ようこそ、偽アカシアへ。
こちらは私、朝斗の今までの作品展示室となっております。
過去作品から随時追加予定です。
同じものを掲載していますが、若干の推敲をしている場合もあります。
詳しくは『はじめに』をご一読ください。
私はぐったりしながらカナリアの後を歩いた。
足取りが確実に朝より重い。
「高層ビルにも、観光タワーにも、電波塔にも。病院にもいないし、街の中をうろうろしてる様子もない…本当に、この辺りにいるの?」
あれからも白ハトに導かれて随分回った。なのに、一向に冬の影すら見当たらない。しかし依然としてカナリアの口調ははっきりしていた。
「そうよ。破片をどうすることも出来なかった場合、冬はあなたを頼ってくるでしょうから」
「どういうこと?」
「所有権放棄」
ああ、そういえばその選択肢もあるって言ってたっけ。
彼女は速度を緩めることなく、つかつかと歩いていく。空の人間には『疲労』という概念はないのだろうか。青い髪を見つめながら足を前に進める。
気がつけばまた繁華街に戻ってきていた。朝も待った信号で再び立ち止る。その隙に彼女に追いついて並んだ。
「あなたを騙すか何かして、所有権を譲渡させるのよ。ただし、違法行為だけれど」
違法行為。カナリアの話を聞くとそれは『タブー』という意味らしい。
「普通は破片に持ち主がつくことすら間違っているの。だって、空は誰のものでもないでしょう?」
私は言葉もなく頷く。確かに『所有権』なんて妙な決まりだな、とは思った。
信号が青になって、歩道橋を渡る。カナリアは続ける。
「それでも事実上の所有権が発生するのは、ここが地上だから。大地は空じゃない。大地では大地の掟に則らなければいけない」
大地の掟か。いわゆる、あれかな? 『郷に入っては郷に従え』。ローマにいる時はローマ人と同じようにするのが望ましい。
「そうか…じゃあカナリアや冬にとっては窮屈な場所なんだね」
「垣根を分けるのには重要なことよ」
彼女の肩でクルル、とハトが頷いた。
「ところで、その鳥ってハトだよね?」
私はさっきから役に立ってるのか惑わしているのか判別しにくいそれを指さした。忠実に肩に留まり続ける鳥なんて今までにお目にかかったことがない。
「ハト? ああ、ニンゲンはそう呼ぶのよね。でもコレは鳥よ。他の何でもないわ」
「ハトは鳥の種類でしょ?」
鳥は総称では? 私は重ねて問い返す。すると今度は私を諭すように説明を始めた。
「鳥は鳥なの。あなたたちニンゲンも、姿形が違うだけでいちいち種類をつけないでしょ」
「え、でも、アメリカ人とか、フランス人とか」
「それは住む場所や話す言葉で分けた言い方。ニンゲンはどこに居てもニンゲンでしょ。鳥だって、見た目が多少違って、アメリカにいてもフランスにいても鳥は鳥なの」
どうも空の上では生物分類の科と属以下をまるっきり割愛しているらしい。それにしても、ハトって何百種類もいなかったっけ? 空の常識と地の常識は、同じ尺じゃいけないみたいだ。
私は質問を変えた。
「じゃあ、カナリアはいつもこの鳥を何て呼んでるの?」
「鳥、とか、この子とか」
「何か、愛情がない」
「呼び方と愛情は比例しないわ」
なるほど、それは正論だった。呼び名なんてなくても、愛着は湧く。
「でも、そうね。名前を付けてもいいかもね。ねえサキ、この子の名はあなたが考えてくれる?」
「私が?」
突然の提案。そんな重要なことを、私が決めていいのだろうか。少々ひるむ私に、カナリアが頷く。
「そう。わたしは『名前』をつけたことがないから、どうしていいか分からないの」
「うーん」
急に『決めて』なんていわれてもなぁ。このハト(カナリア曰く『鳥』)とも会ってまだ日が浅いし、愛称付けの手がかりになるような目立った特徴も見当たらないし。
「じゃあ桜」
「サクラ?」
私はもう散った後の桜並木を見て候補を挙げた。すると意外にも、カナリアの反応は上々だった。
「確か、春に咲く花ね。薄紅色の美しい花。いいじゃない、気に入ったわ。あなたの名前は、今からサクラよ」
そう言って、肩に乗る鳥の羽を撫でる。ハトは嬉しそうに目を細めた。クルル、と、おそらく了承の返事。本人も気に入ってくれたようで、とりあえずは一安心かな。
…ただし、ここだけの話。
名前の付けかたなんて所詮インスピレーションだ。と、私は思う。
意味より響き。その証拠に、ウチのペット(柴犬)の名前は『つくね』だ。父命名。『軟骨』や『豚トロ』にならなくて良かった。
ちなみに「ああ、桜餅食べたいなぁ」と思った挙句の提案とは黙っておこう。
「さて、サクラもサキも、次の場所に行きましょう」
余談だけれど、私はずっと『サキ』と呼ばれ続けるのかな。
私達はカナリアの肩に留まりっぱなしの白いハトに導かれ繁華街へやってきた。
「で、どうするの?」
無駄に信号待ちなんてしながら、カナリアに尋ねる。彼女は彼女でハトを見る。
というか…こうして信号待ちをしている少女が空を司っているなんて、他の誰が信じるだろう。見た目に多少問題があるけど、(だって青い髪だし、肩にハトなんて留めてるし、)横断歩道を渡ろうとしてるなんて、やってることが平凡すぎる。
「この子はあの建物に反応してるわ」
カナリアが真っ直ぐに人差し指を向けた。私もそちらを見る。
それは、地上10階建てのショッピングモールだった。
あれ…もしかして、私本当に買い物に来たんだっけ? ちょっと錯覚をおこしかけて、頭を振った。
「あそこの…どこ?」
「それは分からないわ」
え。
悪びれもせずにさらっとそんなことを言う。
「普通に考えると最上階だろうけど、あの中に涼しい場所があればそっちかもしれないわね」
「それはまさか…一階ずつ確認するんじゃないよね?」
大丈夫よ、とカナリアは自信満々だった。
さすが空の人間。何か、てっとり早い方法が?
「一階ずつこの子の反応を見れば、わざわざ各階を歩き回らなくて済むから」
それはなんとも、頼もしい。
私の希望は、もはや粉々だった。
ううん。もしかすると、最初から無かったかもしれない。
更に誤算だったのは、その建物には地階が3階あったことだった。私達は地下の駐車場から確認して歩くことになった。
ひとつ階を登るたびに、少しウロウロしてハトの様子を伺う。何もなければまたひとつ上がって、少し歩き回って、その繰り返し。少し期待していた5階の『夏先どり水中花草展』にも冬の姿はなく、8階の倉庫スペースにも、9階のひとけの無い書道展にも、10階のレストランにも見当たらなかった。
「おかしいわね」
そう言いたいのはこっちだった。
「確かにこの子はここを向いてさえずったのに。移動したのかしら」
私達は10階の大窓から外を眺めた。勿論、冬の姿を見つけられるはずは無いけれど。
クルル。
またハトが鳴いた。今度は、向こうの観光タワーを見ている気がする。
「行きましょう」
「うん」
先を促す彼女に、私も頷いた。
これは…思っていたよりも大変な仕事だったみたい。安請け合いした過去の自分を少しだけ呪う。
「その『冬』はピースを奪って何をしたいの?」
タワーを目指しながら、私はずっと気になっていたことを聞いた。
『思いのまま』というのは聞いたけれど、思いのままにして何をしたいんだろう? 冬を長くしたいのかな?
「地球を救いたいのよ。彼なりにね」
「救う?」
「地球温暖化って知ってる?」
ちきゅうおんだんか。地球温暖化。
それは随分前から馴染みのある、それでいてどこか現実味に欠けた言葉だった。
カナリアがそんな言葉を知っていることにも驚いたが、とりあえず頷く。
「冬の民は、病み始めた自然を憂えているの。このままじゃ自然は…地球の未来は危ないと」
それは、私達人間の間でもうなされているかのように叫ばれている台詞だった。
「だから彼らは地球を冷やそうとしている。短絡的思考よ。『暑いなら、冷やせばいい』」
なるほど。簡単かつ、分かりやすい話だ。
「集めた破片を冬の支配化に置き、元通りにはめ込んだ空を年中寒くしておく。そうすれば少しでも地球が冷めるのではないか? だから、もっと破片が欲しい。それが冬の民の考え」
そうか。奪ったピースを冬空にして元に戻せば、その場所だけは冬の気候になるのか。熱湯にぎんぎんに冷やした氷をたくさん浮かべれば、確かにいつか常温に戻るかもしれない。
私はそこに、冬の自然に対する思い遣りの心を感じてしまった。
「…でもね」
見ると、カナリアは苦々しい表情を浮かべていた。それは呆れと言う名の、静かな怒り。
「自然の均衡を崩すことは、今以上に世界を危ぶませることになるのは間違いないの。たったひとつの破片でも」
私はここに来て、破片の重要さを理解した。そして、自然の複雑さを。病の深刻さを。
やっぱり駄目なんだ。ピースは取り返さないと。
いくら冬が地球を想っていても、間違った手段では救えないのだから。
いつもは昼過ぎまで眠る土曜の朝。空は快晴。玄関で靴を履いていると、お母さんが背後から不思議そうに声をかけてきた。
「早いわね。出かけるの?」
「ああ…うん。ちょっと買い物に行ってくるね」
勿論買い物ではないのだけれど。それでもお母さんには微塵も疑う様子はない。
「お昼は?」
そう聞かれて、少しの間考える。お昼まで帰れるかどうかはパズルを取り戻せるかにかかってる。
「うーん…もしかしたら食べてくるかも?」
私はこれ以上いるとボロが出ると思い、急いで玄関を出た。
公園には10分で到着した。そこでは近所の子供達が遊具で遊んでいたけれど、さすがにその中にあの少女の姿はなかった。
そういえば、時間の約束をしていなかったな。
藤棚の下に腰掛けて、腕時計を見ようとして気がついた。
どうするんだろう? 彼女が来るまで、私はずっと公園で時間を潰さないといけないのかな?
しかし、それは杞憂だった。
なぜならそれから幾らもしないうちに、彼女がやってきたからだ。
「サキ」
聞き覚えのある、ちょっと気の強そうな声。そして妙な呼び方。きっとカナリアだ。声のしたほうを見る。
そして呆然とした。
そう。確かにそこに彼女はいた。しかし、それは地上の話ではなかった。
彼女は空中に浮いていたのだ。
正しく言うと、どこかから下降してきた感じだ。おそらくは、空の上から。
「少し待たせたかしらね」
彼女はふわりと地面に下り立った。服の乱れを直していると、続いて白ハトが降りて来て肩に留まった。
登場の仕方にもびっくりしたけれど、更に驚いたのは彼女の容姿だった。
「カナリア…?」
太陽の下で見る彼女は、青空色の髪と夕空色の瞳をしていた。きらきらと輝くような晴れ空。透けるような、薄い青色だった。それと対を成すような、黄金にも近い橙色。少し青色がかっているように見えるのは、やはり夕空を模したものだからなのかもしれない。
そしてワンピースは紺。もしかしたら、夜空を彩った色なのだろうか。所々にレースが施されていて、その色のお陰でどことなく大人っぽく優雅に見える。髪の色とよく合っていた。
全身で、空の全てを表したような色遣い。
今までにカナリアには二回会っていたけれど、どちらも夕闇の中で気がつかなかった。
「その色…ホンモノなの?」
つまりは、地毛で、天然でその色なのかということだ。カナリアはこくりと頷く。
「そうよ。空を任された者は、空と同じ色を持つの」
彼女は白ハトの羽を撫でた。
それにしても、昨日の『証拠』よりも、今の登場の仕方とこちら容姿の方が見た目分かりやすかった気がする。
私の心中などつゆ知らず、彼女は今日の本題に入った。
「『冬』についての情報を集めてくるのに少しかかったの。それから、彼のことをどうするかも評議してきたわ」
評議。どうやら空を任された者というのは大勢いるらしい。
「やはりサキが出会った冬は日本の指揮みたいね」
どうでもいいけど四季を指揮するって言葉としてややこしいな。
「破片を自由に使えない彼はまだこの近くにいる可能性が高いわ。そして暖かいのは苦手だから、涼しい場所か高い場所に潜んでいるというのが話し合った結果よ」
「この辺で涼しい場所か高い場所…今の時期はクーラーもまだ入っていないし…」
私が考え込んでいると、カナリアの白ハトが鳴いた。それを聞いて顔を上げる。するとハトは私のほうを向いてクルルと声を発していた。
カナリアはその頭を撫でた。
「だいたいは、この子が空を追ってくれるから分かるわ」
「わ…私は持ってないよ?」
「分かってるわよ」
一応断ってみたけど、彼女の言い方は容赦ない。それから、私の背後を指さして言う。
「冬は向こう。ここから南東のほうにいるのよ」
南東。それは明らかに、繁華街がある方向だった。
ごめんねお母さん。やっぱりお昼までには帰れそうにない。