ようこそ、偽アカシアへ。
こちらは私、朝斗の今までの作品展示室となっております。
過去作品から随時追加予定です。
同じものを掲載していますが、若干の推敲をしている場合もあります。
詳しくは『はじめに』をご一読ください。
陽射しの暖かな午後。村の中央にある広場は、花と音楽で溢れていた。千紫万紅が咲き乱れる中、人々は昼夜構わず酒を酌み交わす。村の更なる繁栄と発展を祈って歌い、踊り、そして笑っていた。
「兄ちゃんもどうだい、一杯」
ある男は傍に座っていた青年に声をかけた。男の頬は既に、上着のポケットに飾った薔薇と同じく薄紅に染まっていた。村中を彩る薔薇の花は、所々繕った彼の服には不釣合いなほどに優雅だった。
声をかけられた青年は驚きつつも、グラスを高らかに掲げる。
「薔薇の村に、乾杯!」
カチン、と涼やかな音が響いた。
男はラム酒で喉を潤すと、改めて青年を眺めた。年の頃は成人を迎えた辺りだろうか。フードを取ったその下から現れたのは琥珀の髪、空色の瞳。丈夫そうな革靴とマントは旅行者独特の服装だった。
「この辺では見かけない顔だね。旅人かい」
「ええ。薔薇の祭りは見事だと、隣の街で教わったので」
「あら。じゃあ、東の森を通って?」
傍に居た婦人が、物珍しそうに声をかける。髪に飾った柔らかな橙色と桃色の薔薇が良く似合っていた。
「驚いたでしょう。森に人の手が加わっていて」
ええ、と青年は複雑そうに微笑んだ。
「あそこは古来より守られてきた神聖な森と聞いていたのですが」
村のすぐ隣には、奥深い森が広がっていた。古来より生き物達が暮らしていたその場所は人間が一方的に『共存』を求め、今やすっかり人間の手中に落ちていた。樹齢何百年という大木は畑のために切り倒され、日の入りが悪い場所は容赦なく枝打ちがなされた。
「あそこはね、綺麗な薔薇を育てるのに必要なのよ」
婦人はどこか誇らしげに笑った。そして自らも祝盃を傾ける。
「『聖なる森』と、呼ばれていたのは昔の話さ」
上機嫌で喋る婦人の後ろから、男が言葉を付け加える。酒が回っているとは思えないほど、しっかりした口調を保っていた。
「竜の住まう森だと言われていた。竜神の守護する森だと」
「竜、ですか」
青年は現実離れしたその単語を復唱する。それに男は頷いて、
「森は竜の住処。だから、汚せば天罰が下る」
「実際に見たことは?」
「ないね。所詮は伝承だから」
そう言って肩を竦めてみせた。ケラケラと笑う。少し自嘲気味に見えたのは、気のせいかもしれなかった。
「人が生きるには仕方のないことさ」
男は空になったグラスをテーブルに置き、しきりに深く頷いた。まるで自分に言い訳をしているように。それを見て、青年もまた淋しげに微笑んだ。
そう、仕方のないことなのだ。少なくともこの小さな農村を成り立たせるには、薔薇を育てなければならない。多少の犠牲は必要だった。人が生きていく為にも。
私は目を開けました。
窓から入ってくる日差しが眩しくて、ふと気づくと、私は自分のベッドの上で寝ていました。
さっきまで入り江にいたはずなのに。
「あれ……?」
外を見ると、太陽はもう随分高く昇っていました。
私は慌てて階段を駆け下りました。
玄関を出る時に、朝の支度をするお母さんとすれ違いました。
「アリシア? どうしたの、ご飯は……」
「ちょっと出掛けてくる!」
私はまず、すぐそばの宿屋に行きました。
しかし、会いたい『彼』はいませんでした。
走って走って、次の場所へ向かいます。
すると、やはり友達はあの原っぱで絵を描いていました。
「セシル!」
「おはよう、アリシア。そんなに急いでどうしたんだい?」
彼の目印のような笑顔を浮かべて、振り返ります。
息の上がった私を見て、セシルは面白そうに笑いました。
「だって、きのう、昨日のこと」
「ああ、絵の具のことかな? 確かに失くしてしまったのは残念だけど、もう一本持っているから、気にしなくていいよ」
私は急に不安になりました。
なぜだか、セシルと会話がかみ合っていない気がするからです。
どきどきと、心臓の音が不安に響きます。
「違うの。そうじゃなくて、ゆうべのことよ」
おそるおそる、私はセシルの顔を覗きます。
すると彼は少し怪訝そうに眉を寄せるだけ。まるでいたずらする小さな子をたしなめるように、苦い笑いを浮かべます。
「ゆうべ? まさかひとりでここに来たんじゃないだろうね。だめだよ、いくら良く知った場所でも、夜の山は危ないんだから」
なんだかよく分からなくなってきたわ。
どきどきと揺れた心が、音を立ててしぼんでいきます。
そしてそれと一緒に、自分がどうしてこんなに必死になっているのか、不思議な心地が膨らんでいきます。
あれは夢だったのかしら?
そうなのかもしれない。だって、目が覚めたらちゃんと自分の部屋にいたんだから。
結局その時は、あのすべてが夢だったのだろうと思い直すしかありませんでした。
セシルは覚えてないようだし、大体、本当に竜や人魚がいるなんて聞いたこともないのですから。
やっぱり…全部夢物語だったんだ。
全ては幻想。夜の中に浮かんだファンタジア。
この色は見た事がありました。
私がなくした青の色。セシルの、あの青の絵の具と同じ色をしていました。
最初に絵の具を見せてもらった時、まるで海や森の色をそのまま閉じ込めたみたいだと思ったことを思い出しました。
あれは、どうやら私の思い込みではなかったようです。
きっと青だけじゃない。
他の緑や橙も、水色も。
同じようにしてどこかの森や夕日や空の色なんかを瓶に入れたんだわ。
「さあ、これが海の青色。朝焼けに染まった海の青だよ」
キラキラと輝く、とれたての海の色。
私はその色に目を奪われながら、かろうじてセシルに声をかけました。
「よかった。これでまた絵が描けるね」
するとセシルは、その瓶を私の手に預けました。
「これは君にあげよう。一生懸命がんばったごほうびだ」
私は瓶を傾けてみました。
やはり、ただの海水とは違ってゆっくりとろとろと動きました。
あの絵の具と同じように。
「きれい…ありがとう、セシル」
私が笑うと、セシルもいつも通りの温かい笑顔をくれました。
それから私たちは、浜辺に座って、太陽が完全に顔を出すのを見ていました。
ゆっくりと昇っていくまあるい光。
けれどそれが空に昇りきる前に、私のからだがふわふわしはじめました。
安心したらだんだん眠くなってきたわ。
夜じゅう歩き回ったせいかしら。
目を開けていられなくて、私は自分でも気がつかない間にうとうとし始めました。
そのうちに、ふわりと体が浮かぶ感じがしました。
まるで波の上にいるよう。そして波よりもやさしくて、あたたかい。
波の音も遠くなる中、最後にセシルの声が聞こえました。
「アリシア。今日の事を決して忘れてはいけないよ」