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むせ返るような芳香、甘い蜜。蝶のような優雅さで。 そのカラダに鋭い棘を隠して。
はじめに

ようこそ、偽アカシアへ。
こちらは私、朝斗の今までの作品展示室となっております。

過去作品から随時追加予定です。
同じものを掲載していますが、若干の推敲をしている場合もあります。
詳しくは『はじめに』をご一読ください。
2008.5.6 Asato.S
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 ―うちの子、最近静かなのよね。
 
 優紀子はリビングでコーヒーを啜りながら、幼稚園仲間の友人に零した。
 襖を開け放した隣室では、我が子と友人の子が楽しそうにクレヨンを握っている。
 勢い余ってフローリングにまで筆を伸ばしてしまわないかと冷や汗をかくが、ここで彼女の言う『うちの子』というのはその娘のことではない。

「夕飯の時も大人しくて。ご飯をねだらなくなったし、静かに出されたものを食べているのよ。はしゃいでテーブルの上に乗ることもない、我が物顔で椅子を占拠することもない。それに最近は、ちゃんと外に出たがるの」

「いいじゃない?そのほうが健康的で。悪戯も減ったんなら、言うこと無しじゃない」

「そうなんだけど…」
 友人の相槌に、優紀子は煮え切らない返答をする。

「なんだか不思議で仕方ないっていうか。布団に潜り込んで来なくなったのも、最近は慣れたけど寝心地が違うのよね。でも、人離れしたって訳じゃないみたいなのよ。愛美にじゃれつかれても迷惑な顔ひとつしないで相手してくれてるみたいだし」

 いいことじゃない、と友人が益々頷く。
 それから優紀子の不安の種を取り除こうと目を眇めた。

「今までが懐っこ過ぎたのよね、きっと。だからなんとなく落ち着かないんだわ」

「そうかしら?」

「そうよ。だって、今も昔も家族には変わりないんでしょう?」

 そうしてソファの端で眠っているその子に目を向けた。娘達から少し離れた、部屋の中でいくらか静かなその場所に丸くなっている一匹の。
 いくらか眺めていると、とがった耳がひくひくと動いた。
 優紀子は勢い込んで頷く。

「勿論よ。あの子だって愛美と同じでうちの子だわ。言葉は分からなくても、それは変わらないもの」

 そう、家族であることには変わりないのだ。
 手のつけられないくらいお転婆だった少し前も、まるで本当に借りてきた猫のように落ち着いた今も。
 大人しいことは悪いことではない。寧ろ和室の襖で爪を研がなくなったことも喜ばしいことだ。
 ただ、ほんの少しくすぐったいだけで。

「でも、納得いかないって顔ね」
 友人は優紀子の様子を見てくすくすと笑った。一方の優紀子は考えるように少し首を傾げる。
「そうねぇ」
 呟きながら、彼女もまたソファの端に目をやる。

「やっぱり、静かなら静かで淋しいものよね」

 前足後足を折り込むようにして眠るその姿は、見ているだけで心が癒される。 
 呼吸に合わせて小さなお腹が上下していた。斑の毛並みが太陽の光を浴びてなんとも暖かそうだった。

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「そんな訳無いだろう」
 
 青年の問いに、随分な間を持った後に猫は答えた。
 続いていく轍から目を離し、じろりと青年を睨みあげる。
 
「お前はどうなんだ、彼方」

「僕?僕は、」
 その瞳に苦笑しながら、青年は返す。
 
「あの子が幸せならいいと思うよ」
「このまま終わることが、幸せだと思うか?」
「さぁね。でも少なくとも」

 そしてその微笑みに、憂えるような陰りが見えた。


「僕は淋しいね」

 こいつも変わってきているのかもしれない。猫はその穏やかな表情に目を細めた。
 『彼女』に会ってから、少しずつだけれど変化している。
 
 
「白夜!」
 
 声がして、二人は振り返った。
 石畳の向こうからひとりの少女がやってくる。
 
「こんにちは、紫遠ちゃん」

「あ、彼方さん。こんにちは」

 にこりと完璧な笑顔を浮かべる青年に、紫遠は頭をさげて笑い返した。そして、足元の猫を嬉しそうに見下ろす。

 
「こんなところにいたのね。そろそろ帰りましょう」
 
 

 小鳥屋の主人に別れを告げて、二人は家路へと着いた。
 まだ成人していないうら若い少女と、漆黒の毛並みに身を包んだ喋る猫の取り合わせはまるで童話のようだった。

 いつの間にか灯ったガス灯の色に導かれ街を出て、隣り合った田舎町へ向かう電車に揺られる。
 次第に夕暮れていく窓の外を見ながら、ふいに少女は猫に尋ねた。

 
「二人で何を話してたの?」

 丸まっていた猫は、ヒゲを揺らして目を細める。

「別に、なんでもないよ。世間的なくだらない話だ」

「二人は意外と仲がいいよね」

「そうかな」

「そうよ」

 それから、視線が彼女の手元の買い物袋に吸い寄せられる。おそらく、今夜の夕飯の食材が揃っているのだろう。

「それで、イワシは買ってきてくれたかい」

「もちろん。帰ったらマリネにしましょう」

 少女はふわりと笑う。
 
 タタン、タタンと規則的な音をさせて列車は枕木を踏んでいく。
 ふいに落ちる静寂。紫遠は窓の外のオレンジを眺めた。雲が、不安の色をした雲がどこかに流れていく。


「ねぇ白夜」

「なんだい、紫遠」

「これからも、一緒にいてくれるよね」


 その声が不安げに聞こえて、猫は紫遠を見上げた。
 

 黄昏の色が少女の瞳を揺らしている。
 だから、猫は彼女の隣に寄り添うのだ。
 ぐるぐると喉を鳴らして、自らの額をその震える手に摺り寄せる。
 


「勿論だよ。君を置いてはどこにも行かない」
 
 
 その言葉を彼が言うのは二度目だと、傍らの少女は知るよしもない。

 
End.

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 古い城壁に囲まれた、迷路のような街だった。
 その中央にそびえる時計塔が5時を知らせる。
 
 真白い石畳の通り、両側に平然と並ぶガス灯。いずれもなかなかの歴史を持ったものだった。城壁もあちこちが崩れていて、今や遺跡のように街を縁取っているだけ。
 一軒の小さな店の前で、黒い猫とひとりの青年が言葉を交わしていた。
 

「このままでいいのか」

 それは自問だった。側に立つ線の細い青年ではなく、自身が帰依するひとりの少女ではなく、猫の姿をした魂の、自分自身への問いだった。
 

「それは、僕に聞いている?」
 独り言だと知りながら、青年はわざと問いに応える。

 猫は何も言わない。青年を振り向きもしないで、碧色の瞳を蒼天へと向ける。

 常春のような暖かい空。
 しかしその空の端は、今や煤けて崩れている。
 城壁と同じだ。まるで上塗りしたペンキが乾いて剥がれたように。
 
 黒い猫はぼんやりとその『空白』を見つめる。
 その不安定な蒼の上を、変わらずに雲が流れていく。

 変わらずに。

 それが少女の不安を掻き立てているのは間違いないだろう。
 柔らかな綿雲。あれが流れていく先の世界を、少女は知らない。だから憧れるのだ。
 
 西の森が色を失ったことも、噂に聞いている。砂浜が広がって砂丘を作り始めたのは、数十年も前のことだ。
 ―もう時間がないのかもしれない。
 

「夢は、覚めなければいけないと思うかい」

 青年が問う。
 猫は応えない。

「彼女が消えることを、君は望んでいるのかな」
 
 少女は夢を終わらせようとしている。
 この鳥籠の世界を。
 何百年も前に作られたこの夢の国を。
 けれど夢が終わるということは。
 すべてが無くなるということ。
 
「シオン」
 
 石畳に薄く残った轍のあと。
 これが刻まれたのはおそらく、二人が出逢った頃だろう。
 少女が今の少女ではなく、猫が人に化ける術を憶えた頃。

 時計塔に暮らしていた『少女』は、ひとりだった。今とは異なる容姿で、ひとり夢を紡いでいた。
 
『綺麗な黒の色ね』
 
 まだ只の猫だった彼に、彼女は微笑んでくれた。そして淋しいと、手を伸べてくれた。
 だから猫は決意したのだ。彼女のために人になろうと。
 たとえ自分だと気付いてもらえなくとも、ひとりの人間として支えになろうと。
 初めて、誰かの側に居たいと。
 
 なのに、シオン。
 君は、あの全てを無に帰するというのか。
 私達が出逢ったことも、人間の君を愛しく思ったことも、命を終えて離れ離れになった寂しさも、時を経てまた新しい君と再会したあの喜びも。
 


 夢が終われば、夢は消える。

 そして夢を見ていた本人も。

 夢の外の存在の私だけ残して。

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冬に包まれる季節。
詳しくはFirstを参照ください。
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