むせ返るような芳香、甘い蜜。蝶のような優雅さで。 そのカラダに鋭い棘を隠して。
はじめに
ようこそ、偽アカシアへ。
こちらは私、朝斗の今までの作品展示室となっております。
過去作品から随時追加予定です。
同じものを掲載していますが、若干の推敲をしている場合もあります。
詳しくは『はじめに』をご一読ください。
2008.5.6 Asato.S
「……さっきとの違いは分かった?」
「え?」
半ば独り言に近い、返答を必要としないような僅かな声量。けれどその目は確かにこちらを見ていた。
僕は思わず聞き返す。彼はすぐに軽く首を振った。そうして、珈琲に角砂糖を沈める。
「なんでもないよ。ただの冗談だ。ところでさっきの続きだけどね、この店には迷子がよくやってくるんだ」
深い琥珀色の中に消える真白い四角。僅かに気泡が返ってくる。
彼はその中に更にスプーンを差し入れて。
「誰かの逃がしてしまった迷い鳥。何らかのタイミングを逃して見失ってしまった鳥が、ここにやってくるんだ」
それから、ちらりと僕を見た。その瞳に悪戯な色を浮かべながら。
「あと、人間の迷子も、たまにね」
可笑しげに微笑む目元。僕は思わず口をとがらせた。
「それって、僕のことですか?」
「どうだろうね?」
その微笑みを隠すように、籠の中の鳥が鳴いた。それを境に音が消えた。無音の上に彼方さんの声が上書きされていく。
「僕はそれらを保護しているだけに過ぎない。今居る大半も、似たようなものかな。ここで新しく生まれるものもいるよ」
掻き混ぜたカップの中には螺旋が浮かんでいた。苦いのか甘いのか、黒と、ゆるやかな白が混じる混沌とした渦。
世界の始まりは混沌だという。僕達はその中で生まれ、その元へ帰っていく。
まるで分からぬまま、自分の知らないうちに根源へと。
焦り、怯え。
それを目の前の彼は繋ぎとめていてくれる。
そう、例え言葉の上だけでも。
「雨が止んだね」
言葉につられて窓の外に目をやる。細く開いた空から、光が注いでいるのが見えた。
石畳の上、残った水溜りで反射していた。うっすらと雲が映っていた。
その眩しさに僕は現実を思い出す。引き戻されるように顔を上げる。
「じゃあ僕、そろそろ帰ります」
僕は慌てて残った珈琲を飲み干した。思った通り、底のほうが甘い。カウンターの側で主人が頷いた。
「そうか、そうだね。また降ってくる前に、早く行った方がいい」
「あの、また来てもいいですか」
椅子をテーブルの下に押し込みながら尋ねた。
この現実から隔絶されたような空間が、その中に佇む彼が羨ましくて。そしてとても安心出来るこの小さな店にいつの間にか愛着が湧いている。
社交辞令とは違う。またこの人と話したい。また、この場所に来たい。
その時にまたここに辿り着けるかは、自信がないけれど。
「勿論、きっとまた会えるよ、必ず」
「きっとと必ずは、どっちが強いですか」
冗談めかして言う。彼方さんは一瞬不思議そうな顔をしたが、すぐに心得たように可笑しそうに笑った。
「必ず、かな」
店中の鳥達が羽ばたき、囀っていた。時間が戻ってきたようだった。
彼方さんが見送りに扉を引き開ける。その横をすり抜けて、太陽の光の下に出た。西の空がまだ薄暗かった。
「君がいつ来てもいいように、珈琲を用意して待っているよ」
戸口に佇む温かい微笑み。僕もまた微笑んで会釈をする。石畳に一歩目を下ろした。
振り向いてもう一度頭を下げる。すると店主は頷いて、それから、ゆっくりと腕を下ろした。
最後の最後に、ふと目を細めた。
扉が閉まるその刹那、声が聞こえた気がした。
「早く抜け出せるといいね。この、リンネの輪から」
店のドアが音も無く閉じた。
「え?」
半ば独り言に近い、返答を必要としないような僅かな声量。けれどその目は確かにこちらを見ていた。
僕は思わず聞き返す。彼はすぐに軽く首を振った。そうして、珈琲に角砂糖を沈める。
「なんでもないよ。ただの冗談だ。ところでさっきの続きだけどね、この店には迷子がよくやってくるんだ」
深い琥珀色の中に消える真白い四角。僅かに気泡が返ってくる。
彼はその中に更にスプーンを差し入れて。
「誰かの逃がしてしまった迷い鳥。何らかのタイミングを逃して見失ってしまった鳥が、ここにやってくるんだ」
それから、ちらりと僕を見た。その瞳に悪戯な色を浮かべながら。
「あと、人間の迷子も、たまにね」
可笑しげに微笑む目元。僕は思わず口をとがらせた。
「それって、僕のことですか?」
「どうだろうね?」
その微笑みを隠すように、籠の中の鳥が鳴いた。それを境に音が消えた。無音の上に彼方さんの声が上書きされていく。
「僕はそれらを保護しているだけに過ぎない。今居る大半も、似たようなものかな。ここで新しく生まれるものもいるよ」
掻き混ぜたカップの中には螺旋が浮かんでいた。苦いのか甘いのか、黒と、ゆるやかな白が混じる混沌とした渦。
世界の始まりは混沌だという。僕達はその中で生まれ、その元へ帰っていく。
まるで分からぬまま、自分の知らないうちに根源へと。
焦り、怯え。
それを目の前の彼は繋ぎとめていてくれる。
そう、例え言葉の上だけでも。
「雨が止んだね」
言葉につられて窓の外に目をやる。細く開いた空から、光が注いでいるのが見えた。
石畳の上、残った水溜りで反射していた。うっすらと雲が映っていた。
その眩しさに僕は現実を思い出す。引き戻されるように顔を上げる。
「じゃあ僕、そろそろ帰ります」
僕は慌てて残った珈琲を飲み干した。思った通り、底のほうが甘い。カウンターの側で主人が頷いた。
「そうか、そうだね。また降ってくる前に、早く行った方がいい」
「あの、また来てもいいですか」
椅子をテーブルの下に押し込みながら尋ねた。
この現実から隔絶されたような空間が、その中に佇む彼が羨ましくて。そしてとても安心出来るこの小さな店にいつの間にか愛着が湧いている。
社交辞令とは違う。またこの人と話したい。また、この場所に来たい。
その時にまたここに辿り着けるかは、自信がないけれど。
「勿論、きっとまた会えるよ、必ず」
「きっとと必ずは、どっちが強いですか」
冗談めかして言う。彼方さんは一瞬不思議そうな顔をしたが、すぐに心得たように可笑しそうに笑った。
「必ず、かな」
店中の鳥達が羽ばたき、囀っていた。時間が戻ってきたようだった。
彼方さんが見送りに扉を引き開ける。その横をすり抜けて、太陽の光の下に出た。西の空がまだ薄暗かった。
「君がいつ来てもいいように、珈琲を用意して待っているよ」
戸口に佇む温かい微笑み。僕もまた微笑んで会釈をする。石畳に一歩目を下ろした。
振り向いてもう一度頭を下げる。すると店主は頷いて、それから、ゆっくりと腕を下ろした。
最後の最後に、ふと目を細めた。
扉が閉まるその刹那、声が聞こえた気がした。
「早く抜け出せるといいね。この、リンネの輪から」
店のドアが音も無く閉じた。
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