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むせ返るような芳香、甘い蜜。蝶のような優雅さで。 そのカラダに鋭い棘を隠して。
はじめに

ようこそ、偽アカシアへ。
こちらは私、朝斗の今までの作品展示室となっております。

過去作品から随時追加予定です。
同じものを掲載していますが、若干の推敲をしている場合もあります。
詳しくは『はじめに』をご一読ください。
2008.5.6 Asato.S
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 雨の下で、春樹はひとり話し続けた。
 目の前の女性は一向に話しかけてはくれなかった。彼だけが必死に、短い言葉でどうやって想いを伝えられるかと、言葉の限りを尽くした。
 時間はあまりない。
 もう、いつまでも彼女を、ここに縛っていてはいけない。
 
 話すことはたくさんあった。
 けれど全てを話すには、色々なものが不足していた。
 
「俺、パティシエになったよ」
 白く輝くコックコート。よく馴染んだ、適度に糊の薄れたエプロン。それが、彼の仕事着だった。

「貴女と同じパティシエに。…似合うかな」
 彼女はゆっくり頷いた。嬉しそうに、幸せそうに。
 相変わらず何も語ろうとはしないけれど、彼の声は、確かに届いている。
 

 春樹は抱えていた箱の、濡れて少し重くなった紙の蓋をそっと開けた。
 中からワンホールのケーキを取り出す。それを、彼女の目の前にそっと差し出した。
 
 桜の花弁をあしらった、華やかな桜色のケーキ。
 春樹が彼女のためだけに作った、最初で最後のケーキだった。

「ありがとう。今まで、本当に」

 そうすることで、全ての想いを。今までの全ての感謝が、彼女の元へ届くように。
 
「産んでくれて…ありがとう」
 
 女性は、優しく微笑んだ。
 そして春樹に向かって頷く。何度も、何度も。
 声が出ない代わりに。せめて残った想いだけは伝わるように。
 
 その時、奇妙なことが起こった。

 桜の木の下に立っている彼女の姿が、雨に当たる度に透けて行く。
 その変化に、彼女自身も気がついた。
 そしてもう一度、淋しげな表情の彼に頷いて見せる。

 春樹は、黙ってその様子を見ていた。

 ぱさぱさ。
 霧雨に掠められる度に色が薄れて、

 傘が消える。
 大地を踏みしめていた足が消える。
 白色のセーターが消える。
 肩より長い髪が消える。
 そして、優しい微笑が。
 
 いくらもかからない内に、桜の色の中に溶けるように消えた。
 

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