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むせ返るような芳香、甘い蜜。蝶のような優雅さで。 そのカラダに鋭い棘を隠して。
はじめに

ようこそ、偽アカシアへ。
こちらは私、朝斗の今までの作品展示室となっております。

過去作品から随時追加予定です。
同じものを掲載していますが、若干の推敲をしている場合もあります。
詳しくは『はじめに』をご一読ください。
2008.5.6 Asato.S
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「はぁ?帰って来る?」

 久々に聞くその少女の声は、変わらず飄々として明るかった。
 みかんを剥いていた手が止まる。がたん。座り直した拍子にうっかりテーブルの足を蹴った。
 はずみがついてふちを転がって行く温州みかん。それを慌てて掴まえ、携帯電話を持ちかえた。

「ちょっと待ってよ、メールでは『無理』って言ってたじゃない。どうしたの…なに?予定が潰れた?…知らないわよそんなの。文句なら本人に言いなさいよ」

 話題がいつの間にか帰省報告から教授に対する不満に変わる。

 あまり広くない私の部屋。振り返って、空いた手で机の上を探る。
「で、いつ?…21日?21って…明後日じゃない!」
 革の手触りを手繰り寄せて、今月のスケジュールを開いた。
 しまった、やっぱりゼミの前日だ。
 瞬時に予定の再構成を始める。電話口からは別にいいよ、と笑う声。

「やだやだ、絶対迎えに行く!新幹線は何時?」
 相手には見えもしないのに首を振って、提出締切!と書き込まれたその上に大きくバツをつけた。
 その代わりに、小さい字で時間をメモして。

 そこから更に逆算。大丈夫。この時間なら午前中の予定とも被らない。

「うん、分かった。ユキにも声かけておくから…うん」

 課題大丈夫なの?苦い笑いを含んだ親友の声に、重ねて、問題ない!と笑い飛ばした。

「じゃあね。待ってる」

 ぱちり、電話を切って、ひとりで小さくガッツポーズをする。
 よしよし。明後日は2年ぶりの再会を3人で祝おう。

 手帳を卓上に広げ、あらためて予定を書き直す。
 さらさら。赤色のサインペンで、大きく、きっちりと。

ミサ 帰ってくる!!

 ついでに壁のカレンダーにも、同じ赤色で刻み付けた。
 勿論、こんなこと書かなくたって忘れはしないのだけれど。

 それから、再び携帯電話を取る。電話帳2番に登録されている番号を呼び出した。
 時計は夜の10時を差す。
 電気ストーブが、必死に冬の夜を暖めていた。

「あぁ、もしもし?」

 3回目のコール。
 もうひとりの親友が電話に出る気配がした。

 テーブルの上には、放ったままの温州みかん。



 レポートは、まぁ、

 今から死ぬ気で仕上げればいいだろう。


End.

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 走り抜けていく先は、出来損ないの闇が反射していた。
 惑わす揺らぎ。濡れた車道の下の深い光。

 一瞬だけ視界を覆った雨粒が跡形なく掻き分けられて行く。対向車線に車の影はない。自分だけが走らされている、行き先不安の道。
 小さな車の中に流れるスローテンポの洋楽。BGM。
 ステレオのデジタル時計が、深夜10分前を無機質に表示する。

「――事故んねえかな」

 ぽつりと呟いた言葉は願望というより気紛れな期待で。
 始終続くゆるい痛みは、次第に強くなっている気がした。
 
 ――今日、何曜日だっけ。
 休日出勤と不規則な平日休み。明日が休みでないことだけは理解している。
 最近では明後日以降の未来のことを考えようとすると気が遠くなる。
 慣れたつもりでいたが、何年経ってもこの不安は変わらなくて。
 
「明日は…明日には何を仕上げるんだった?」
 
 辛うじてこなしている日々の『仕事』は綱渡りで、一歩間違えば体勢を立て直すどころか生きていられる気がしない。
 一挙転落。でもそのほうが、いっそラクかもしれない。
 一見真面目なのは退路がないからだ。回り道も逃げ道も見つからないから、じりじりと前に進むだけ。無理矢理にでも歩を進めることしか許されない。たとえ結果が芳しくなくとも。
 だから、違う道さえ見つければこんな荒廃道、悦んで踏み外すのに。
 

 雨が強くなった気がした。ワイパーの速度を一つ上にあげた。
 全てが消えることは望まないから、せめて、先を見るために。
 見えなければそれでもいいや。それもまた、深層的な期待。
 見えなくなれば…逃れられない不可抗力ならば、止まることも出来るだろう。
 
「もう終わりでいいんだけどな」
 
 ――自分から立ち止まる勇気なんて、持ち合わせていない。
 
 目の前の信号は赤の点滅。
 右側の交差道からヘッドライトが近付いて来た。
 濡れた車道の所為で一際目に刺さる眩しさ。
 俺はその光が通り過ぎるのを待ってから、慎重にハンドルを切った。


End.

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 かすかに曇った闇の中を、懐中電灯を手に進んだ。


 古びた大きな屋敷。手入れされなくなって久しい、埃の痕跡。
 自分の足音以外は何も聞こえない。
 誰も居ない、板張りの廊下。

 
 ――お姉ちゃん。
 
 囁く声で、どこかに居る筈の姉を呼ぶ。
 
 赤色の蝶を追いかけて、いなくなってしまった姉。
 導かれるように行ってしまった。古い屋敷の奥へ奥へと。
 止める声も、聞こえていないようだった。
 
 観音開きの扉を開ける。
 こんなに立派な家屋なのに、住人らしきひとには遭っていない。
 それどころかこの村には、もう人が住んでいる様子はない。

 けれど、ずっと。
 誰かに見られている気がする。
 
 早くここを出なきゃ。
 手の震えや、背筋に張り付く冷たさを、頭を振って振り払って。

 
 お姉ちゃん。何処へ行ったの?
 今、追いつくから。

 だから。
 
 今度こそ。

「今度こそ、いつまでも一緒にいよう」
 
 

 少女は違和感に口元を抑えた。
 …どうして。
 今、どうして、『一緒に帰ろう』じゃなかったんだろう。
 
 けれどその疑問も、ほどなく不安の霧に紛れて掻き消えてしまった。
 とにかく今は、姉を探さなければ。

 少女はふと格子戸の外を見上げた。
 浮かぶ真円の月。その傍らに、紅い蝶を見た気がした。

 
 ――もう、おいて行かないで。


 二人きりの、双子の姉妹。
 少女達は鳥居をくぐったあの瞬間から、終わることのない夜の中を彷徨っている。
 

End.
『零~紅い蝶~』のあとに
 

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冬に包まれる季節。
詳しくはFirstを参照ください。
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