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むせ返るような芳香、甘い蜜。蝶のような優雅さで。 そのカラダに鋭い棘を隠して。
はじめに

ようこそ、偽アカシアへ。
こちらは私、朝斗の今までの作品展示室となっております。

過去作品から随時追加予定です。
同じものを掲載していますが、若干の推敲をしている場合もあります。
詳しくは『はじめに』をご一読ください。
2008.5.6 Asato.S
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 エレベーターの扉が開いた。
 
 そこは食料品売り場だった。
 けれど私は降りはしない。包丁もロクに扱えない自分にとって、そこは無意味な場所だからだ。

 ただ黙って、扉が閉まるのを待つ。
 エレベーターは、静かに上昇していく。
 
 チィン。
 
 エレベーターの扉が開いた。
 今度は玩具売り場だった。
 けれど私は降りはしない。あれらではしゃぐことの出来た日々とは、とうの昔に別れを告げた。
 目を輝かせ子供達が降りて行った。
 私は羨望の目差しを投げ、扉が閉まるのを待った。
 
 チィン。
 エレベーターの扉が開いた。
 そこはパーティーホール。
 娯楽も友も無い私は、虚ろな瞳のまま扉が閉まるのを待った。
 
 チィン。
 扉が開いた。
 太陽の眩しい、真夏の砂浜だった。
 若者達が肩を組んで繰り出して行った。
 
 チィン。
 扉が開いた。
 桜の花が咲き染まる、暖かな春の日差しだった。
 
 扉が開いた。
 しとしとと大地を育む、優しい雨だった。
 
 扉が開いた。
 目を焼くほどに美しい、妖艶な夕焼けだった。
 
 エレベーターの扉が、

 チィン。

 エレベーターが、

 幾人もが乗り込み、幾人もが降りて行く。


「あなたはどうですか?」
 ふいに一人が声を掛けてきた。
「いえ、私は」
 
 私はどこでも降りなかった。
 ただ忘れないように、自らの呼吸の数だけを数え続けた。
 
 扉は開き、閉じる。
 閉じては開いた。
 私はボタンを押していない。
 彷徨うだけ。流されるままに上下を繰り返し、開いた先の世界を、灰色の瞳で眺めるだけ。
 長い長い時間を、立ち尽くすことで消費した。
 
 チィン。
 相変わらず、小さな箱は昇降を続ける。
 
 エレベーターの扉が開いた。
 もう顔すらも上げなかった。
 
 エレベーターの扉が開いた。
 涙さえも流れなかった。
 


 私の居場所はどこにも無い。
 

and,over again.

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 それから何日かして、セシルは町を離れていきました。

 この港町での絵を書き終えて、またどこか次の町に行くようです。

 私はあの絵描きがやってくる前の毎日に戻りました。
 今は毎朝セシルの乗る舟が行った海の向こうを眺めるのが、私の習慣。

 ある日、私がふと部屋の隅に目をやると、ベッドの陰に何か光るものが落ちていました。
 なんだろうと近づいてみて、私は目を疑いました。


 それは、青い液体の入った小瓶でした。
 拾い上げて、何度もしたように瓶を傾けてみると、青い色がゆっくりとろりと動きます。


 最初の絵の具は、山で失くしてから見つかっていません。

 そして、二本目の瓶をセシルからもらった記憶はありません。

 

 あの夜以外には。

 

 私にはもう、それを確かめる手段はありません。
 夜の散歩に連れて行ってくれた友達は、もうどこか遠くに行ってしまったのですから。

 でも、それでいいのかもしれないと、心の底で思いました。

 私の手の中には、ちゃんと絵の具の瓶がある。
 それだけで充分なのです。

 待っていよう。
 いつかまたこの町に、あの不思議な旅人がやってくるのを。

 

 それまで私は、あの満月の夜の出来事を忘れない。

Fin.

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 村の外れ、ひとつの影が丘の上を目指して歩いていた。

 世界はとうに夜闇。ランタンも燈さず、細々と照らす月を頼りに坂道を登っていく。遠出用の丈夫な革靴にマント。かすかな月の光に、彼の琥珀の髪が照らされる。見ると、それは先刻の旅の青年だった。
 丘の上には、彼の帰りを待つものが居た。その姿は人ではない。鋼の鱗に覆われた身体、月の光にも似た金の瞳。その背中には大きな翼が生えている。


「お帰り。クライス」

 人の言葉を話すその存在にも、青年は驚くことはなかった。クライスと名を呼ばれ微笑み返す。哀しげな笑みだった。

「ここも、もう駄目だった。じきに闇に飲み込まれる」
 金の瞳が、彼を見下ろした。クライスはその瞳に触れるかのように手を伸ばす。
「竜を……キミを守ろうという想いは、もう潰えてしまったようだよ」
 艶やかな鋼色に頬を寄せ、悲しみに堪えるように目を閉じる。その声は、哀れみよりも諦めを滲ませていた。

「どうしてだろうね。昔は僕達のように、助け合って生きてきたのに」

「この世界を責めてはいけない。時とは本質さえも歪ませてしまうものだ。だからヒトも、古のことは忘れてしまった」

 囁きかけるクライスを、優しく穏やかな声が宥める。まるで泣き出した子どもに運命というものが何かを言い聞かせるように。

「思い出してくれるかな」
「思い出さなくても、もう仕方の無いことだ」

 丘の上は静かだった。振り返ると、薔薇の村からは未だ賑やかな喧騒が響いていた。風に乗って酒と花の香りが漂ってくる。
 金の瞳の持ち主は静寂を吸い込むかのように、深く息を吸った。

「夜が深いな。無事に日の出が迎えられるのはあと何百年か、何十年か。あるいは……」

 クライスはすぐ傍に咲いていた野薔薇に触れた。月夜に映える白は、まるでそれをきっかけとしたように、みるみるうちに茶色く変色し、力無く萎れていった。

「行こう。ここにも僕達の居場所はない」

 クライスはその背に跨った。最後にもう一度だけ、哀しげに薔薇の村を振り返る。

 
「西を目指そう。世界の果てへ、太陽が向かうほうへ」

 鋼の竜は頷くと、大きく大きく、翼を広げた。


END

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冬に包まれる季節。
詳しくはFirstを参照ください。
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