むせ返るような芳香、甘い蜜。蝶のような優雅さで。 そのカラダに鋭い棘を隠して。
はじめに
ようこそ、偽アカシアへ。
こちらは私、朝斗の今までの作品展示室となっております。
過去作品から随時追加予定です。
同じものを掲載していますが、若干の推敲をしている場合もあります。
詳しくは『はじめに』をご一読ください。
2008.5.6 Asato.S
「…懐かしいな」
久々の故郷は、何も変わっていなかった。
こじんまりした駅舎も、駅前通の商店街も。長く歩いた上り坂も。角のタバコ屋も。
そして、竹林に紛れるように立った、我が家も。
高校から都会で暮らして、そのまま大学に入って。
田舎に辟易していた僕は、ほとんど実家に顔を出すこともなく、いつの間にか月日だけが7年も経っていた。
しかしどうだろう。この懐かしさは。あんなに嫌だった田舎風景が、こうも愛おしいとは。
どうやら都会慣れした僕の心は、何かに飢えていたようだ。潤いとか、ゆっくり流れる時間とか、そういうものに。
「ただいま」
突然帰ってきた息子にも、母は何も聞かなかった。
まるで朝出掛けていった子供を迎えるように、ただ「おかえり」と笑顔を向けてくれた。
その代わり、夕飯は豪華だった。父は帰ってくるなり晩酌をした。家を空けているうちに成人していた僕を相手に。
夏を温かいと感じたのは、初めてだった。
それから何をするでもなく毎日を過ごした。お盆が終わり、もう8月も終盤という頃まで。
家でごろごろしたり、小さい頃遊んだ河原を散歩してみたり。10年ぶりに訪れた駄菓子屋のお婆ちゃんが、僕のことを覚えていてくれたのには泣きそうになった。そこで食べたかき氷の味までなにひとつ変わっていなかった。
蝉時雨、夕立、入道雲、遠雷。
オニヤンマ、クロアゲハ、カブトムシ、アブラゼミ。
打ち水、水中花、蚊取線香、風鈴の音。
ぶらぶらと歩く僕の横を、少年達が騒ぎながら駆けていった。その中に自分の面影を見た。友人達と遊びまわった、きらきらした夏休みを。
だから思い切って、その日の晩の夏祭りに足を運ぶ気になったのだ。
きっと、夏祭りも昔のままなんだろうな、と期待に胸を弾ませながら。
その子を見つけたのは、人混みの真ん中だった。
神社の境内。揺れる灯の下に、辺りを物珍しそうに見回しながら歩く男の子が一人いた。黒髪黒目のほっそりした体、小学校の中頃くらいの見た目で、一丁前に浴衣など召している。
「どうしたの?」
僕はしゃがみ込んで声をかけた。くりくりした大きな瞳がこちらを見上げる。
「迷子かな?」
「ちがうよ」少年は首を振る。
「ひとりで見ていただけ」
決まり悪そうに目をそらした。どうやら、少し人見知りらしい。
迷子なのかそうでないのか、どちらにせよこの子の母親はどこだろう。いくら田舎の夏祭りだとは言っても、人混みの中に子供が一人、というのは危なっかしい。
どうしようかとまた声をかけようとしたとき、少年がふいに振り向いた。
「あれなに?」
「どれ?」
少年はそらした視線の先に何かを見つけたようだった。指差す先を目で追う。するとある出店が、せっせと機械を動かしているところだった。それで作った品物がカラフルな袋に詰められて、正面にいくつも吊るされている。
「あの、白くてふわふわしたもの」
「あれは、綿飴だよ」
僕はやさしく彼に笑いかけた。そう、最近の僕は何やら心が寛大なのだ。
「わたあめ? あめ?」
「ざらめを入れてあんなふうになるんだ」
「ふうん」
少年はもう一度『わたあめ』を見つめた。
「わたあめは初めて?」
「うん」
返事をしながら、視線を綿菓子から放そうとしない。
「でも、ボクお金ないんだ」
淋しそうな顔つきで、瞬きも少なに綿菓子を目に焼き付けている。
僕は立ち上がって、お店の店主にお金を渡した。
久々の故郷は、何も変わっていなかった。
こじんまりした駅舎も、駅前通の商店街も。長く歩いた上り坂も。角のタバコ屋も。
そして、竹林に紛れるように立った、我が家も。
高校から都会で暮らして、そのまま大学に入って。
田舎に辟易していた僕は、ほとんど実家に顔を出すこともなく、いつの間にか月日だけが7年も経っていた。
しかしどうだろう。この懐かしさは。あんなに嫌だった田舎風景が、こうも愛おしいとは。
どうやら都会慣れした僕の心は、何かに飢えていたようだ。潤いとか、ゆっくり流れる時間とか、そういうものに。
「ただいま」
突然帰ってきた息子にも、母は何も聞かなかった。
まるで朝出掛けていった子供を迎えるように、ただ「おかえり」と笑顔を向けてくれた。
その代わり、夕飯は豪華だった。父は帰ってくるなり晩酌をした。家を空けているうちに成人していた僕を相手に。
夏を温かいと感じたのは、初めてだった。
それから何をするでもなく毎日を過ごした。お盆が終わり、もう8月も終盤という頃まで。
家でごろごろしたり、小さい頃遊んだ河原を散歩してみたり。10年ぶりに訪れた駄菓子屋のお婆ちゃんが、僕のことを覚えていてくれたのには泣きそうになった。そこで食べたかき氷の味までなにひとつ変わっていなかった。
蝉時雨、夕立、入道雲、遠雷。
オニヤンマ、クロアゲハ、カブトムシ、アブラゼミ。
打ち水、水中花、蚊取線香、風鈴の音。
ぶらぶらと歩く僕の横を、少年達が騒ぎながら駆けていった。その中に自分の面影を見た。友人達と遊びまわった、きらきらした夏休みを。
だから思い切って、その日の晩の夏祭りに足を運ぶ気になったのだ。
きっと、夏祭りも昔のままなんだろうな、と期待に胸を弾ませながら。
その子を見つけたのは、人混みの真ん中だった。
神社の境内。揺れる灯の下に、辺りを物珍しそうに見回しながら歩く男の子が一人いた。黒髪黒目のほっそりした体、小学校の中頃くらいの見た目で、一丁前に浴衣など召している。
「どうしたの?」
僕はしゃがみ込んで声をかけた。くりくりした大きな瞳がこちらを見上げる。
「迷子かな?」
「ちがうよ」少年は首を振る。
「ひとりで見ていただけ」
決まり悪そうに目をそらした。どうやら、少し人見知りらしい。
迷子なのかそうでないのか、どちらにせよこの子の母親はどこだろう。いくら田舎の夏祭りだとは言っても、人混みの中に子供が一人、というのは危なっかしい。
どうしようかとまた声をかけようとしたとき、少年がふいに振り向いた。
「あれなに?」
「どれ?」
少年はそらした視線の先に何かを見つけたようだった。指差す先を目で追う。するとある出店が、せっせと機械を動かしているところだった。それで作った品物がカラフルな袋に詰められて、正面にいくつも吊るされている。
「あの、白くてふわふわしたもの」
「あれは、綿飴だよ」
僕はやさしく彼に笑いかけた。そう、最近の僕は何やら心が寛大なのだ。
「わたあめ? あめ?」
「ざらめを入れてあんなふうになるんだ」
「ふうん」
少年はもう一度『わたあめ』を見つめた。
「わたあめは初めて?」
「うん」
返事をしながら、視線を綿菓子から放そうとしない。
「でも、ボクお金ないんだ」
淋しそうな顔つきで、瞬きも少なに綿菓子を目に焼き付けている。
僕は立ち上がって、お店の店主にお金を渡した。
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