ようこそ、偽アカシアへ。
こちらは私、朝斗の今までの作品展示室となっております。
過去作品から随時追加予定です。
同じものを掲載していますが、若干の推敲をしている場合もあります。
詳しくは『はじめに』をご一読ください。
「つまりは、幼馴染みの『お兄さん』なのね?」
その日も私と紫は、甘い香りに包まれながら時間を過ごしていた。
「元、みたいなもんだけどね」
「細かいことはどうでもいいの。とにかく、美乃の知り合いだっていうのはアタシにとって凄く心強い」
結局私達は、ほぼ毎日のようにソレイユに通うのが日課になっていた。
飲み物のみの注文も大丈夫なのに、ついうっかり、プチガトーまで頼んでしまう。タルト・フリュイをつつく紫の横で、私はフォンダン・ショコラを口に運ぶ。
「にしても。美味しいわよねぇ、このケーキ。桐島さんって腕がいいんだ」
お互いの皿を、一口ちょうだいなどと言いながら食べ比べる。さっくりとしたタルトの上に、カスタードクリーム。彩る真紅の苺とクランベリー。
「問題は体型維持だね」
いくら甘さ控えめ・カロリー控えめと書かれていても、これじゃきっと効果は無い。
「アタシは大丈夫よ。太りにくい体質だもん」
「えー。ずっるいなぁ」
「美乃は辛抱強く、筋トレでもしてなさいって」
そういえば、彼女がカロリーに悩まされているのを、出逢ってから一度も見たことがない。どういうことかと思えば。太らないなんて、うらやましいことこの上ない。
でもさ、と会話を続けようとすると紫は、あ、と声を洩らして私の背後に視線を吸い寄せられていた。
余所行きの笑顔が誰に向けられているのかは、振り返らずにも分かった。けれど、私もつられて後ろを振り向く。
「いらっしゃい。美乃ちゃん、紫ちゃん」
そこにはやはり、彼の爽やかな微笑。
「こんにちは、桐島さん。おじゃましてます」
「今日も来てくれたんだね。いつもありがとう」
紫に合わせて、ぺこりと頭を下げる。
そこから先は、心を弾ませた紫が朔也兄さんと楽しげに喋るのを黙って見ていた。
美味しいです、とか、これはどうやって作っているんですか?とか。そんな彼女に、ひとつひとつ丁寧に答えるパティシエ。
楽しそうな紫を見て、安心する。
実際のところ、朔也兄さんに用事があるのは紫だから。
私は、恋する彼女のただの付き添い。
の、はずなのに。
なんとなく、胸の奥がもやもやするのは何故だろう?
「今日も朔也くんのお店に行くの?」
四月も終盤の、土曜日の午後。
玄関で靴を履いているとき、そう母親に声をかけられて我に返った。
「あ、うん」
このところ、紫がバイトでいけない日も、私はソレイユに通っていた。ただの付き添いなのだから、ひとりででも行く必要なんてない。ぼうっとする頭を幾度か振って、母を振り返る。
「じゃあお土産に、オペラとパリジェンヌ買ってきてよ」
前払い、と手を出すと、千円だけ渡された。
足りない。足りなかったら言いなさい。あとで払うから。
言い負けて、しぶしぶ千円だけ財布に入れ家を後にした。
美乃が出て行った後、彼女の母・美紀は投函ポストの中身を確認した。
新聞の投げ込みチラシに雑ざって、ひらりと封筒が足元に落ちる。
それを拾い上げて、何気なく送り主を確認する。
「あれ。桐島さんから何か来てる……あら、朔也くん」
静かにクラシックのかかる店内で、苺の綺麗なフレジエを前に、ぼんやりと時を過ごす。
どうして私、ここにひとりで来てるんだろう。
プチガトーが美味しいから? 居心地の良い空間だから? それもあると思う。
けれど一番の理由は、他にある。
紫と二人で座る指定席。無意識のうちに、目が厨房のドアに吸い寄せられる。
ああ、いけない。
忘れていた気持ちが、朔也兄さんに再会したことで掘り起こされていた。
それを今は、はっきり自覚している。
朔也兄さんを好きなのは、紫なのに。
麗らかな午後の陽気に、だんだんと目蓋が重くなる。