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むせ返るような芳香、甘い蜜。蝶のような優雅さで。 そのカラダに鋭い棘を隠して。
はじめに

ようこそ、偽アカシアへ。
こちらは私、朝斗の今までの作品展示室となっております。

過去作品から随時追加予定です。
同じものを掲載していますが、若干の推敲をしている場合もあります。
詳しくは『はじめに』をご一読ください。
2008.5.6 Asato.S
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 その日は思う所あって、一階の座敷で仕事をしていた。

 じわじわと汗も滲む季節。
 普段ならじっと原稿用紙を睨んでいるのも嫌になる頃だが、今は良く手が進んでいる。
 それはひとえに、床の間の掛け軸のお陰でもある。
 滑らかに埋まっていく白い枡。ペンを走らせる青年の顔には、清清しい微笑さえ浮かんでいた。
 

 ふいに、澄ますでもない耳に、リィンと軽やかな音が届いた。
 思わず顔をあげる。まるで鈴生りに鳴る硝子の音。おそらく、どこか近所を歩いている風鈴売りの音だろう。
 それを聞いて、いつぞやのヒツジグサに思いを馳せる。
 
 手を休め、振り返って縁側に目を向ける。
 開け放した硝子戸の向こうには、こちらを覗き込むサルスベリの枝が見て取れた。上品な桃色の花が、入道雲と共に薄青の空を飾っている。

 ――今年も良く咲いてくれている。

 独り言ちると、満開の枝がさわさわと揺れた。
 側では一匹の犬が寝息を立てている。

 遠くで夕立を知らせる音が響いた。刹那、涼しげな風が吹き抜ける。
 その風が、床の間に飾った鬼灯を揺らしていった。
 

 ――成程、葡萄が生るにはまだ早いな。

 そう付け加えて微笑うと、青年は再びペンを握った。

 

梨木香歩『家守綺譚』を読み終えて

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「家族といえど、相互理解が大切ですよ。いくら家族でも、踏み入ってはいけない領域があるでしょう?…あなたの場合、少し深刻な気がしますわね」

――…そうですか?

 カウンセラーは「成程」となにやら頷いた。またボードにペンを走らせる。
 それから、ふいに手を止めて、

「まずは、夕飯のたびにおこぼれをねだるのをやめてみては?」

――え、でも。最近はそれが楽しみなんですけど…。

 そこまで言うと彼女は首を振った。
 そうして、じっと僕の目を見る。

「だいいち、あなたの体に良くありませんわ。人間の食べ物は味付けが濃いですから。私も最近塩分は控えめにしてますの」

――そうなんですか…それは知らなかった。
 え、でも。人間の食事ならどうして私の体に悪いんですか?同じ人間なら、問題がないはずじゃぁ?

 彼女は暫く考え込んだ。その間、次の言葉が発せられるのを黙って待つ。
 カウンセラーは、うーん、とボールペンを顎にあてて、

「あなた、鏡を見たことは?」

――最近は見てませんけど…。それがなにか?

 首を傾げると、彼女は取り繕うようにまた頷く。彼女の口から何か教えられるまで、固唾を呑んでその時を待った。
 
 それにしても、さっきから何やら妙な質問ばかり。どういう意味なのだろうか。

「じゃあ一度、見てみることをお勧めしますわ。最近多いんですのよ。自分が誰なのかいまひとつ分からなくなっているかたが」

 それは、つまり。僕にもその傾向があるということなのだろうか。
 自分が誰か分からない?そんなこと、あるはずはないのに。
 僕は僕だ。
 よく分からなくなって、ひたすら首を傾げるばかり。

「人間には尻尾やお髭や肉球はありませんのよ」

 僕は思わず、自分の右手を見る。
 掌に、ぐっと力を込めてみる。ぷにぷにの肉球。にょきりと生え揃った鋭い爪。艶やかな毛並み。

 これが一体、どうしたというのだろう。


「少し、お薬をお出ししましょう。マタタビと煮干では、どちらがお好き?」


 そう言って彼女は初めて、にこりと僕に笑いかけた。
 
 
End

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「はい。では、次のかたどうぞ」

 しずしずと部屋に入っていくと、中央に大きなテーブルがひとつ。その向こうに、白衣を着た女性が座っていた。日本人らしい艶やかな黒髪を後ろで束ね、細い銀の縁の眼鏡をかけていた。きっと、このひとがここのお医者さん。

――よろしくお願いします。

 彼女に向かい合うように空いた椅子がひとつ。
 僕は、薦められるままにその椅子に座った。

「あら、随分変わったお客様だこと」

――え、分かります?

 女性は暗い顔をしている僕を見て、手にしていたボードに何か書き込んだ。
 その手元は伺えなかった。

「分かりますよ。一目瞭然です。それで?今日はどんなご相談で?」

――実は。家族にあまり相手にして貰えなくて。

「あらまぁ、どうして?」

 彼女はただ淡々と問いかえしてきた。
 愛想笑いも、過剰な同情もしないその様子に好感を持った。だから安心して、胸の内を語る。

――さあ…私にはまったく心当たりが無いんです。
 昔はもっと皆優しくしてくれたんですよ?よくお喋りだってしたし。一緒に遊んだり、一緒に寝たりもしました。

――それなのに最近は食事の時間も別々で。話しかけてもあっちに行ってろだの、あとでにしてだの。つれないったら。
 昨日も怒られたばかりで。アレですかねぇ…雨降ってるのに外に飛び出して、泥だらけで帰ってきたのがまずかったですかねぇ。

「そんなことを?」

 僕の話を聞きながら、彼女はさらさらと何か書き加えていく。手元は見ずに、僕の顔を見つめている。
 随分手馴れているようだ。

――はい。でも、仕方なかったんです。カサも無かったし。ちょちょっと濡れないように走って帰ってきた、つもりだったんですけどねぇ。
 でもお詫びのつもりで出したお土産を、そのままゴミ箱に捨てることはないと思いません?私だって、せっかく喜んでもらおうと思ったのに。

――嫌われてるんですかねぇ。

 自信なく呟くと、彼女ははじめて彼女の意見を言った。

「それは無いと思いますよ。大丈夫」

 断言に近かった。
 もしかして、僕のような事例は少なくないのかもしれない。

――え?本当ですか?

 きっと皆、家族関係で悩んでいるのだろう。そう思っただけで、少し気が軽くなった。
 僕だけじゃないのだと。
 思わず、耳の裏をカリカリと擦る。


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冬に包まれる季節。
詳しくはFirstを参照ください。
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