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むせ返るような芳香、甘い蜜。蝶のような優雅さで。 そのカラダに鋭い棘を隠して。
はじめに

ようこそ、偽アカシアへ。
こちらは私、朝斗の今までの作品展示室となっております。

過去作品から随時追加予定です。
同じものを掲載していますが、若干の推敲をしている場合もあります。
詳しくは『はじめに』をご一読ください。
2008.5.6 Asato.S
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 ちらほら、花の蕾のほころんだ4月。

 高校に続く上り坂も、桜の薄紅で彩られていた。
 陽射しも温かい。授業さえなければ、こんな日に学校なんて行きたくないくらいに。

「春です」
 友人・谷竹紫は、満面の笑顔で指を一本立てた。そして私に、『春といえば?』という質問を投げかける。彼女の少し赤い髪が、太陽に照らされて艶やかな光沢を纏っていた。
「恋の季節です」
 そして考える隙も与えてくれないまま、ひとりで答えを提示する。
 私は思わず笑った。紫にかかればきっと、夏だって秋だって恋の季節に決まってる。

「この前まで、世界史の橘が格好良いって言ってたじゃない」
 私は昨年授業を習った、二十代後半の独身教師の顔を思い出しながら言った。しかし紫は顔をしかめながら、不服そうに首を振る。
「あの人はダメ。去年の期末点くれなかったんだもん。お陰で追試よ」
 あれは失敗だったわ、と、ひとつ溜め息を漏らす。
 柔らかな春風が、頭上の桜をちらちら舞わせていた。ああ、お花見の時期だ。

「紫は恋多き女だねぇ」
「美乃が無さすぎるだけなのよ」

 髪についた花弁を取ってくれながら、私の恋模様の少なさを憂う。
 私達はとても気の合う同士だけれど、恋愛に対する姿勢だけは真逆だ。常に恋人や想い人がいる紫と、どんな素敵な男性がいても「感じのいい人だなぁ」としか思わない私。
 精神的に充分間に合ってる。勿論、いつも恋にきらきらしている紫を、凄いなぁと尊敬しているけれど。

「今度は誰?」
「『ソレイユ』のパティシエのお兄さん」
 にこにこと笑う紫。
 『ソレイユ』とは、聞いた事のある名前だった。確か、駅前近くにあるケーキ屋さん。
 彼女の話によると、以前ケーキを買いに行った時、そのパティシエさんにヒトメボレしたのだという。

「というわけで。放課後、付き合ってくれるよね?」

 突然、紫は私の手を掴んだ。真剣な目で私の顔をじっと覗き込む。
 仕方無いなぁ、と苦笑しながら、半ば勢いに負けて頷く。惚れっぽいけれど彼女はいつだって真っ直ぐだ。
 するとまた、ぱぁっと顔が明るくなった。
「頼りにしてるわよ、天城美乃さん」
 今まで掴んでいた手を離し、ブレザーの肩をぽんと叩く。
 桜の花弁がひらひらと舞って、今度は紫の頭についた。



 フランス菓子店『ソレイユ』は、駅前通りから横道に一本入った、静かな場所にあった。
 真っ白な壁に、大きな硝子窓。垣根伝いに鮮やかな花のプランター。入り口には金の文字で『soleil du sucre』。
 店内に入った私達は、レジとショーケースの様子が伺える一角に座り紅茶セットを注文した。
 アッサムのミルクティーをくるくるかき混ぜながら、私はレジに目をやった。カウンターの後ろに厨房に続く扉が見える。パティシェはそこから焼きたてのケーキを運んでくることがあるという。

「居ないね」
「おかしいわね…」
「さっき顔を出したのは女のパティシェさんだったし」
「女性のパティシエはパティシエール。パティシエは男性名詞よ」
 厨房を凝視しつつミルフィーユにフォークを差し込んでいた紫が、ふとこちらに視線を向ける。
 紫は意外にも知識が豊富だ。
 それなのに勉強になると、途端に追試に追い込まれたりする。どうしてだろう。

「もう帰ろう?」
 店内のからくり時計が5時を知らせた。3時過ぎから居たから、かれこれ2時間経とうとしている。外も次第に薄暗くなってきた。
「私、6時からバイトなんだけど…」
 もう少しだけと、両手を合わせる紫。ケーキ代奢るから、と。
 仕方ない、あと少しだけ付き合ってあげるか。
 腕時計も確認しながら、ここからバイト先までどれくらいかかるか計算する。

 私だって、人を好きになることくらいある。
 好きだったお向かいの家のお兄さんが上京してしまってからは、ほとんどそんな気持ちを抱えたことはないけれど。

 ここからなら20分で着くかな。
 逆算しながら、もう冷めてしまったミルクティーを口に運んだ。

 その時だった。


「美乃!来た来たっ!」

 紫が出来る限りの小声で叫んだ。それを聞いて、ふと時計から顔をあげる。
 見ると、焼きたてのフィナンシェを持って来た所だった。真っ白のコックコート。美味しそうなフィナンシェ。
 しかしそれよりも。どこかで覚えのある、その顔立ち。黒い髪。

 彼を見て、私は息を呑む。
 嘘。あの人って…

 向かいに座る紫が、弾んだ声で教えてくれた。

「あの人が私の恋のお相手、桐島朔也さん」


 きりしまさくや。
 それは昔大好きだった、お向かいのお兄さんの名前だった。

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