌てたように彼の元へやってきた。

「これはこれは。春見習いのカナリアじゃないか。相変わらず元気そうだね」
 ジェイドと話していた、茶色の髪の女性が愉快そうに笑う。
「あ、スオウさん。おはようございます!」 
 カナリアは彼女にぺこりと頭を下げた。それから、二人の会話が終わるのも待ちきれず、いつもよりも白い雲を指さして叫ぶ。
 それは微細な硝子の破片が散りばめられたように、きらきらと陽光を反射していた。
「雲が冷たいの!」
 どうしてどうして? と、辺りを見回しては興奮ぎみに。その様子に、ジェイドとスオウは笑った。

「ああ…これは、雪だよ」
 そう、雲は一面、白銀に包まれているのである。

「ゆき?」
 初めて耳にするその単語を、少女は恐る恐る口にする。
 それから珍しそうに足元の雲を――正しくは雪を――すくい上げた。

「そう、雪。カナリアは春の生まれだから、見たことがないんだね?」
「まぁ、晩秋から降るってのは、私にとっても珍しいことだけどねぇ」

 季節はもう冬。
 それが、カナリアにとっての初めての『冬』だった。
 普通地上に降るはずの雪は雲の上にも積もっていた。ひやりと冷たくて、すぐ溶けては消える。陽光が照らして、キラキラと輝いている。雲と同じ色のそれを見て、カナリアは驚いたのである。

 こうして、見習いは少しずつ空を学んでゆく。春も夏も、秋も。とくにこの日本という領域は、四つある季節の細かな移り変りと美しさを心に刻んでいかなければならない。そして、ゆくゆくはその季節を守っていく。
 それもまた、空に住む者の使命である。

「スノーマンでも作ろうか」
 彼が口にしたそれは地上での雪遊びだった。勿論初めて聞くものだったが、カナリアは興味深々である。
 慣れない手つき、ぎこちない手際でせっせと雪球を転がす二人。
「二人とも、仲が良いねぇ。まるでジェイドまで子どもみたいだ」
「余計なお世話ですよ、スオウさん」
「スオウさんも一緒に作る?」
「いいや。私はここで見てるとするよ」

 そして地上時間にして数十分後。門の両端に大きな雪だるまが二つ、仲良く並ぶことになった。
 
 

 その日は朝から街じゅうが騒がしかった。
 どうやら、宮殿の方で何かあったらしい。秋と冬の司者達が騒いでいるのは、風のうわさとして門までも届いていた。

「どうしたのですか?」

 宮殿に出向いていた門番頭が帰ってきた。その傍らにスオウを連れている。ジェイドは少し険しい顔をした彼女に尋ねた。

「張り替えの途中で空が剥がれた。なんとか地上に落ちる前に回収は出来たらしい」
 季節の変わり目には、空を張り替えるという大きな作業がある。秋の空と冬の空で性質が違うのは、そのためだ。
 そんな重要な作業の途中。空の一部が外れたという訳である。

「被害は最小限で済んだよ。けれど」
 スオウは溜め息を一つついて、懐から何か丸いものを取り出した。
 それは薄く灰色がかっていて、ふかふかして柔らかい。そして微かに息づいているもの。
「こいつらの扱いは、門番の担当だろう?」

 まだ若い、一羽の鳥だった。
 しかし、様子がおかしい。外傷はないのに、虫の息だ。
 ジェイドはそれを見て息を呑む。理解したのである。

「剥がれた『空』にあたったんだ。羽根と、精神への損傷が大きい。もう駄目かもしれないね」

「どうするんですか」
 不安げに問うと、スオウは左右に首を振った。悲しそうに表情を曇らせて。

「どうもしないさ。ただ、自然に還るのを待つだけだ」

 おそらく、もういくらかしないうちにこの鳥の呼吸は消える。治療をしても、元のように回復はしないかもしれない。それをもう、この秋の使者も理解しているのである。

 しかし、それでも。目の前で命が消えていくのを、黙って見ていることは出来なかった。
 ジェイドはある決意を固める。
 
 彼は拳を強く握ると、スオウを見た。

「お願いがあります」

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「見てよ、あれ。まるでケーキみたいな雲だ」

 門番の仕事というものは、季節の変わり目以外は暇を持て余す。
 ジェイドは雲の上で、更に遠くに漂う雲を指さした。その隣で空見習いは首を傾げた。

「ケーキって?」
「空の下に住む『人間』の食べ物だよ。甘くてふわふわしていて、心の癒される食べ物だ」

 正式な司者ならともかく、空見習いは『地上』に降りたことがない。それどころか、雲の下のことを殆ど知らないだろう。

「ジェイドは食べたことあるの?」
 カナリアは門番を見上げる。ふわふわと、春の空と同色の明るい髪が揺れた。
「さすがに無いなぁ。僕の仕事は門を守ることだから、あまりここから離れたことがないんだ」
 門番は、門を離れてはいけない。それにしても、彼は他の司者達よりも地上のことを良く知っていた。
「あなたって物知りなのね」
「いつも空の下を眺めているからね。カナリアは好奇心が旺盛だね」
 少女は門番を羨望の眼差しで見つめた。
「だって、ジェイドのおはなしって楽しいんだもの」
 いつもの温かい笑顔を向けるジェイド。つられる様にして幼い少女も微笑む。

「ねぇ、もっと話して?もっと教えて。『地上』のこと」

 翡翠色を見上げる少女の顔は、期待でいっぱいだった。



「カナリア」
「あ。ハル!」
 暫くして、宮殿の方からハルがやって来た。そろそろ宮殿に戻る時間なのだ。
 それを見てカナリアは門の側を離れた。

「また来てもいい? ジェイド」
「ああ。暇なときはおいで。いつでも待ってるから」

 手を振りながら小走りに去っていくカナリアに、門番も手を振り返した。
 そして、門の前には二人の青年だけが残った。

「すっかりお前になついてしまったな」

 友人に遠慮することも無く、ハルは溜め息をついた。
 彼の顔はどちらかというと中性的だ。後ろで束ねた若葉色の所為で、憂えた女性のようにも見える。
 一方のジェイドは、安穏とした風情で少女の後姿を見送っていた。

「迷惑じゃないから構わないよ」
 その暢気な微笑みを、きっ、とねめつける。
「妙な入れ知恵をしていないだろうな?」
「していないよ。ただ、空の下の話をしただけさ」
 首を竦める彼を、冷ややかな目で見るハル。そこには少なからず疑いの色も混じっている。
「…この前、カナリアが『車』の話をしてくれた。しかし、俺の知っている『車』は空を飛ばないはずだが」
「それはまぁ、話が盛り上がって」

 ジェイドは冷たい視線を受け流し、遥か遠くの空の様子を伺う振りをした。
 弁解しないということはつまり、そういうことなのである。
 その表情を見て、思わず拳が震える。

「お前…ウチのカナリアになんて嘘をっ!」

 抑えていた感情の針が振れる。思わず大声を上げるハルを見て、ジェイドは何故か笑った。
 いつも冷静沈着な彼らしくない。そう、今のハルは、地上の言葉を借りるなら『人情味が溢れる』とでも言おうか。何事にも無関心、無頓着かと思えば、こういうところで急に熱くなる。勿論、厳密には『人』ではないのだけれど。

「すっかり父か兄気分な訳だ、ハルは」
 彼は彼なりに、後輩を愛しむ感情が備わっているらしい。
 カナリアを大事にしているのは、彼の言動からもひしひしと伝わってくる。

「大丈夫だよ。騙して取って食いやしない」
「お前の大丈夫は世界一信用ならないんだ!」

 妙な太鼓判を押されて、ジェイドは困ったように笑った。



 ハルが宮殿に戻った後。ジェイドは一人、門の外で空を見ていた。
 萌芽の香りを運ぶ風は、彼の碧色の髪を揺らした。

 あと数年もすれば、この空を管理する一人として、カナリアも空に出るようになるだろう。
 彼女の可愛らしい笑顔が、頭を過ぎった。今は見習いでも、少しずつ仕事を覚えて、その量も増えていくのだ。
 そして、一人前の司者へと成長する。彼には、それが楽しみだった。

 もう春も終盤。
 地上の木々が青々と茂ったら、『春』は季節を引き継いで帰ってゆく。しかし、カナリアは残るだろう。
 彼女は将来、春と夏の司者となる。春空から連れて来られた見習いだが、他の季節専属の司者とは違い、サポート役は季節が終わってもこの空の宮殿に残ると決まっている。ここの、空の街の住人となるのだ。
 もう、彼女が故郷に帰ることは叶わないのだ。ジェイドと同じに。


 最初のうちは淋しいだろうか。
 その淋しさを紛らわす相手になってあげられれば、と彼は想っていた。

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 それは、この大地の出来事ではなく、遥か天上にある空の街の話。

 雲上に隠されたその街の入口には、大きな門がある。出るのは自由な街だが、入るにはその門をくぐる他に方法はない。
 ある年、新たな門番が役職に就いた。鮮やかな翡翠色の髪と瞳を持つ青年である。

「さて…今日もいい空だなぁ」
 人間界の尺度で言うと見た目18~9歳の彼は、数年の見習い期間を経て、今季から正式にこの門を守る門番になった。

 彼の名をジェイド。
 その髪と瞳に相応しい、宝石の名を持つ青年だ。
 
 
 中央に純白の宮殿を据えたその街は、空を司る場所。
 雨を降らせ、雲を流し、風を吹かせ、陽光を照らす。滞りなく季節を廻らすのが、街に住まう者の役目。

「しっかり仕事してるみたいだな」

 ジェイドが鳥の数の確認をしていると、宮殿の方から一人の青年がやってきて、彼に声をかけた。
「ハル!もう冬からの引継ぎは終わったのかい」
 若葉色の髪を後ろで束ねたその青年は、ハル。春を司る者の一人で、ジェイドの昔からの友人でもある。
 ハルは呆れたように彼を見た。
「数日前にな。『冬』が帰るところを見なかったのか?」
「ああそういえば、冬の鳥も残らず返っていたかな」
 ジェイドは、門の鍵となる『鳥』達が既に飛び去った後だったのを思い出した。彼の暢気さに溜め息をつく春の司者。
「お前はイマイチ詰めが甘い」

 ふと、ハルの背後で紺色の何かがひらひらと動いた。
 それに目をやって、ジェイドが尋ねる。

「その子は…?」

 馴染みの春の司者の後ろに、小さな少女が隠れていた。空色のゆるいウェーブ髪とカナリア色の瞳。揺れていた紺色は、彼女が纏っていたワンピースの色だった。幼い少女は、人間で言う所の10歳前後といったところか。

「空の見習いだ。将来は春夏のサポートの役目に就く」
「で、キミが世話係というわけか」
 ハルは背後から少女を引っ張り出して、ジェイドに紹介した。
「綺麗な瞳だね。鮮やかなカナリア色だ」
 空見習いの少女は、目の前に立つ門番を見て緊張したまま動かない。そんな彼女にジェイドはにこりと笑いかける。

「ほら、挨拶は?」
 それでも黙ったままの少女を、ハルが促した。すると、やっと小さな声が発せられる。

「…はじめまして…」

 大人しい少女を警戒させないよう、ジェイドは目線を合わせ、優しく笑いかけた。
 するとやっと、少女もはにかむ様に微笑んだのだ。

「初めまして。僕は門番のジェイドだよ。君の名前は?」
 
「…カナリア」

 
 新米の門番と、小さな空の司者。
 それが、二人の出会いだった。

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冬に包まれる季節。
詳しくはFirstを参照ください。
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