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むせ返るような芳香、甘い蜜。蝶のような優雅さで。 そのカラダに鋭い棘を隠して。
はじめに

ようこそ、偽アカシアへ。
こちらは私、朝斗の今までの作品展示室となっております。

過去作品から随時追加予定です。
同じものを掲載していますが、若干の推敲をしている場合もあります。
詳しくは『はじめに』をご一読ください。
2008.5.6 Asato.S
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両手に溢れる幸せ
Many happy returns


 穏やかな午後のひととき。
 もう何度も招かれている、三月兎の庭のお茶会。

 テーブルを囲んでいるのは私とジョシュアだけだった。メリルもいつものように参席しているけれど、いつものように端っこで転寝しているから頭数には入っていない。
 真っ白なクロスと、テーブルの上まで飾られた艶やかな薔薇。そしてアフタヌーンティーのセット。
 その香りの中にふいに《帽子屋》ジョシュアの声が落ちた。

「誕生日?」

「そうよ」

 私は頷いた。
 ダミアンの淹れてくれた紅茶。砂糖を入れなくてもほのかに甘い、フレーバーティーの味が口の中に広がる。

 そう、そろそろ私の誕生日のはずだった。
 はず、というのにはちゃんとした理由がある。

「勿論、この国の時間の流れでは違うんでしょうけど。私のいた場所ならそろそろ、って思っただけ」

 私がこの国に来てから、どれだけの時間が経過したか分からない。もしこの国の時間の流れが私の居た場所と同じならば。そんなことを思い出して、ふと口にしてみた。ただそれだけのことだった。

 しかし、それもまた淡い夢の話。

 この場所とあの場所の微妙な差異にはとっくに気がついていた。
 秩序というか、摂理というか。存在そのものは同じものに見えていても、世界が動いていくためのルールが違う。
 だからきっと、時間の流れも違う。どちらが早いのか、どちらが狂っているのかはもう分からないけれど。

「規則正しく刻む時間が懐かしい?」
 
 ジョシュアが問う。私は首を傾げる。

「うーん、どうかしら」

 分からない、というのはほとんど本心の全てだった。
 
 元々優柔不断なのだ。それは分かっていた。
 それに何故か、帰れないとは思ってもいなかったから。

「高校にあがってからは、誕生日らしい誕生日なんてしてなかったから。あまり実感がないのよね」

 私は曖昧に答えを歪めて返した。
 おそらく、ジョシュアが聞いたのは、そういうことじゃない。その時間の中に帰れないことが淋しいか、そう言っているのだろう。

 けれど、本当に実感がない。今のこの場所でも、以前の場所にいても、実感というのもは私と縁遠い存在。
 現実感。本当は、気付きたくないだけかもしれない。白兎が言うように、逃げているだけなのかも。

 でも今は、誕生日さえ迎えられないことに少しだけ。
 少しだけ寂しさを憶える。

「生誕の日というのは大切ですよ。私達だって、何を忘れようと生まれた日と親の存在だけは決して忘れない」

 ふいにジョシュアの声が遠くなった気がして、私は顔をあげた。
 後ろで束ねた彼の薄茶の髪が、柔らかな薔薇の風に揺れる。

 ジョシュアは遠くの青空を見ていた。
 違う、おそらくは、遠い昔を見ていた。
 彼らの存在が私とは違うものだということも、薄々は気がついている。重なる部分が少ない私達。その両者が交わる少ない点が、生まれた日を持っている、ということ。
 誰でも、どんな存在でも、初めて命を得た瞬間というものはあるから。

「そうね…代えられないものね」

 そう返す以外に、なんと答えられただろう。

 私が遠ざかったもの。そして、彼らは無くしてしまったもの。
 後悔しても今出来ることは限りなく少ない。
 

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「でも私、役に立っていない」
 いつの間にかまた俯いて、紅茶の中に映る自分を見つめ返していた。
「前の場所でもそうだった。私は誰の役にも、何の役にも立っていなかった。ただ生きて、そこに居るだけだった」

 『誰でも良かった』。そう白兎が言ったのはいつだったか。
 自分が居なくなっても、誰も困らず、苦しまず、淋しがらない。だからリラはあの世界で一番、居なくても問題のない人間だった。
 居ても居なくても、何も変わらない。
 それはどうも、この世界でも同じなのではないか。なら、なぜ私はここにいるのか。
 前の世界でもそうだったように、そのうち不要になって放り出されるのではないか。
 
 
「白兎を恨んでいますか」

 思考に沈んでいると、声が少女を現実に引き戻した。顔を上げる。穏やかな瞳、憂いを含む微笑み。帽子屋の言葉とベルガモットの香りがリラを包み込む。

「ひいては私達を。貴女をアリスに選び、アリスでいることを望んだ私達を、貴女は疎ましく思いますか」
「…いいえ」

 静かに首を振る。
 始めは理不尽だと感じた。けれど今は。フィンも、この世界の人々も、不思議と誰のことも恨んではいない。彼らは必死なのだ、現実に存在を留めることに。
 けれど、恨まれるべきだとは思っている。少女自身が恨まれるべき存在なのではないかと不安になるのだ。

「この世界を救いたいと思うわ」
 それが答えになっていないことは承知していた。
 何もしないことと、何も出来ないことは違う。なのに彼らは、少女を責めたりしない。むしろ。

「いいんです。今はなにもしなくても。いつか、もし何かしたくなれば始めればいい。永遠に何もしなくたって、私達は貴女を恨んだりしません。少なくとも今の私達は、貴女が居てくれるだけで幸福なんですから」

「…ジョシュア」

 受け入れる温かさに、リラは胸が詰まった。
 私はここに居て大丈夫なのだと信じさせてくれる。錯覚させてくれる。
 たとえ、据えられた玉座が継ぎ接ぎで出来ていても。

 『逃げてはいけないよ。仮初の居場所でも、ここでは“意味”から逃れることはできないのだから』。
 私は、意味を持てるだろうか?
 
 
「さて。紅茶はいかがですか。もう冷めてしまったでしょう」

 また心がひずみ始めた、その感傷を打ち消すように三月兎が声をかける。
 見上げると、その先に輝く太陽にも似た微笑みが見守っていた。帽子屋の微笑みもまた、いつもの快活なものに変わる。

 途端に恥ずかしくなる。優雅なお茶の席なのに、自分はどうしてこんなに暗いのだろう。
 それを誤魔化すように、感謝の気持ちを笑って呟いた。

「うん。…あの…ありがとう」

「いいえ。どういたしまして、アリス」

 心得たように、執事長は目を細めた。


End.

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 三月兎が引いてくれた椅子に腰掛けると、テーブルの上にはあっという間にアフタヌーンティーの一式が並べられた。
 帽子屋はというと、リラの正面の席に座って既にティーカップに口をつけている。
 
「この庭は彼が維持しているんです」
「庭を?ダミアンは執事長でしょう?」
「はい。でも『庭師』があんな状態ですから」

 ジョシュアはちらりとテーブルの隅に視線を投げた。つられて目をやると、どうやら昼下がりのお茶会には先客がいたらしい。
 しかし、その先客は突っ伏して寝息を立てていたが。

「彼は?」
 伏せているので顔は見えないが、印象的な銀色の髪が陽光を反射させている。年の頃はおそらく、ジョシュアやダミアンよりはリラに近いだろう。

「《鼠》です。庭の手入れを取り仕切る存在。あまりに寝てばかりなので『眠りネズミ』と呼ばれています」

 またひとつ新しい役職を知った。《鼠》は庭師のことらしい。この国では少し奇妙な役職名が並んでいて、リラを困惑させる。《兎》や《鼠》と冠されていても動物のそれとは異なるのだ。つくづく、自分の国とは仕組みが違うのだと思い知らされる。
 しかし、リラを一番困らせているのはそんなことではなくて。

 
「この国には慣れましたか」
 三月兎…執事長が紅茶を淹れる様子を見つめていると、ふいにジョシュアが尋ねた。

「うーん…そうねぇ」
 答えを待つように、帽子屋と三月兎、二人分の視線がリラに注がれる。

「慣れたといえば慣れたけれど、慣れないといえば慣れないわね」
「なにがいけません?」
 尋ね加えたのはダミアンで。リラは少し言いよどんでから口にした。
「…なにもしなくていいこと」
 真っ白なティーカップが差し出される。その中の芳しい茶色を見つめながら、言葉を繋げる。
「ホワイト・ラビットは…フィンは何もしなくていいというけれど、本当にいいの?アリスは国を纏める存在なんでしょう」

「事実、なにもしなくてもいいでしょう?」
 ジョシュアは慰めるように問いかける。リラが顔を上げると、優しい笑顔が迎えた。

「アリスというのは、この国の柱で、この国の象徴なんですよ。アリスさえ居ればこの国は姿を保っていられる。今はまだ不安定ですが、そのうち大地も空も元通りになります」
「…前のアリスが消えたから、この国も消滅しかかったのよね」

 それは文字通りの『消滅』。事実、この世界は今も不安定さから解放されない。
 リラがこの場所に来てからずっと、空の色は薄く、太陽と月が一緒に出ている。城壁の外、広大な草原はあちこちうねっているし、小川のせせらぎはどこかでせき止められているのか、絹糸ほどしか流れていない。平静を保っているのは城壁の内側だけ。

 それらは納まってきているというが、リラの目には変わらず異常にしか映らない。
 だから少女は悩むのだ。

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冬に包まれる季節。
詳しくはFirstを参照ください。
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