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むせ返るような芳香、甘い蜜。蝶のような優雅さで。 そのカラダに鋭い棘を隠して。
はじめに

ようこそ、偽アカシアへ。
こちらは私、朝斗の今までの作品展示室となっております。

過去作品から随時追加予定です。
同じものを掲載していますが、若干の推敲をしている場合もあります。
詳しくは『はじめに』をご一読ください。
2008.5.6 Asato.S
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「清一さん…」
 彼女は僕の顔を見ると、嬉しそうに笑った。
「来てくださったのね。良かった。最後にまた会えて」
 言って立ち上がると、僕の手を取った。両手を重ねて、愛おしそうに頬を寄せる。

「私は、こうして清一さんと居るだけで幸せだったのに」

 悲しそうな顔で目を閉じて、手の温もりを感じ取ろうとする彼女。それは諦めきれない迷いと、この先嫁いで行くことへの不安が入り混じっていた。
 しかし僕は諌めるように笑顔を向けるだけ。
「こらこら。今から人様の細君になる者が、他の男のことを言うもんじゃないよ」
 やんわり彼女の手を解いて、着付けが崩れるから動いちゃいけないと、もう一度座るように促す。
「貿易商のお家だったね。良かったじゃないか。小さな和菓子屋よりずっと良い」
「どうして、貰ってくださらなかったの」
 それでも瑠璃の顔は晴れない。僕に対する失望の念さえ浮かべて。
 だから両肩に手をそえて、言い聞かせるように。

「所詮は幼い頃の口約束なんだよ。そう思い通りに行くものじゃ無い」
「貴方はまだ誰とも婚姻していないじゃない」

 嗚呼、まただ。またこの表情をさせてしまう。
 僕は、君にそんな淋しげな顔をさせたいんじゃないのに。

「僕はいいんだ。家はきっと妹が旦那を貰って継いで行くんだから」
「でも…」
「瑠璃」
 名前を呼んでやると、彼女は、我に返ったように顔を上げた。

「おめでとう、瑠璃。先方に良くして貰うんだよ」

 袂に重いものを隠したまま。
 そうして、精一杯の笑顔を、祝福を、彼女に捧げるしか出来なかった。


 お願いだから。どうか。君は笑っていて下さい。




 足早に家路を辿る。
 晩秋の空は曇っていた。外套を掻き合わせて、凍えるような風を防ぐ。
 結局、彼女に会えたのはあの一瞬だけだった。
 耐えられなかったのだ。瑠璃のあの姿を見ている事が。

 一度だって、言ってやれなかった。
 言ってはいけないと、知っていた。

 僕がまだ十で、あの子がまだ七つの頃。
 聞いてしまったのだ。彼女の将来の事を。
 その先に、僕の居場所が無いことを、知ってしまったのだ。

 だから言えなかった。言わなかった。
 彼女は知らない。僕の本心を。僕の想いを。
 彼女が本気だと分かった後も。言ってはいけないと知っていたから。
 言い聞かせた。
「あの子は、僕には勿体無さ過ぎる」
 
 僕が弱かったから、彼女の側に居られた。
 けれど、所詮はそれだけ。隣に居ることが出来ただけ。
 僕がもっと、丈夫であったなら。
 家を立派に継ぐことが出来たなら?
 
『るりが大きくなったら、セイちゃんはるりをお嫁さんにしてくれる?』
『いいよ』
『ほんとう?』
『うん。ぜったいにね』


 気付けば川縁に行き当たった。
 橋の下で、清流が冷たそうに光っていた。
 僕は袂に入れておいたそれを、引きずり出した。そして。

 袂から取り出して、川に、投げた。その袋ごと。中に、ぎっしりと詰め込まれたままで。
 宙で紐が解けて、金平糖が溢れ出した。
 心が。涙が。淀みが。

 それを、黙って見ていた。
 落ちていくのを。

 ぱらぱらと水の流れに落ちて、消えていく。想いが。
 消えていけばいい。こうして。
 もう二度と、浮かんで来なければいい。

 長い時間をかけて、形になった金平糖は。

「瑠璃」

 結局、大切な人の元に届かないまま、深く沈めた。



 あいしている、と。



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「金平糖の作り方を知っているかい?」

 ふいにそう口にすると、彼女は一瞬首を傾げ、横に二度振った。
 それを見て、開け放しだった壺の中から一粒、金平糖を取り出す。かすかに薄紅色に染まった欠片を日に晒して、指の先で棘をころころと玩ぶ。

「氷砂糖に水を加えて煮詰めて行くんだ。回転する鍋を熱しながら、其の中に核となる芥子粒を入れる。この芥子にね、熱い蜜を少量ずつ被せていくんだ。時間を掛けて、粒を次第に大きくしていく」
 壺ごと彼女に薦めて、自分は持っていた金平糖を口に放る。
「随分、手間がかかるのねぇ」
「根気と経験が必要なのさ」
 彼女もまた、感心したような顔つきで一粒一粒取り出した。
 そっと掌の上において、黄色や白の粒を熱心に眺める。

「綺麗だものね。それを聞いたらなんだか余計大切に食べないといけない気がしますわね」
 そう言って、白を一つ口に含んだ。

「でも、根気は駄目。私が金平糖を作ったら、そのもどかしさに鍋を投げてしまいそう」
「はしたないね、瑠璃は。それじゃ貰い手がつかないよ」
 冗談めいた言葉に、冗談のつもりで言葉を返す。
 すると彼女は、澄ましたように胸を張って、
「いいんです。私、清一さんのお嫁さんにしていただきますもの」
 一瞬、金平糖を摘む手が止まる。
 それでも苦笑いを浮かべて。
「また、そんな昔の話を」
 そうして、他愛も無い一言として流す、つもりだった。しかし彼女は、すっと表情を改めた。
「昔じゃありません。いくら幼かったからといっても、本気だったの」

 部屋の中の、音が消えた。気がした。
 チョコレイトの湯気が舞う。
 瑠璃の顔はどこまでも真剣だった。表情豊かなその面には、迷いも曇りもない。
 僕はそれにただ笑うしか出来なかった。

「清一さんは、私のことが嫌い?」

 何も言い返さない僕に、彼女は尋ねた。
 どうして何も言ってくれないの、と、淋しさが滲んでいた。

 笑顔を消して、言葉を捜した。
 何を言うべきか。何を言わねばならないか。
 瑠璃の瞳は、真っ直ぐ僕の目を見ていた。

「それは…」

 

 その時、店のほうから足音がやってきた。
 次いで部屋の前で立ち止まり、襖越しに声がかかる。

「清一。手が足りないんだ、少し手伝ってくれるかい」

 ぱちり。炭が弾けて崩れた。

「今行きます、父さん」

 とっさに答える。マグを窓辺に置いた。
 そして何事も無かったかのように立ち上がって。
 襖の前で、黙ったままの瑠璃を振り返る。

「ありがとう、美味しかったよ。君はもう少し温まったら帰るといい」
「終わるのを、待っていてはいけない?」

 心許無い様子で、僕を振り仰いだ。
 しかし、それには微笑んで首を左右に振った。

「きっと時間がかかるよ」

 そう。僕は逃げたのだ。

 


 それから僅か三年。
 洋式の大きな扉を押し開けると、そこには白無垢の彼女が座っていた。
 丁寧に化粧をして白妙を身に纏うと、いつもの数倍も美しく見えた。

「結婚おめでとう。瑠璃さん」

 十八歳で彼女は、才も財も有る人の元へ嫁いで行く。

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 ある冬の午後。
 火鉢で身体を温めながら、僕はぱらりぱらりと頁をめくる。
 部屋の中は静かなもので、紙の擦れる音しかしない。時折その音を途絶えさせ、傍らの菓子壺からひとつ、金平糖を口に運ぶ。
 かり。ほのかな甘みが口内に広がる。
 ぱちり。炭がはぜて崩れる。

 時は明治四十年。
 露西亜との戦争があってから、僅か二年後の世の中。そんな騒がしい外界とは懸け離れた場所でのうのうと過ごしていた。

 表通りとは一番遠い、垣根に囲まれた庭の先。すっかり葉の落ちた樺の木の下。そこに面した窓が、僕の部屋で唯一日の入りのいい場所だった。木枯らしでカタカタと鳴る窓際に寄りかかって、背に柔らかな日の光を浴びる。外はきっと凍えるように寒い。けれど玻璃の入った窓越しならば、それも忘れることが出来た。

 ふと、遠くから足音が近づいてくる。
 ぱたぱたと軽い、少し急ぎ足の音。

「清一さん!」

 部屋の襖戸を開けて、一人の少女が顔を覗かせた。僕はその声にやっと顔を上げ、出迎えににこりと微笑んだ。
 つややかな肌に、繊細で可憐な風貌。よく手入れされた黒髪。白い息をはきながら、眩しい程の笑みを湛える彼女は、隣の家のお嬢さんだ。

「チョコレイトを戴きましたの。一緒に召し上がりません?」

 少女は…瑠璃は部屋に入ってくるなり、僕の目の前に外国製のマグ・カップを差し出した。

「これは?」
 和菓子屋の息子が洋菓子か、等とは思いもせずに白いマグを受け取った。
 中からは湯気が湧いていた。チョコレイトとは確か固いものだと聞いていた気がして、尋ね返す。受け取って覗きこむと、確かに色はチョコレイトの色だ。
「ホット・チョコレイト。溶かして牛乳と混ぜた飲み物です」
 瑠璃は僕と向かい合って座り、畳の上に一旦自分のマグを置くと、長い黒髪を整え直した。
 このお嬢さんは、マグを両手に家から走ってきたのだろうか。そう思うとまた笑みがこみ上げてくる。
 白い縁に口を当て、飲み込む。甘くて少し苦い。

「ありがとう。温かいね」

 嬉しそうに微笑む瑠璃。彼女もまた、チョコレイトを口にした。
 それからふいに、僕が開いていた本に目を留める。

「何と読みますの? それ」
「これかい? 英吉利の文字で『シェイクスピア』と書いてあるらしい。戯曲だよ」
「面白いんですの?」
「面白いよ。興味深い」
 ふうん、と、眉間に皺を寄せながら精一杯考えるが、すぐに拗ねたように唇を尖らせる。

「私には分かりませんわ」

 飽きたのか、呆れたのか。目をそらして、チョコレイトを味わう。
 その、こくりと動く喉を見ながら、僕は弁明した。

「読書くらいしか趣味が無いんだ。僕はしがない和菓子屋の余り息子だからね」
「余り息子なんていわないで下さい」

 途端に瑠璃は淋しそうな表情になった。
 いつもそうだ。まるで自分のことのように、君は僕の分まで傷つく。

「余りだよ。身体も丈夫じゃないから、家の仕事もままならないしね」

 反対に僕は、自嘲めいた微笑を浮かべる。

 嗚呼、どうして君がそんな顔をするのか。
 君は何も悪くない。それにこれは事実なのだから。


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冬に包まれる季節。
詳しくはFirstを参照ください。
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