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むせ返るような芳香、甘い蜜。蝶のような優雅さで。 そのカラダに鋭い棘を隠して。
はじめに

ようこそ、偽アカシアへ。
こちらは私、朝斗の今までの作品展示室となっております。

過去作品から随時追加予定です。
同じものを掲載していますが、若干の推敲をしている場合もあります。
詳しくは『はじめに』をご一読ください。
2008.5.6 Asato.S
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「ねぇ、朔也兄さん?」
「ん?…あ、ごめん。なに?」

 ふと気になることがあって、私は朔也兄さんを呼んでみた。一瞬の間の後に、慌てたように返事が返ってきた。
 さっきからこうだ。たまに声をかけても上の空で、何故か黙ってしまう。
 どうしたんだろう。何か、かしこまっているような。
 朔也兄さんの様子がそうだと、私まで何やら緊張してしまう。私、何か変なこと言っただろうか。

「実は、さ」信号待ちをしていると、やっと彼が口を開いた。
「ずっと美乃ちゃんに言わなきゃいけないことがあったんだ」
 そこでやっと、彼がそわそわしていた訳を察する。ずっとタイミングを計っていたらしい。
 ふいに顔を見上げる。昔より顔が近い。ああそうか、私もそれなりに身長が伸びたから。
「本当はこの前、『ソレイユ』で会ったときに言おうと思ったんだけど、いつもはお友達も一緒だったからね」
 夕方の交通量は多い。上り下りとひっきりなしに車が行き交う。通り過ぎる風圧で、歩道脇の茂みがざわりと揺れる。

 何を言うんだろう。
 もしかして、私の気持ちがバレてしまったとか?
 だから、そういうのは迷惑、とか。

「あのね、美乃ちゃん。良く聞いて欲しいんだ」
 けれど。もしかして、もしかすると。その逆ということは無いだろうか?
 夕暮れの中にいても、朔也兄さんが照れているのが見て分かった。そして、思い切ったように口を開く。
 そう、例えば。告白、とか。

「実は、僕……」

 遠くで、車のクラクションが鳴った気がした。
 

 


「来月、結婚するんだ」
 
 
 
 


「…え」

 頭が、真っ白になった。
 言葉に詰まって、彼の台詞の意味をゆっくり飲み込む。兄さんは拍子抜けしたように微笑んだ。

「あれ。なんだかリアクション薄いなぁ。もしかして、美紀叔母さんから聞いてた?」
 なんだぁ、とか言いながら思いきり照れる朔也兄さん。

 ああ、今分かった。その表情の意味。
 なんだ、そんなこと。いや、勿論とてもおめでたいことだけど。兄さんはそれを、いつ言おうかとドキドキしていたということである。

 夢から覚めた気分だった。
 私は停止していた脳を叩き起こし、言葉を発するように命令した。

「ううん。そんなの…は、は」
「初耳ですっ!」

 突然背後から声。弾かれたように振り向く私と朔也兄さん。
 すると、歩道の端の茂みから勢いよく、一人の少女が飛び出した。

「紫!?」
 驚いたのは、私と朔也兄さんがほぼ同時だった。それくらい、彼女の登場は突飛だったのである。

 今まで隠れていたのだろうか。紫は、驚愕と混乱の交じり合ったような、複雑な表情をしていた。肩から息を吸って吐いてを繰り返す。

 一瞬の沈黙。

 歩行者信号が、ちょうど青色に変わった。
 

 
 帰宅すると、母に結婚を知らせる手紙が届いていたことを知らされた。そこには確かに、『結婚』の二文字が踊っていて、ご丁寧に披露宴には私まで招待されている。
 兄さんによると、私にはどうしても自分の口から言いたかったのだという。
 やっぱり初恋は実らないよなぁ、と、桜色の招待状をトントンと指で叩いた。


 私よりショックだったのは、やはり紫だった。そういえば婚約をしてないか、なんて調べなかったしな。教室でぐたりと机に伏せる彼女を見ながら、そっと声をかけてみる。

「ジューンブライドだって」
「…うん」
「高校時代のクラスメイトだって」
「…うん」
「付き合って10年らしいよ?」
「……ふぅん」

 つまりは、私が初恋をしていた頃には既に恋人がいたという計算になる。
 紫は聞いているのかどうか分からない返事を機械的にした。

「桜、散るの早かったね」

 ついに反応が無くなった。公言していただけにダメージが多そうである。

 そうっとしておいてあげよう、と席を立ちかけた瞬間。勢い良くガバリと起き上がった。そして、私の肩を掴む。

「ねぇ美乃!?今日の午後、暇?」
「わわわ、何!?ひ、暇暇っ…!」
「じゃあお花見に行こう!」

 揺さぶられながら、やっとの思いで紫の言葉を拾う。彼女の顔は真剣だった。というか、切迫していた。

「だって今年行ってないもんね?大丈夫、今からでも枝垂桜なら見れるから。どうせみんなソメイヨシノが桜だと思ってるのよ、今頃なら人も少ないわ!そうね何だったら今から行きましょうか?ああでも、夜桜も良いわよね。さすがに女の子二人の夜道は危ないかしら?!」

「ちょっとちょっと、紫!落ち着いてよ、ほらっ!」

 興奮状態の紫を宥めるのは大変だった。突然騒ぎ始めた私達を見て、クラス中が呆然としている。
 敗れた後の、唐突な切り替え。なんかそう、とても紫らしかった。
 そして私は、彼女のそんなところも好きなのだ。
 

「分かったから、ね!とりあえず今は、全部授業を受けよう!」
 


 窓の外。
 鮮やかな青色の空には、柔らかな綿雲が広がっていた。
 どこかでウグイスの声がする。

 どうやら、春が終わるにはまだ早いらしい。
 
 
Fin.
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 いつの間にか私の記憶は、中学二年のある日に遡っていた。

 私と紫の出会い。今日のような、温かすぎる陽射しの春の日。クラスが変わったばかりで、私は教室の隅で萎縮していた。
 人見知りなのだ。1年生のときも、一年かけて仲良くなるのがやっと。けれどそんな顔なじみは誰一人いなかった。

『天城さん』
 そんな私に、声をかけてくれた一人の少女がいた。
 ちょっとびっくりするくらい美人の子。背は私より少し低いくらいで、瞳がぱっちりしている。日に透ける茶色の髪が綺麗だった。
『あなた、アマギヨシノっていうの?』
『う、うん。よく読めたね』
 私はぎこちなく頷いた。驚いていたのだ。そんな可愛い子が声をかけてくれたことと、私の名前を間違わずに呼んでくれたのと。
 だいたい『ヨシノ』とはなかなか読んでくれない。ミノちゃんと何度言われたことか。
『桜の名前なのね。私とおそろいね』
 そう言って、彼女はにこりと笑った。何の話か分からなくて、瞬きをする。

『私、谷竹紫。ヤダケムラサキって桜の名前なの。だから、おそろい』

 後日、彼女は図書館で『桜図鑑』を見せてくれた。
 アマギヨシノ。ヤダケムラサキ。確かにどちらも、桜の品種だった。
 私自身も知らなかった名前の符丁。

 私の知らないことを知っている、不思議な少女。
 初対面のあの瞬間から、大好きになった親友。

 そうだ、親友。
 うとうとしかけていた私は、慌てて顔を上げた。
 そうだ。私は今、大好きな親友の恋を応援している最中だった。
 どこまでも一直線で、見た目に似合わず押しの強い少女の。
 
 ごめんね、紫。
 私ちゃんと、終わりにするから。
 

 店内のカラクリ時計が午後5時を示す。向日葵の花の形をした壁掛け時計が、ゆらゆら花弁を揺らして踊る。
 そろそろ帰らないと。立ち上がったその時、ちょうど厨房から朔也兄さんが顔を出した。
 なんてタイミングの悪い。
「あ、美乃ちゃん。今日はもう帰るの?」
 私の心中も知らず、彼は相変わらずの微笑をこちらに向けた。
 戸惑いつつも、彼に会計を頼んだ。お土産のオペラとパリジェンヌを買う。テイクアウト用の箱にも、オレンジ色の向日葵が描かれていた。
 ああそうか、ソレイユ、か。太陽も向日葵も似ているもんね。ソレイユには『ヒマワリ』という意味がちゃんとあるらしい。

「このあとは真っ直ぐ帰るのかな」
 母親から預かった千円札を手渡すと、ふいに彼が尋ねてきた。私はとっさに頷く。
 すると彼は、よかった、だったら、と胸を撫で下ろした。
「実は今日、閉まるの早いんだ。僕はもうすぐ帰れるから、一緒に帰らない?」
 一瞬、何を言われたのか分からなかった。は?と、間抜けにも聞き返してしまう。
 じゃあ外で待ってて、と言い残し、彼は厨房に戻った。
 
 ごめんね、紫。
 私ちゃんと、終わりにするから。
 
 そう誓ったのに、朔也兄さんは私に声をかける。
 
 
 
 一方、バイトを終えた谷竹紫は、駅前通りを足早に歩いていた。

「まだ、ソレイユ開いてるかしら」
 今日は確か、早く閉まってしまうはずだ。先週の土曜日に、桐島さんがそんなことを言っていたのを覚えている。
 会えなくてもいいから、フィナンシェだけでも買えないかな。

 そこまで考えて、今までとの矛盾に気がつく。おかしいな。あのお店には桐島さんに会いに行っていたはず。
 ふいにくすりと笑う。そうだ、元々私はあのお店のプチガトーが好きで通っていたんだ。
 それで、偶然桐島さんを見つけた。順番としては、ケーキのほうが先なのだ。
 勿論、桐島さんが好きなのには変わらないんだけどね。

 横断歩道が目に入った瞬間、信号の青色が点滅し始めた。間に合わないな、と仕方なく、歩く速度を落とす。
 忙しなく行き交う車の群れを静かに待ちながら、向こうの歩道に見慣れた二人の顔を見つける。

「あれ…美乃と、桐島さん?」
 二人は並んで、何か話しながら歩いていた。
 こちらには…気づいていないようだった。
 

 
「日、長くなったね」
 家までの道を並んで歩く。5時を回った街中はまだ明るかった。ビルの向こうに薄く夕焼けが見える。ちょっとだけ、幼い頃のことを思い出した。

「この間まで、5時なんていったら真っ暗だったのにね」
「もう5月ですから」
「そう、それだよ」
 何気なく答えると、朔也兄さんは急にくるりと振り向いた。
「どうして急に敬語なの? 昔は普通に喋ってくれてたのに」
 私は自然なことだと思っていたけれど、朔也兄さんは引っかかっていたんだ。私は少し考えてから答えた。
「だって…年上の人だし、私ももう、大人だし」
「やめようよ、そういうの。何か変な感じだ。僕にとっては今も昔も、美乃ちゃんは美乃ちゃんなのに」
 ね、と彼は首を傾げた。その顔は妹に言い聞かせるような優しさが滲んでいた。
「そう、かな。じゃあ…そうする」
 よしよし。彼は頷いて、私の頭を撫でた。

 手の大きさは、そのまま昔と同じだった。
 

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「つまりは、幼馴染みの『お兄さん』なのね?」

 その日も私と紫は、甘い香りに包まれながら時間を過ごしていた。
「元、みたいなもんだけどね」
「細かいことはどうでもいいの。とにかく、美乃の知り合いだっていうのはアタシにとって凄く心強い」

 結局私達は、ほぼ毎日のようにソレイユに通うのが日課になっていた。
 飲み物のみの注文も大丈夫なのに、ついうっかり、プチガトーまで頼んでしまう。タルト・フリュイをつつく紫の横で、私はフォンダン・ショコラを口に運ぶ。

「にしても。美味しいわよねぇ、このケーキ。桐島さんって腕がいいんだ」
 お互いの皿を、一口ちょうだいなどと言いながら食べ比べる。さっくりとしたタルトの上に、カスタードクリーム。彩る真紅の苺とクランベリー。
「問題は体型維持だね」
 いくら甘さ控えめ・カロリー控えめと書かれていても、これじゃきっと効果は無い。
「アタシは大丈夫よ。太りにくい体質だもん」
「えー。ずっるいなぁ」
「美乃は辛抱強く、筋トレでもしてなさいって」
 そういえば、彼女がカロリーに悩まされているのを、出逢ってから一度も見たことがない。どういうことかと思えば。太らないなんて、うらやましいことこの上ない。

 でもさ、と会話を続けようとすると紫は、あ、と声を洩らして私の背後に視線を吸い寄せられていた。
 余所行きの笑顔が誰に向けられているのかは、振り返らずにも分かった。けれど、私もつられて後ろを振り向く。

「いらっしゃい。美乃ちゃん、紫ちゃん」
 そこにはやはり、彼の爽やかな微笑。

「こんにちは、桐島さん。おじゃましてます」
「今日も来てくれたんだね。いつもありがとう」
 紫に合わせて、ぺこりと頭を下げる。

 そこから先は、心を弾ませた紫が朔也兄さんと楽しげに喋るのを黙って見ていた。
 美味しいです、とか、これはどうやって作っているんですか?とか。そんな彼女に、ひとつひとつ丁寧に答えるパティシエ。
 楽しそうな紫を見て、安心する。
 実際のところ、朔也兄さんに用事があるのは紫だから。
 私は、恋する彼女のただの付き添い。

 の、はずなのに。

 なんとなく、胸の奥がもやもやするのは何故だろう?
 


「今日も朔也くんのお店に行くの?」

 四月も終盤の、土曜日の午後。
 玄関で靴を履いているとき、そう母親に声をかけられて我に返った。
「あ、うん」
 このところ、紫がバイトでいけない日も、私はソレイユに通っていた。ただの付き添いなのだから、ひとりででも行く必要なんてない。ぼうっとする頭を幾度か振って、母を振り返る。
「じゃあお土産に、オペラとパリジェンヌ買ってきてよ」
 前払い、と手を出すと、千円だけ渡された。
 足りない。足りなかったら言いなさい。あとで払うから。
 言い負けて、しぶしぶ千円だけ財布に入れ家を後にした。


 美乃が出て行った後、彼女の母・美紀は投函ポストの中身を確認した。
 新聞の投げ込みチラシに雑ざって、ひらりと封筒が足元に落ちる。
 それを拾い上げて、何気なく送り主を確認する。
「あれ。桐島さんから何か来てる……あら、朔也くん」
 
 

 静かにクラシックのかかる店内で、苺の綺麗なフレジエを前に、ぼんやりと時を過ごす。
 
 どうして私、ここにひとりで来てるんだろう。
 プチガトーが美味しいから? 居心地の良い空間だから? それもあると思う。
 けれど一番の理由は、他にある。
 紫と二人で座る指定席。無意識のうちに、目が厨房のドアに吸い寄せられる。

 ああ、いけない。
 
 忘れていた気持ちが、朔也兄さんに再会したことで掘り起こされていた。
 それを今は、はっきり自覚している。
 

 朔也兄さんを好きなのは、紫なのに。
 
 麗らかな午後の陽気に、だんだんと目蓋が重くなる。
 

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