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むせ返るような芳香、甘い蜜。蝶のような優雅さで。 そのカラダに鋭い棘を隠して。
はじめに

ようこそ、偽アカシアへ。
こちらは私、朝斗の今までの作品展示室となっております。

過去作品から随時追加予定です。
同じものを掲載していますが、若干の推敲をしている場合もあります。
詳しくは『はじめに』をご一読ください。
2008.5.6 Asato.S
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 ペンを握ったまま、真っ白なノートをぼんやりと見つめていた。
 少し年季の入ったヒーターがカタカタと鳴る。外はとうに薄暗く、まだ開け放したままのカーテンの内側で硝子が曇っていた。
 ふわふわと暖かい部屋の空気。遠くを走る電車の音。かすかに聞こえる、時計の針が動く音。
 
 眠いのか、夢を見ているのか分からない。
 ただ時間だけが贅沢に過ぎていく。
 
「手、とまってるぞ」
 テーブルの向こう側に肘をついて、眼鏡をかけた青年がつまらなそうに呟いた。

「だって、分かんないんだもん」
 膨れてみせると、溜め息をつく真似をして口角を上げた。
 頬杖を解いて、少しだけ身を乗り出すようにノートを覗き込む。

「どれが分からない」
「これ」
「錘の体積の公式はなんだっけ?」
「底辺の面積かける、高さ」
「だけ?」
「…かける三分の一?」
「正解」
 
 こっちは円柱だから気をつけろよ、とテキストの右側をつつきながら付け加える。
 そう、贅沢な時間だ。きっと世界一贅沢で、世界一過ぎるのが早い時間。まだ十数年しか生きていないけれど、今までもこれからも、これに優る時間なんてきっと存在しない。それほどに思えるくらいの、憧れと幸せ。
 
「なんか眠そうだね」
 ちらりと視線をあげると、窓外に目を向ける横顔が見えた。
「この時間はね。それにお前の手もよく止まるし」
「でも、今日はいつもより出来てるでしょ?」
「まぁな」
 目線の代わりに言葉が返ってきて、彼はそのまま立ち上り窓際に歩いていった。
 暗闇と硝子に映る白い表情。寄りかかるように腕を組んで、じっとどこかを見ている。欠伸を堪える仕草。所在無げな右手が、ジーンズのポケットに触れる。
 
 そこに何があるのか、私は知っていた。
 

 いつだったか、振り向くとそれを手に眺めていた時があった。格好いいねと言ったら昔の恋人の貰い物だと笑っていた。
「じゃあ、私がプレゼントしたら使ってくれる?」
 その表情が知らない誰かのように感じられて、茶化す振りをして遮った。私の心を知らないまま、彼はいいよ、なんて言ってニヤリと口角をあげた。
「けど、結構高いよ」
 

 いつもポケットに忍ばせている、銀色のオイルライター。
 角に蔦模様とイニシャルの入ったシンプルなデザイン。
 
 使っているところは見たことがなかった。当たり前だろう。彼は仕事中だし、私が彼を知っているのはこの短い時間の中でだけだから。
 けれど、かすかにさせている煙草の香りから、それを吸っている姿は容易に想像できた。


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