ようこそ、偽アカシアへ。
こちらは私、朝斗の今までの作品展示室となっております。
過去作品から随時追加予定です。
同じものを掲載していますが、若干の推敲をしている場合もあります。
詳しくは『はじめに』をご一読ください。
二人で手を繋いで、さっき歩いてきた道を引き返す。遠くからでも商店街から神社までの通りの、ぼんやりと連なる提灯が見えた。蛍とはまた違う、幻想的な光だった。
「そろそろ帰らなきゃ。ボク達のほうもお祭りが始まるから」
再び神社に帰ってきたところで、男の子が言った。
「そうなの? 残念だね、これから河原で花火もあがるんだよ」
「うん、でも、遅れないようにしなきゃいけないから」
そういいながらも、彼は名残惜しそうだった。
ありがとう、と告げて歩き出し、少し行っては振り返り、僕にひらひらと手を振った。
「じゃあね、お兄ちゃん」
僕も答えて手を振った。
「ああ、じゃあね。気をつけて」
少年は石段をおりて、パタパタと駆けていった。転ぶなよ、とその後姿を笑いながら見送る。ああ、名前を聞きそびれた。それに、こんな暗い道、ひとりで帰すべきじゃなかったな。
境内の上からは、田舎の風景が一望できた。彼はどうやら、山の方に向かって帰って行ったらしい。その足取りに迷いは見られなかった。
僕はふと、祭りの喧騒を振り返った。
祭囃子の音は。体の奥に浸透して、静かに僕を沸き立たせる。
人の波の中にいて、突然泣きたくなった。
夏が、全てを置き去りにしていくのだ。
――夏が終わったら、僕も帰ろう。
大丈夫、この優しさと暖かさを持ち帰れば、向こうでもまたやっていけるさ。
だって、僕には故郷があるのだから。
浴衣姿の少年が夜闇の中を駆けていた。
祭囃子ももう遠い、そこは山裾の草原だった。
彼は湖の側に何かの姿を見て、さらに速度を上げる。
「遅かったわねぇ」
草の間を走り下りる彼に、誰かが声をかけた。 少年はその声の主を見つけて嬉しそうに微笑んだ。
「ごめんなさい、おかあさん」
けれど、そこに人間の姿は一つもなかった。居るのは、山に住まう沢山の動物。
「もう始まるわ」
いつの間にか、少年の姿は野原から消えていた。その代わり、少年がさっきまで立っていた場所に一匹の子ギツネが現れた。
それからいくらもしないうちに草原じゅうに青い光が灯された。
蛍にも似た儚い輝きは、湖の中にも反射してきらきらと揺らめいた。
「きれいだね」
「やっぱり、夏を送るならこうでなくちゃ」
「でもね、にんげんのお祭りも楽しかったよ」
煌々ときらめく碧の炎。
蛍よりも鮮やかで、儚く。
星よりも眩しくて、切なく。
炎よりも優雅で、温かい。
無数のともしびが、夜の草原を埋め尽くした。
キツネの夏祭りだった。
完
Back
瞳
ただ
胸奥に
彫り刻む
虹の果てに
思い出を見て
物語は途切れて
美しく散って行く
儚くほどけていく
きらきらと光る
幻のような波
また夢の中
空を掴む
みぎて
刹那
声
開く
夢の夢
からくり
天使の微笑
やがて滲んで
蒼の上に融ける
気が遠のくほどに
果てしなく呼んだ
仮初のあなたの
懐かしき名前
そして輝く
絶望の青
消えて
浮く
泡
憂く
この世
この世界
カモメの声
呼び戻す叫び
はるかはるかに
響いては掻き消え
歪んでは掻き消え
振り返らないで
繰り返す潮騒
いつかの雨
永遠の海
溶けて
弾け
又
明日
ここへ
かならず
還ってくる
そう嘘を吐く
目が醒めて幻夢
目を閉じれば現実
遠くて近い蜃気楼
眩しいのは太陽
淋しいのは白
時はめぐり
時に戻り
始まる
終焉
と
未来
「そうか、よかった」
満面の笑みで少年は綿飴に齧り付いた。それを見て僕も笑う。
今でも覚えてる。初めて連れて行ってもらったお祭りでも、一番に買ってもらったのが綿菓子だった。
なんとなく、幼い頃の自分を見ている気分になった。
「お兄ちゃん、見ない顔だね。ここのひと?」
彼は改めて僕を見ると、そう尋ねてきた。
「昔はね。今は、違うところで住んでるんだ」
「どうして?」
少年は細い首を傾げてみせた。
「だってここ、いいところじゃない。空気もきれいだし、住みやすいよ?」
僕は面食らった。まさかこんな子供から『住みやすい』なんて言葉を聞くとは思わなかったからだ。
「そうだね。どうしてだろう」
苦笑するしかなかった。
本当に、どうしてだろうか。この子の言う通り、ここはとても良い場所なのに。
「多分、昔は何かを勘違いしていたんだよ」
そう。この場所を『寂れた田舎』だと勘違いして、都会へ飛び出した。そこに行けば、何もかもが自由で、進んでいて、探していた『何か』を見つけられるのだ、と。
「じゃあ、今は?」
どこか心配そうに尋ねる彼に、僕は微笑んで見せた。
「今は大丈夫。もう間違ったりしないよ」
それから僕達は、お祭りを片端から楽しんだ。
少年は射的もリンゴ飴も初めてで、始終きゃあきゃあと楽しそうに笑っていた。
僕は惜しみなくそれらにお金を使った。昔は我慢するものもあったけれど、今はもう、そんな必要は無いからだ。
歩き疲れて、僕達は神社の石段に座って休んだ。
「ねえお兄ちゃん、ホタルって知ってる?」
僕の幻影はラムネビンを空にしながら突然尋ねてきた。
「え? ああ…小さい頃は良く見たなぁ」
「ホタルの光も、青白いってほんとう?」
「うん。すこし緑がかった青でね、川のあちこちで瞬くんだ。とても綺麗だよ」
蛍か。最後に見たのは中学校に上がった頃だったろう。もうずっと見ていない。そればかりか、今その名前を聞くまで『蛍』という存在すら忘れていた気がする。
僕は本当に、ここに忘れていったものが多すぎる。
だったら、と少年は立ち上がった。
「ボク、この近くの川で見れるってお母さんに聞いたんだけど、見にいかない?」
神社とその川までは、本当に近かった。神社の裏手から降りて、田んぼ沿いに少し歩いたところにその川はあった。
川というよりは、田園の用水路だった。草を掻き分けて進んでいく。
そして見た。
その静かな流れの上に、無数の光が舞っていた。
蛍だった。
音もなく、光の尾を引いて、暗闇を彩る。
「わぁ…」
少年は感極まったような声を上げた。両手を広げて、まるでその光の帯を捕まえるかのような仕草をした。
同じように、僕も心の中で感嘆の声を洩らす。
夜空に弧を描いて、幽かな灯が行き交っていた。
声を出せないほどに綺麗だった。
何千、というのは少し大袈裟かもしれない。でも、その時の僕には確かにそれほどの輝きに感じたのだ。
少年の指先に、一匹の蛍がとまった。
儚いと思った光は、彼の顔を力強く照らした。