むせ返るような芳香、甘い蜜。蝶のような優雅さで。 そのカラダに鋭い棘を隠して。
はじめに
ようこそ、偽アカシアへ。
こちらは私、朝斗の今までの作品展示室となっております。
過去作品から随時追加予定です。
同じものを掲載していますが、若干の推敲をしている場合もあります。
詳しくは『はじめに』をご一読ください。
2008.5.6 Asato.S
そのひとと出会ったのは、霧深い夜のことでした。
初秋の空に雲はなく、はるか上空ではおぼろに月が輝いていました。
本町通りの辻を曲がったはずなのに、いつの間にか私がいたのは見知らぬ草原でした。
瑞々しく濡れ染まった青草の原が、着物の裾を重くします。
その女性は、白い花の咲く木の下に立っていました。小さな五弁の花びら。どうやら蜜柑の花のようでした。
「おや、迷(まよ)い子かい」
彼女は、呆然と立ち尽くす私を見て言いました。
夜の闇、霧の闇の中で、漆黒の打掛姿。艶やかな黒は紛れることもなく、まるで彼女の存在だけが別の空間にあるかのようにはっきりと浮かび上がって見えました。
そして一際目を奪われたのは、その唇。林檎のように紅玉石(ルビー)のように血のように赤く紅く朱い唇が、妖艶に嗤いました。
「人間の仔だね」
その一言で、向かい合うその女性が、人ならぬものなのだと理解しました。
見ると、彼女の周りには白色の曼珠沙華が茂みのように咲いていました。まるで彼の岸のような危うい美しさを絶えず放っていました。
ふいに霧の夜が揺らぎました。白い闇の向こう、遠くで、鈴の鳴る音がします。笛の音色が聞こえます。どこか調子の外れた祭り囃子。
こんな夜更けに、と耳を澄ますと、そのお囃子はこちらに近付いて来ているような気がしました。
そわそわと辺りを伺う私に、女性が手招きしました。
「そこに居ては危ないよ。鬼に連れて行かれてしまうよ」
そう言って、私を打掛の後ろに隠しました。
間近に見る白の花。
ほのかに漂う蜜柑の甘酸っぱい香り。
私は打掛けの合間から、向こうを垣間見ました。
霧は数尺先で壁のように色濃く立ち込めていて、蜜柑の木を中心とした僅かの距離しか様子がはっきりしません。
それでも私は目を凝らしました。
霧の向こうで、大勢の何かが踊っています。けれど、何かがおかしい。
大小様々の影。大人と、それに雑じった子供たちのように思いましたが、それにしても大きすぎる影、もしくは犬よりも小さな影。何よりそれは、人の姿とはかけ離れている気もします。
声が聞こえない。
そう気がついたのは、その行列が見えなくなった後でした。
初秋の空に雲はなく、はるか上空ではおぼろに月が輝いていました。
本町通りの辻を曲がったはずなのに、いつの間にか私がいたのは見知らぬ草原でした。
瑞々しく濡れ染まった青草の原が、着物の裾を重くします。
その女性は、白い花の咲く木の下に立っていました。小さな五弁の花びら。どうやら蜜柑の花のようでした。
「おや、迷(まよ)い子かい」
彼女は、呆然と立ち尽くす私を見て言いました。
夜の闇、霧の闇の中で、漆黒の打掛姿。艶やかな黒は紛れることもなく、まるで彼女の存在だけが別の空間にあるかのようにはっきりと浮かび上がって見えました。
そして一際目を奪われたのは、その唇。林檎のように紅玉石(ルビー)のように血のように赤く紅く朱い唇が、妖艶に嗤いました。
「人間の仔だね」
その一言で、向かい合うその女性が、人ならぬものなのだと理解しました。
見ると、彼女の周りには白色の曼珠沙華が茂みのように咲いていました。まるで彼の岸のような危うい美しさを絶えず放っていました。
ふいに霧の夜が揺らぎました。白い闇の向こう、遠くで、鈴の鳴る音がします。笛の音色が聞こえます。どこか調子の外れた祭り囃子。
こんな夜更けに、と耳を澄ますと、そのお囃子はこちらに近付いて来ているような気がしました。
そわそわと辺りを伺う私に、女性が手招きしました。
「そこに居ては危ないよ。鬼に連れて行かれてしまうよ」
そう言って、私を打掛の後ろに隠しました。
間近に見る白の花。
ほのかに漂う蜜柑の甘酸っぱい香り。
私は打掛けの合間から、向こうを垣間見ました。
霧は数尺先で壁のように色濃く立ち込めていて、蜜柑の木を中心とした僅かの距離しか様子がはっきりしません。
それでも私は目を凝らしました。
霧の向こうで、大勢の何かが踊っています。けれど、何かがおかしい。
大小様々の影。大人と、それに雑じった子供たちのように思いましたが、それにしても大きすぎる影、もしくは犬よりも小さな影。何よりそれは、人の姿とはかけ離れている気もします。
声が聞こえない。
そう気がついたのは、その行列が見えなくなった後でした。
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「ところで、宝探しは終わったのか?」
砂塗れの割には、夕梨亜の手には何もなかった。その代わり、ビニールバッグから勿体つけたように、何かを取り出した。
「勿論。ほらこれ」
砂の上に置かれたのは、程よい感じに塗装の剥がれた、長方形の箱だった。
青色に金の縁取り。蓋には英語の印刷。錆び付いているところを見るに、木製ではなく鉄かアルミ製のようだ。お中元やお土産で、こんな入れ物をよく目にする。
「…クッキーの缶箱?」
夕梨亜は耳元でその缶を振った。何か入っているらしく、がらがらと響いた。
「中で音がするの。開けてみる?」
潮風で錆び付いた缶の蓋は、なかなか思うようにはいかなかった。四苦八苦する彼女から「貸して」と取り上げ、少し力を入れてこじ開ける。勢いで中に入っていたもの…砂がいくらか飛び散った。
期待を込めて覗き込んだ視線の先には、まだ大量の砂と、中に埋もれた親指ほどの巻貝。
「…なんだこれ?」
「多分、ヤドカリの家?」
中身は住んでいなかった。どうやら、誰かが拾った缶に貝殻を入れたらしい。他には砂と絡んだ釣り糸と、波に洗われたマリングラス。どれもが親指大くらいのサイズだった。
「あはは、ちっちゃい!」
ころころと笑う彼女の横で、まったくだよと、つられて笑う。貝もガラスも、目立って大きいものはひとつとしてなかった。
「あ。でも見てよ、ほら」
夕梨亜は缶の中に指を入れると、半透明で綺麗な破片を取り出した。
小さくて脆そうな、実際に脆い淡紅色の。
「桜貝。充分宝物じゃない」
缶を覗くと、まだ所々に同じ色が混じっている。摘み上げた中には、完全に一枚の貝の形を留めているものもあった。どうやら本当に宝箱だ。
いったいどこに持っていたのか。いつの間にか夕梨亜はお宝を保存用の小さなビンに入れ、しっかり蓋を閉めた。
太陽に透かすようにビンを覗き込む。コルクの蓋の下、サクラ貝のカケラ達がカタンとぶつかった。
満足そうに微笑む彼女。さて、と、おもむろに立ち上がって伸びをする。体をはたくとさらさら砂が落ちてくる。
「お土産も出来たところだし。そろそろ帰りましょ」
彼女に習って、温かい砂の上から体を離した。唇を嘗めるとわずかにしょっぱい。空を見上げると陽は西に近付きつつあった。
「そうだな」
缶は蓋を戻して、そのまま砂浜に置いて。
目の前では相変わらず波が行ったり来たりを繰り返していた。
「戻ろうか。また、狭くて丁度良い日常に」
海風が、耳元で何かを囁く。自然と顔が綻んだ。
ああ、幸せか。
そして俺は、ヘッドフォンをカバンに仕舞い込んだ。
砂塗れの割には、夕梨亜の手には何もなかった。その代わり、ビニールバッグから勿体つけたように、何かを取り出した。
「勿論。ほらこれ」
砂の上に置かれたのは、程よい感じに塗装の剥がれた、長方形の箱だった。
青色に金の縁取り。蓋には英語の印刷。錆び付いているところを見るに、木製ではなく鉄かアルミ製のようだ。お中元やお土産で、こんな入れ物をよく目にする。
「…クッキーの缶箱?」
夕梨亜は耳元でその缶を振った。何か入っているらしく、がらがらと響いた。
「中で音がするの。開けてみる?」
潮風で錆び付いた缶の蓋は、なかなか思うようにはいかなかった。四苦八苦する彼女から「貸して」と取り上げ、少し力を入れてこじ開ける。勢いで中に入っていたもの…砂がいくらか飛び散った。
期待を込めて覗き込んだ視線の先には、まだ大量の砂と、中に埋もれた親指ほどの巻貝。
「…なんだこれ?」
「多分、ヤドカリの家?」
中身は住んでいなかった。どうやら、誰かが拾った缶に貝殻を入れたらしい。他には砂と絡んだ釣り糸と、波に洗われたマリングラス。どれもが親指大くらいのサイズだった。
「あはは、ちっちゃい!」
ころころと笑う彼女の横で、まったくだよと、つられて笑う。貝もガラスも、目立って大きいものはひとつとしてなかった。
「あ。でも見てよ、ほら」
夕梨亜は缶の中に指を入れると、半透明で綺麗な破片を取り出した。
小さくて脆そうな、実際に脆い淡紅色の。
「桜貝。充分宝物じゃない」
缶を覗くと、まだ所々に同じ色が混じっている。摘み上げた中には、完全に一枚の貝の形を留めているものもあった。どうやら本当に宝箱だ。
いったいどこに持っていたのか。いつの間にか夕梨亜はお宝を保存用の小さなビンに入れ、しっかり蓋を閉めた。
太陽に透かすようにビンを覗き込む。コルクの蓋の下、サクラ貝のカケラ達がカタンとぶつかった。
満足そうに微笑む彼女。さて、と、おもむろに立ち上がって伸びをする。体をはたくとさらさら砂が落ちてくる。
「お土産も出来たところだし。そろそろ帰りましょ」
彼女に習って、温かい砂の上から体を離した。唇を嘗めるとわずかにしょっぱい。空を見上げると陽は西に近付きつつあった。
「そうだな」
缶は蓋を戻して、そのまま砂浜に置いて。
目の前では相変わらず波が行ったり来たりを繰り返していた。
「戻ろうか。また、狭くて丁度良い日常に」
海風が、耳元で何かを囁く。自然と顔が綻んだ。
ああ、幸せか。
そして俺は、ヘッドフォンをカバンに仕舞い込んだ。
End.
<Back
<Back
「いいじゃない、世界と比べなくたって」
波に紛れて、夕梨亜の声が聞こえた。振り向くようにして彼女の顔を見る。
開き直ったような、堂々とした口調で俺を嗜める。まくし立てる、と言った方が近いだろうか。いったい俺は今、どんなに情けない顔をしているんだろう。
「そうだよ。キミはこんなにちっぽけなの。実際に世界は広く果てしないんだから、負けるのは当たり前。私もキミも、小さくていいの。だからこんな狭い世界で上手くやっていけてるんじゃない」
歌うように話す彼女に、俺は少し呆ける。
『狭い世界だから丁度良い』。
まったく、どっちが少女趣味だ。
励ましているのか、責めているのか。白昼夢のような世界の中で、それでも夕梨亜は大地を踏みしめている。夢と知りつつ、夢を現実にするために。
夢のままの俺とは違う。それが、彼女らしかった。
思わず笑った。
すると、夕梨亜は心外そうな目つきで。
「なにニタニタ笑ってるのよ。それじゃあチェシャーの猫みたい」
「チェシャー?」
「チェシャーチーズって知らない?」
間抜けな復唱に、頷く彼女。
どこかで聞いた事もあるような、ないような。知らない、と首を横に振る。
「じゃあ、『不思議の国のアリス』のチェシャ・キャット」
今度はなんとなく分かった。ああ、あれね。キャロルの原作を読んだことはないけれど。
「あれはね、慣用句をもじったんだって。チェシャーは地名ね。grin like a Cheshire cat.意味は、『訳もなくニタニタ笑う』。まるでチェシャーの猫のように」
そう言われて、紫とピンクの縞模様を思い出す。行く先々で現れる、歯をむき出して笑う奇妙な猫。
「ディズニー映画なら知ってる。チェシャ猫の消え方がトラウマだった」
端から順に消えるならまだしも、縞から消えるかな、普通。それだけは頭から離れなかった。
「なに言ってるの、可愛いじゃない。あのチェシャ猫も私は好きだよ」
どうやら、彼女はキャロルの原作もアニメ映画も良く知っているらしい。俺はぼんやり思い出すだけ。なんとなくのあらすじと、他にどんなキャラクターがいたかさえ曖昧な程。そういえばアリスも夢の話だっけ。
「訳もなくてもさ」
虚をつかれたようで、夕梨亜は「なに?」と聞き返してきた。サンダルを脱いで、ジーンズから伸びた白い足を投げだして。
俺は上半身を起こして背中の砂を払う。襟元から少し、中に入った。
「訳なんてなくても。意味が無くてもいいんじゃない? 自然に笑うって、きっと幸せな証拠なんだよ」
「じゃあ、キミは今、幸せなの?」
向けられたのは、真っ直ぐな瞳。
俺を試すような眼差し。抑揚のない声。言葉の奥まで見通すような。本当に幸せか?言い聞かせているだけじゃないのか?他人から見ても、俺は幸せなのか?
大丈夫。確信はあった。だからもっと、笑うことにした。
「うん、幸せ。自分でもびっくりするくらい」
その声は、自分で思った以上に落ち着いていた。ふわふわと浮ついていない、穏やかな感情。
余裕があった。タテマエでもミセカケでもない、今思う、素直な言葉が口を突いた。
「大したことじゃなくてもさ、幸せなんだよ。俺にとっては」
今なら悩む必要もない。
だってここは、現実の外。夢の世界。また明日から学校だろうと、夏休み前に控えるテストだろうと。梅雨の時期の苛々だろうと。
彼女が居れば、そんなもの簡単に打ち消してくれる。
所詮は狭い世界に似合いの、小さな憂鬱。
波に掻き消える程の。
波に紛れて、夕梨亜の声が聞こえた。振り向くようにして彼女の顔を見る。
開き直ったような、堂々とした口調で俺を嗜める。まくし立てる、と言った方が近いだろうか。いったい俺は今、どんなに情けない顔をしているんだろう。
「そうだよ。キミはこんなにちっぽけなの。実際に世界は広く果てしないんだから、負けるのは当たり前。私もキミも、小さくていいの。だからこんな狭い世界で上手くやっていけてるんじゃない」
歌うように話す彼女に、俺は少し呆ける。
『狭い世界だから丁度良い』。
まったく、どっちが少女趣味だ。
励ましているのか、責めているのか。白昼夢のような世界の中で、それでも夕梨亜は大地を踏みしめている。夢と知りつつ、夢を現実にするために。
夢のままの俺とは違う。それが、彼女らしかった。
思わず笑った。
すると、夕梨亜は心外そうな目つきで。
「なにニタニタ笑ってるのよ。それじゃあチェシャーの猫みたい」
「チェシャー?」
「チェシャーチーズって知らない?」
間抜けな復唱に、頷く彼女。
どこかで聞いた事もあるような、ないような。知らない、と首を横に振る。
「じゃあ、『不思議の国のアリス』のチェシャ・キャット」
今度はなんとなく分かった。ああ、あれね。キャロルの原作を読んだことはないけれど。
「あれはね、慣用句をもじったんだって。チェシャーは地名ね。grin like a Cheshire cat.意味は、『訳もなくニタニタ笑う』。まるでチェシャーの猫のように」
そう言われて、紫とピンクの縞模様を思い出す。行く先々で現れる、歯をむき出して笑う奇妙な猫。
「ディズニー映画なら知ってる。チェシャ猫の消え方がトラウマだった」
端から順に消えるならまだしも、縞から消えるかな、普通。それだけは頭から離れなかった。
「なに言ってるの、可愛いじゃない。あのチェシャ猫も私は好きだよ」
どうやら、彼女はキャロルの原作もアニメ映画も良く知っているらしい。俺はぼんやり思い出すだけ。なんとなくのあらすじと、他にどんなキャラクターがいたかさえ曖昧な程。そういえばアリスも夢の話だっけ。
「訳もなくてもさ」
虚をつかれたようで、夕梨亜は「なに?」と聞き返してきた。サンダルを脱いで、ジーンズから伸びた白い足を投げだして。
俺は上半身を起こして背中の砂を払う。襟元から少し、中に入った。
「訳なんてなくても。意味が無くてもいいんじゃない? 自然に笑うって、きっと幸せな証拠なんだよ」
「じゃあ、キミは今、幸せなの?」
向けられたのは、真っ直ぐな瞳。
俺を試すような眼差し。抑揚のない声。言葉の奥まで見通すような。本当に幸せか?言い聞かせているだけじゃないのか?他人から見ても、俺は幸せなのか?
大丈夫。確信はあった。だからもっと、笑うことにした。
「うん、幸せ。自分でもびっくりするくらい」
その声は、自分で思った以上に落ち着いていた。ふわふわと浮ついていない、穏やかな感情。
余裕があった。タテマエでもミセカケでもない、今思う、素直な言葉が口を突いた。
「大したことじゃなくてもさ、幸せなんだよ。俺にとっては」
今なら悩む必要もない。
だってここは、現実の外。夢の世界。また明日から学校だろうと、夏休み前に控えるテストだろうと。梅雨の時期の苛々だろうと。
彼女が居れば、そんなもの簡単に打ち消してくれる。
所詮は狭い世界に似合いの、小さな憂鬱。
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