ようこそ、偽アカシアへ。
こちらは私、朝斗の今までの作品展示室となっております。
過去作品から随時追加予定です。
同じものを掲載していますが、若干の推敲をしている場合もあります。
詳しくは『はじめに』をご一読ください。
寝静まった夜の世界は、静かでした。
ただ波の音だけが聞こえます。
月はまだ出ていました。きれいな満月でした。
その光をたよりに、私は山へ続く道を急いでいました。
ここは、ある国の港町。海と森に囲まれ、山を背にした小さな町です。昼間は賑やかなこの町も、夜になった今はひっそりとしています。
月に照らされた町で、動いているのは私だけ。
山が近づくにつれ、いつの間にか波の音さえ聞こえなくなっていました。
そんな何の音も聞こえない闇の中で、唯一私の耳に入った音がありました。
「おやおや。こんな遅くにどこへ行くのかな? アリシア」
それは人の声でした。
しかも、聞きなれた友達の声。
「セシル!」
振り返ると、小さな時計灯の下に、月明かりを浴びて一人の青年が立っていました。
彼はいつも通りの笑顔で、私の方へやって来ました。
「どうして?」
「部屋の窓から、君が走っていくのを見てね。追いかけてきたんだよ」
セシルは最近この町にやって来た絵描きでした。
普段はあちこちを旅して絵を描いていて、今はたまたま近所の宿に泊まっています。
私はその不思議な旅の画家と友達になりました。
いつでも彼の行く先についていって、その仕事ぶりを眺めるのが好きでした。
「この先は山だよ。夜のひとり歩きは危険だ」
「だって…絵の具が…」
「もしかして、僕の絵の具の瓶かい?」
私は黙って頷きました。
それは私が昼間に失くしてしまった絵の具です。
彼はガラスの小瓶に入った素敵な絵の具を持っていました。まるで自然の色をそのまま絵の具にしたような、いきいきとした色。
その中に、不思議な輝きをする透明な青い絵の具がありました。
私も大好きな色だったのに、草原のどこかに紛れこませてしまったのです。
家へ帰ってからもずっと、失くした絵の具が気になって仕方がありませんでした。
ベッドに入っても眠れない。セシルは諦めたようだったけれど、私はだめでした。だからこうして、こっそり家を抜け出してきたのに。
さすがに怒られて連れ帰られるのだろうとしょんぼりするしかありません。
しかし、彼が言った事は、私の思ったこととは全く逆のことでした。
「……仕方ないな」
「え?」
「君だけじゃ危ないよ。僕も一緒に行こう」
「怒らないの?」
「アリシアは意外と頑固だからね。それに、少しくらい夜の散歩をするのもいいさ」
セシルはそういって微笑むと、私の先に立って歩きだしました。