ようこそ、偽アカシアへ。
こちらは私、朝斗の今までの作品展示室となっております。
過去作品から随時追加予定です。
同じものを掲載していますが、若干の推敲をしている場合もあります。
詳しくは『はじめに』をご一読ください。
振り返る。生垣の向こうから顔を出したのは、白くもなく耳も持っていない一匹の…一人の兎。
「フィン?」
私は条件反射で立ち上がった。
そろそろ会議の時間だっただろうか。いや、でも、と肝心の議長はすぐ横で優雅にくつろいでいるのを思い出して、首を振る。
その議長、つまり《お茶会の帽子屋》は、血相を変えてやってきた一人の兎を見てくすくすと笑った。
「おやおや、白兎が珍しいね。さすが《アリス》の誕生日」
来るの分かってたくせに、と、テーブルの端でメリルが呟くのが聞こえた。果たしてジョシュアにまで聞こえたかどうか。
「ごきげんよう、フィン。君もどうかな?」
ジョシュアが白々しく席を勧める。
するとフィンは私のすぐ横の椅子に腰掛けた。
「勿論お邪魔しますよ、ジョシュア」
勿論?滅多にお茶なんて飲まない白兎が、あろうことか三月兎のお茶会に参席するなんて。
私は色々な意味で目を丸くしながら、『腹心の部下』である白兎に尋ねた。
「どうしたの、そんなに急いで」
「さっき、時計が鳴っただろう?会えてよかった」
そう言うと、私の目の前に花束を差し出した。
「これは?」
抱えきれないほどの、柔らかな白。真っ白な薔薇の花束だ。
赤より眩しくなくて、黄色より優しい色だった。
「《女王》に頼んで戴いて来た。逢いたくて飛んできたんだ。君の生まれた日を祝いたくて」
幸せそうに微笑むフィン。一方の私は、突然のことに戸惑うばかりだった。
けれど、その言葉を聞いて納得する。
ああ、そうか。さっきの鐘の音は、これのことだったのね。
「さあ、リラ。受け取って。僕からの気持ち、プレゼントだよ」
なんだか少しくすぐったい。けれど、それは懐かしい感覚。
これこそが忘れていた、誕生日の気持ちかもしれない。
「彼女も君に宜しく言っていたよ、それからキングも」と、フィンはもう一つ、正方形の箱を私にくれた。どうやら皆が私の誕生日を知っているらしい。そう考えてから、じゃあ、あの人はどうなんだろうとぼんやりと思う。今も蔵書室に籠もっているのだろうか。
白兎に貰った、純白の花束。ふわりと香る清純な優しさ。思わず口元がほころぶ。
お茶会の席が埋まったところで、執事長がティーカップを5つ並べた。
テーブルの真ん中に大きなフルーツケーキ。
「それでは、皆が揃ったところでお祝いしましょう」
そして、私に向けられる4人の瞳。くすぐったいけれど、温かくて。
ダミアンの言葉をきっかけに、フィンが口を開く。彼は迷いの無い声で言った。
「リラ。この国のアリス」
「私達を導いてくれる少女の生誕を祝って」
その後に続くのは、皆の声。少しだけ涙が出そうだった。
「「誕生日おめでとう」」
I wish you many happy returns of the day!
この日が何度も廻ってきますように。
Back
私は暫くの間呆然と時計塔を見上げていた。鐘の余韻の中、思い出したようにジョシュアを振り返る。彼は再び平然と紅茶を飲んでいた。
「新しい日を知らせる音。それから、ある人物を呼ぶ魔法の音でもある」
そう言って、何だか可笑しそうに笑う。ねぇ?と執事長に同意を求めるように見上げると、彼もまた微笑む。私だけが蚊帳の外だ。
同じ時間を示す、二つの時計。つまりは、もしかして、本当に時間が動いた?私の世界と仕組みが違うのなら、有り得ない話でもないのかもしれない。心なしか、淡色の空も少し前とは違う表情を浮かべている気がする。
首を傾げるのに忙しくしていると、二人分の視線が私に注がれた。
「さぁ。時間ですよ、アリス。正真正銘、今このときが貴女の生まれた時間」
「そうだね、貴女の世界の言葉を借りるなら」
コトリ、と陶磁のカップが下ろされる。
広がるのは、ダージリンと、飾られた薔薇の甘い香り。
「I wish you many happy returns of the day.」
「お誕生日ですから、ケーキを用意してみました」
ダミアンがどこかに消えたかと思うと、暫くして大きなケーキを運んできた。
苺に桃に、林檎。果物が飾られたフルーツケーキだ。
「わぁ…すごい。美味しそう」
目の前に据えられて、感嘆の溜め息を漏らす。遠い記憶の中、私が見てきたどんなバースデーケーキよりもきらきらと輝いて見える。
紅茶の種類も、先刻まで飲んでいたものとは種類が違う。ジョシュアが用意してくれた茶葉で、名前は『BIRTHDAY』。まさにこの瞬間のためのブレンドだよ、と彼は嬉しそうに胸を張る。
三月兎の庭に再び全員が揃ったところで、帽子屋は辺りを見渡した。
「さて。テーブルも整ったことだし、お誕生会を始めたいところだけど」
首を伸ばして、薔薇の生垣の向こうを覗き込む。何かを探しているように見える。
同じようにして、ダミアンが言葉を継いだ。
「足りませんね。賓客が」
「今、来るよ」
突然聞こえた第三者の声に、私は思わず背筋を伸ばした。目をやるとメリルが珍しく顔をあげている。
「急ぎ足でこっちにやってくる」
随分久々にその声を聞いた気がする。彼の起きている顔を見るのも久しぶりだ。さっきの鐘の音でも目を覚まさなかったのに。
私は起きている彼に気をとられてしまって、彼の言った『誰』がこちらにやってくるのかを尋ねるのに遅れた。
そのうちに、今度はまた別の聞き慣れた声が私を呼んだ。
「それなら、誕生日にしようか」
ふいにジョシュアの瞳と言葉がこちらに向いた。
驚いて、思わず間の抜けた声を出してしまう。
「え?」
「誕生日。今からこの場所のこの時間を《アリス》の…リラの誕生日として祝おう」
「それは良いですね」
名案だといわんばかりに、ダミアンまでもがにっこりと頷いている。
私は微笑む彼に両手を振って遠慮の意思を示した。
誕生会なんて、なんだか照れくさい。
「ただのお茶会で充分よ。誕生日でないなら、アンバースデイね」
その言葉をどう取ったのか、ダミアンは笑ってゆるりと首を横に振った。
「いえいえ、簡単なことですよ。時計を進めればいいだけのことです」
「え、なに?」
今度は、意味が分からなくて聞き返してしまう。
何が簡単?お茶会を誕生日仕様にすることが?でも今の言い方そうではなかった。
三月兎の言葉に帽子屋までもが賛同した。
「大丈夫。貴女はこの国のアリスだからね。鍵は持っているね?止めるのも、動かすのも。時間を示すのは全て貴女」
私はてっきり、形だけの誕生日会をしてくれようとしているのだと理解していた。
なのに、どうも彼らは本当に『誕生日』を祝ってくれるらしい。
まさか、そんな。
おや、信じられない?苦笑しながら、ジョシュアはテーブルの端においてあったそれを引き寄せた。
「じゃあ例えば、この時計」
差し出されたのは、昼の三時を知らせる置時計。ティータイム中はずっとテーブルにある、馴染みのものだった。
「貴女の思うまま、貴女の望むまで好きなだけ回してご覧」
当たり前のように促す帽子屋。彼らの顔を見渡す。ジョシュアもダミアンも、真面目な顔をしていた。
私はと言うと、今更になって彼らの『善意』を拒む気も起きなかった。こっそり当惑の溜め息をついて、ジョシュアに促されるまま長針を右回りに進めた。
こんなことをしたって、この時計の示す時間が変わるだけなのに。
半信半疑、ほとんど信じられない面持ちで、薦められるまま針を動かす。
だいいち、時計では時間が分かっても日にちまでは分からない。
そのはずなのに、私の指は導かれるようにくるくると長針を回していく。
くるくる、くるり。
くるくる。くるくる。
カチリ。
ここだ、と思った瞬間。
私の動かしていた針が、意志でもあるかのように一定の時間で停止する。
それは、何度回したのか、数回目に迎えた12時の知らせ。
頭上で輝いていたはずの鐘が響いた。驚いて瞬きを繰り返す。
見上げると時計の塔の時刻もまた、目の前の時計と同じ時刻をさしていた。
ゴーン、ゴーンと、雄大に響く鐘の音。
時間を知らせる音。始まりを告げるような音だった。