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むせ返るような芳香、甘い蜜。蝶のような優雅さで。 そのカラダに鋭い棘を隠して。
はじめに

ようこそ、偽アカシアへ。
こちらは私、朝斗の今までの作品展示室となっております。

過去作品から随時追加予定です。
同じものを掲載していますが、若干の推敲をしている場合もあります。
詳しくは『はじめに』をご一読ください。
2008.5.6 Asato.S
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 桜の下に立つのはもはや彼一人だけ。
 そこに誰かが居た形跡さえも見当たらない。反対に、最初から誰も居なかったかの様に。

 それでも春樹は、驚くことなく彼女の居た辺りを見つめていた。
 ケーキをその場所に置く。
 さっきまで、彼女の立っていた場所に。

 暫くケーキに視線を注いでいると、まるで彼の目から遠ざけようと、その上を覆うように花片が散った。


 春の好きな女性だった。
 とりわけ桜が大好きで、桜が咲くたびにこの丘で花見をした。彼女の作ったケーキと、愛する人達に囲まれて。

 優れた美人・精神美。
 桜の花言葉通りの女性だったと聞いている。よくは覚えていない。いつも頭に浮かぶのは、写真の中で優しく微笑む、彼女。
 もう声も覚えていなくて。

 共に過ごせた時間は僅かだった。
 けれども彼は、その存在を忘れることはなかった。だから彼女も、思い出の場所でずっと待っていた。
 花陰で、桜色の日傘を差しながら。

 チッ、チッ。
 手の中で、時を刻む。
 父から借りてきた彼女の形見。
 彼女の時間は止まっていても、春樹自身の時間はまだ先が長い。
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 丘を降りて、来た道を戻る。
 手には銀色の懐中時計を握り締めて。
 そろそろ、帰りの飛行機の時間が迫っている。
 あまり店を開けられないから。
 彼女と、彼女のケーキを愛した人が居たように、彼もまたたくさんの人に必要とされている。


「――ああ、間違えた」

 丘をゆっくり下りながら、途中で振り返る。
 彼が去るのを待っていたかのように、待ちくたびれたように雨が止む。
 雲が切れた。
 きらきらと春の陽が差し込んだ。
 切り取られた空の中を、燕が舞った。

「そうか。また待たせることになるんだね」
 申し訳なさそうに、それでもクスリと微笑んで。桜の木に向かって叫んだ。
 もうその場所に、彼女は居ないけれど。


「今度は80年後にね。母さん」

 そのときは、もっとたくさん話をしよう。

了.

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