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むせ返るような芳香、甘い蜜。蝶のような優雅さで。 そのカラダに鋭い棘を隠して。
はじめに

ようこそ、偽アカシアへ。
こちらは私、朝斗の今までの作品展示室となっております。

過去作品から随時追加予定です。
同じものを掲載していますが、若干の推敲をしている場合もあります。
詳しくは『はじめに』をご一読ください。
2008.5.6 Asato.S
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「そんな訳無いだろう」
 
 青年の問いに、随分な間を持った後に猫は答えた。
 続いていく轍から目を離し、じろりと青年を睨みあげる。
 
「お前はどうなんだ、彼方」

「僕?僕は、」
 その瞳に苦笑しながら、青年は返す。
 
「あの子が幸せならいいと思うよ」
「このまま終わることが、幸せだと思うか?」
「さぁね。でも少なくとも」

 そしてその微笑みに、憂えるような陰りが見えた。


「僕は淋しいね」

 こいつも変わってきているのかもしれない。猫はその穏やかな表情に目を細めた。
 『彼女』に会ってから、少しずつだけれど変化している。
 
 
「白夜!」
 
 声がして、二人は振り返った。
 石畳の向こうからひとりの少女がやってくる。
 
「こんにちは、紫遠ちゃん」

「あ、彼方さん。こんにちは」

 にこりと完璧な笑顔を浮かべる青年に、紫遠は頭をさげて笑い返した。そして、足元の猫を嬉しそうに見下ろす。

 
「こんなところにいたのね。そろそろ帰りましょう」
 
 

 小鳥屋の主人に別れを告げて、二人は家路へと着いた。
 まだ成人していないうら若い少女と、漆黒の毛並みに身を包んだ喋る猫の取り合わせはまるで童話のようだった。

 いつの間にか灯ったガス灯の色に導かれ街を出て、隣り合った田舎町へ向かう電車に揺られる。
 次第に夕暮れていく窓の外を見ながら、ふいに少女は猫に尋ねた。

 
「二人で何を話してたの?」

 丸まっていた猫は、ヒゲを揺らして目を細める。

「別に、なんでもないよ。世間的なくだらない話だ」

「二人は意外と仲がいいよね」

「そうかな」

「そうよ」

 それから、視線が彼女の手元の買い物袋に吸い寄せられる。おそらく、今夜の夕飯の食材が揃っているのだろう。

「それで、イワシは買ってきてくれたかい」

「もちろん。帰ったらマリネにしましょう」

 少女はふわりと笑う。
 
 タタン、タタンと規則的な音をさせて列車は枕木を踏んでいく。
 ふいに落ちる静寂。紫遠は窓の外のオレンジを眺めた。雲が、不安の色をした雲がどこかに流れていく。


「ねぇ白夜」

「なんだい、紫遠」

「これからも、一緒にいてくれるよね」


 その声が不安げに聞こえて、猫は紫遠を見上げた。
 

 黄昏の色が少女の瞳を揺らしている。
 だから、猫は彼女の隣に寄り添うのだ。
 ぐるぐると喉を鳴らして、自らの額をその震える手に摺り寄せる。
 


「勿論だよ。君を置いてはどこにも行かない」
 
 
 その言葉を彼が言うのは二度目だと、傍らの少女は知るよしもない。

 
End.

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 古い城壁に囲まれた、迷路のような街だった。
 その中央にそびえる時計塔が5時を知らせる。
 
 真白い石畳の通り、両側に平然と並ぶガス灯。いずれもなかなかの歴史を持ったものだった。城壁もあちこちが崩れていて、今や遺跡のように街を縁取っているだけ。
 一軒の小さな店の前で、黒い猫とひとりの青年が言葉を交わしていた。
 

「このままでいいのか」

 それは自問だった。側に立つ線の細い青年ではなく、自身が帰依するひとりの少女ではなく、猫の姿をした魂の、自分自身への問いだった。
 

「それは、僕に聞いている?」
 独り言だと知りながら、青年はわざと問いに応える。

 猫は何も言わない。青年を振り向きもしないで、碧色の瞳を蒼天へと向ける。

 常春のような暖かい空。
 しかしその空の端は、今や煤けて崩れている。
 城壁と同じだ。まるで上塗りしたペンキが乾いて剥がれたように。
 
 黒い猫はぼんやりとその『空白』を見つめる。
 その不安定な蒼の上を、変わらずに雲が流れていく。

 変わらずに。

 それが少女の不安を掻き立てているのは間違いないだろう。
 柔らかな綿雲。あれが流れていく先の世界を、少女は知らない。だから憧れるのだ。
 
 西の森が色を失ったことも、噂に聞いている。砂浜が広がって砂丘を作り始めたのは、数十年も前のことだ。
 ―もう時間がないのかもしれない。
 

「夢は、覚めなければいけないと思うかい」

 青年が問う。
 猫は応えない。

「彼女が消えることを、君は望んでいるのかな」
 
 少女は夢を終わらせようとしている。
 この鳥籠の世界を。
 何百年も前に作られたこの夢の国を。
 けれど夢が終わるということは。
 すべてが無くなるということ。
 
「シオン」
 
 石畳に薄く残った轍のあと。
 これが刻まれたのはおそらく、二人が出逢った頃だろう。
 少女が今の少女ではなく、猫が人に化ける術を憶えた頃。

 時計塔に暮らしていた『少女』は、ひとりだった。今とは異なる容姿で、ひとり夢を紡いでいた。
 
『綺麗な黒の色ね』
 
 まだ只の猫だった彼に、彼女は微笑んでくれた。そして淋しいと、手を伸べてくれた。
 だから猫は決意したのだ。彼女のために人になろうと。
 たとえ自分だと気付いてもらえなくとも、ひとりの人間として支えになろうと。
 初めて、誰かの側に居たいと。
 
 なのに、シオン。
 君は、あの全てを無に帰するというのか。
 私達が出逢ったことも、人間の君を愛しく思ったことも、命を終えて離れ離れになった寂しさも、時を経てまた新しい君と再会したあの喜びも。
 


 夢が終われば、夢は消える。

 そして夢を見ていた本人も。

 夢の外の存在の私だけ残して。

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 建物の陰で闇が歪んで、瞬く間に広がった。
 重くねっとりした、虚ろな影。それはまるで、ヒトの心そのもののように揺れていた。
 闇。人を蝕むもの。
 心を喰って存(ながら)えるもの。
 
 僕の目の前にはひとりの少女がいた。
 線の細い、太陽の下なら何処にでも馴染める風貌。闇に釣り合わない儚げな存在。瞳だけは前を見据えていて、そのくせ目の前のものは見ていないようにも思えた。
 華奢な右手には日本刀。
 それひとつで、彼女の存在は強く有色化されていた。
 
 こうして後姿を見るのは何度目になるだろう。
 幽かな月光と、強い紅を浴びた彼女は美しかった。
 自らの手で生み出した紅。人を斬ると血が溢れるように、闇を斬れば禍々しい色の光が流れる。人のそれより透明で、そして穢れたもの。色素の薄い瞳は、その色の妖艶さだけを上手く写し取っていた。
 
「お疲れ様」
 彼女は何も言わなかった。ただ一瞥をよこして、所在無げに目を逸らした。瞳は僕を見ていない。代わりに僕の中に蠢くであろう闇を見る。
「少し時間がかかったね。怨みを狩るのは辛い?」
 微笑のうちに尋ねる。無感情の上に僅かばかりの憂愁を乗せた横顔が、小さく答えた。
「…疲れているだけよ」
 何も言われずとも分かっていた。
 彼女は僕を信用していなくて、それでいて頼っていること。
 
 
 ――僕は彼女の生命を縮めている。

 出逢ったばかりの彼女は、可哀想なくらい惨めだった。
 自分を惨めな存在だと思っていることが酷く惨めだった。
 涙を流しながら闇を切り刻む彼女そのものを、僕が刻んでしまえたらどれだけ愉快だろうと歯噛みした。
 あれからどれだけ経っただろう。
 それは刹那のようでもあり、悠久のようにも感じられた。

「久遠」
 彼女が紅に染まった右手を差し出した。それを恭しく受ける。僕は棘を吸い出すがごとくその指に軽く唇をあてる。
 紅光と共に彼女の生気を貰う。花が血を吸うようにして、命の破片を得る。こうすることで僕は少しずつ命を永らえ、彼女は命を縮める。

「顔色が悪いね」
「貴方の所為でしょう」

 少女は最初から青ざめていた。
 不安なのだろう。闇と戦い続けること、このまま闇の中で生き続けなければいけないことが。何も分からぬまま、夜が深くなることが。
 
 『最後には、私の命をあげる』。

「何か、考えている?」
 彼女は少し困ったように目を伏せた。理由無く心が揺れ動くことに戸惑っていた。
「…いいえ。何も」
 そうして口を閉ざす。僕だけが次々と喋って。
 何も言わなくとも、僕は全部知っている。記憶は彼女の魂の欠片とともに少しずつ体内に蓄積して、それと比例して彼女は少しずつ忘れていく。
 彼女自身も気付いていないだろう。
 否、忘れてしまったというのが正しいか。
 
 これは契約という名の願い。
 僕がここにいて、彼女がこうして生きることが彼女の望み。

 『だから、最後まで“今の”私に従って』。
 目の前の少女はあの頃とまるで違う。泣きそうだった表情は消え、代わりに無邪気な笑顔も見られなくなった。斬れば斬る程に鮮やかな色が薄れ、限りなく白に近づいていく。
 それが哀しくも嬉しい。
 何故なら、白を最も濁らせるのが黒だからだ。

 君の求めている答えは、僕が全て持っている。
 僕の正体も、彼女の未来も。戦いの結末も。
 全て、全て、全て。

 
「また、闇が鳴いてる」
 虚空を見上げ、平坦な言葉が吐き出される。
 僕は耳を澄ました。人間には聞き取れない慟哭を聞く。薄く笑いながら、彼女の共鳴に同意する。
「次の場所に向かおうか、『唯』」
 
 確かなのは名前。その文字が表すように唯一の持ち物。
 その名を呼ぶ瞬間だけ、彼女の瞳には強い色が戻る。
 

 本当の事は何も言わず、ただ彼女の傍に。
 君が忘れてしまった賭も、僕は最後まで記憶に刻んでおこう。
 たとえ契りで繋がった浅はかな糸でも、それがどれだけ不安定で刹那的な存在だとしても、僕にとっては確かな糸だから。

 だから最期の瞬間、君が命を投げ出す瞬間。僕は今まで奪ってきたものの全てを返そう。
 僕は充分生きた。君のお陰で充分永らえた。
 きっと君は泣いて嫌がるだろうけど、君が目を背けたものは全て必要なものだから。
 死を願った君には、それ以上の罰を。
 
 それに気がつくまでは、君も僕も愚かなままでいい。
 そして僕だけは、最後まで愚かなままで。
 
「久遠」
 時折思い出したように僕の名を呼ぶ。
 だから僕も同じ数だけ、彼女の名前を返す。

 

 今はそれだけで充分だった。

 
 
END.

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冬に包まれる季節。
詳しくはFirstを参照ください。
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