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むせ返るような芳香、甘い蜜。蝶のような優雅さで。 そのカラダに鋭い棘を隠して。
はじめに

ようこそ、偽アカシアへ。
こちらは私、朝斗の今までの作品展示室となっております。

過去作品から随時追加予定です。
同じものを掲載していますが、若干の推敲をしている場合もあります。
詳しくは『はじめに』をご一読ください。
2008.5.6 Asato.S
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「家族といえど、相互理解が大切ですよ。いくら家族でも、踏み入ってはいけない領域があるでしょう?…あなたの場合、少し深刻な気がしますわね」

――…そうですか?

 カウンセラーは「成程」となにやら頷いた。またボードにペンを走らせる。
 それから、ふいに手を止めて、

「まずは、夕飯のたびにおこぼれをねだるのをやめてみては?」

――え、でも。最近はそれが楽しみなんですけど…。

 そこまで言うと彼女は首を振った。
 そうして、じっと僕の目を見る。

「だいいち、あなたの体に良くありませんわ。人間の食べ物は味付けが濃いですから。私も最近塩分は控えめにしてますの」

――そうなんですか…それは知らなかった。
 え、でも。人間の食事ならどうして私の体に悪いんですか?同じ人間なら、問題がないはずじゃぁ?

 彼女は暫く考え込んだ。その間、次の言葉が発せられるのを黙って待つ。
 カウンセラーは、うーん、とボールペンを顎にあてて、

「あなた、鏡を見たことは?」

――最近は見てませんけど…。それがなにか?

 首を傾げると、彼女は取り繕うようにまた頷く。彼女の口から何か教えられるまで、固唾を呑んでその時を待った。
 
 それにしても、さっきから何やら妙な質問ばかり。どういう意味なのだろうか。

「じゃあ一度、見てみることをお勧めしますわ。最近多いんですのよ。自分が誰なのかいまひとつ分からなくなっているかたが」

 それは、つまり。僕にもその傾向があるということなのだろうか。
 自分が誰か分からない?そんなこと、あるはずはないのに。
 僕は僕だ。
 よく分からなくなって、ひたすら首を傾げるばかり。

「人間には尻尾やお髭や肉球はありませんのよ」

 僕は思わず、自分の右手を見る。
 掌に、ぐっと力を込めてみる。ぷにぷにの肉球。にょきりと生え揃った鋭い爪。艶やかな毛並み。

 これが一体、どうしたというのだろう。


「少し、お薬をお出ししましょう。マタタビと煮干では、どちらがお好き?」


 そう言って彼女は初めて、にこりと僕に笑いかけた。
 
 
End

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「はい。では、次のかたどうぞ」

 しずしずと部屋に入っていくと、中央に大きなテーブルがひとつ。その向こうに、白衣を着た女性が座っていた。日本人らしい艶やかな黒髪を後ろで束ね、細い銀の縁の眼鏡をかけていた。きっと、このひとがここのお医者さん。

――よろしくお願いします。

 彼女に向かい合うように空いた椅子がひとつ。
 僕は、薦められるままにその椅子に座った。

「あら、随分変わったお客様だこと」

――え、分かります?

 女性は暗い顔をしている僕を見て、手にしていたボードに何か書き込んだ。
 その手元は伺えなかった。

「分かりますよ。一目瞭然です。それで?今日はどんなご相談で?」

――実は。家族にあまり相手にして貰えなくて。

「あらまぁ、どうして?」

 彼女はただ淡々と問いかえしてきた。
 愛想笑いも、過剰な同情もしないその様子に好感を持った。だから安心して、胸の内を語る。

――さあ…私にはまったく心当たりが無いんです。
 昔はもっと皆優しくしてくれたんですよ?よくお喋りだってしたし。一緒に遊んだり、一緒に寝たりもしました。

――それなのに最近は食事の時間も別々で。話しかけてもあっちに行ってろだの、あとでにしてだの。つれないったら。
 昨日も怒られたばかりで。アレですかねぇ…雨降ってるのに外に飛び出して、泥だらけで帰ってきたのがまずかったですかねぇ。

「そんなことを?」

 僕の話を聞きながら、彼女はさらさらと何か書き加えていく。手元は見ずに、僕の顔を見つめている。
 随分手馴れているようだ。

――はい。でも、仕方なかったんです。カサも無かったし。ちょちょっと濡れないように走って帰ってきた、つもりだったんですけどねぇ。
 でもお詫びのつもりで出したお土産を、そのままゴミ箱に捨てることはないと思いません?私だって、せっかく喜んでもらおうと思ったのに。

――嫌われてるんですかねぇ。

 自信なく呟くと、彼女ははじめて彼女の意見を言った。

「それは無いと思いますよ。大丈夫」

 断言に近かった。
 もしかして、僕のような事例は少なくないのかもしれない。

――え?本当ですか?

 きっと皆、家族関係で悩んでいるのだろう。そう思っただけで、少し気が軽くなった。
 僕だけじゃないのだと。
 思わず、耳の裏をカリカリと擦る。


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嶋原結遊女語

(しまばらむすびゆめがたり)


 
「今宵流るは霞か雲か」

 声が聞こえる。
 艶やかな女の声だった。


「はやる白羽は桜か雪か」

 歌が聞こえる。
 しとやかな御座敷の歌だった。

 
 まだ灯も入らない廓(くるわ)の通り。
 昼見世を控えた大きな置屋の二階、格子の入った窓の中で、一人の遊女が煙管をふかしていた。
 位は太夫に次ぐ天神だった。髪には笄(こうがい)と前びら、べっこうの大櫛、菖蒲(あやめ)の花簪。華やかに着飾った彼女の打掛と帯の見事なこと。

「夢のかんばせ、うつつの瞳。闇に消ゆるは宵烏」

 大門の方角からは喧騒。軒の下、通りは次第に人が賑わい始める。上等の仙台袴の男や、流行りのつぶし島田に結った娘達が擦れ違う。天神はそれに目もくれず、ただ窓の外に広がる薄青の空を眺めていた。
 白い煙と溜め息と歌が空に溶けていく。細い糸を紡ぐように、一人の客が好きだと言った歌を口ずさむ。

「からの足枷、まほろの腕(かいな)。夢見し宴の捨篝――なんて、なぁ」

 その表情にぼんやりとした微笑みが滲んだ。
 彼女は何を見ているのだろう。天上を仰ぎながら心がそこに無いことは、何か物憂げな色を浮かべる瞳が物語っていた。
 
 諦めたように息を吐くその傍ら、ふいに側を通り掛かった影があった。瓦屋根の上を、転がり落ちもせずに歩いてきた小さなもの。


「おや、お前も独りなの」

 天神が声をかけたのは、灰色にくすんだ猫だった。毛並みは悪いが、やせ細っているというほどではない。
 おそらく野良だろう。彼女の所在を知ってか知らずか、格子のすぐ側で丸くなって毛繕いを始める。
 女はそれを暫く眺めていた。
 
「なぁんて。うちも、猫やったら良かったのに」
 
 それから、ふっと笑った。ゆらり紫煙が混じる。
 
「猫やったら、こないな思いせぇへんでも良かったのに」

 猫は振り向きもしなかった。ただ少しだけ顔をあげて、小さくにゃあと鳴いた。


 時間だけが過ぎた。猫は自らの背を熱心に舐め、天神は煙管をくゆらせた。
 やがて襖が開いて、その向こうで可愛らしい禿(かむろ)が頭を垂れる。

「お客はんどす、姐さん」

「はぁい」

 振り向いた顔には、完全な笑顔。
 煙管を置いて、ゆっくりと立ち上がる。

「虚の足枷、幻の腕――」

 その間も唇からこぼれる夢結の小唄。禿を従え部屋を出ようと、足を踏み出す、最中。

 ふいに胸の奥で、懐かしい声を聞いた。

『一緒になろう』

 天神は格子の向こうを振り仰いだ。
 一刹那の後、すいと目を細める。


「嘘吐きな人」


 時代が変わろうとしていた、動乱の浮世。
 
 それが嘘ではないと知りながら、
 少なくとも、相手にとってはまごうことなき本心だったと知りながら。
 女は呟くしか出来なかった。
 


 過ぎるのは、きらめく白刃。
 その時にどこかで散ったであろう、真赤な椿。

 そして二度と逢うことの無い、男の面影。

 
終.


補足:『夢結小唄

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詳しくはFirstを参照ください。
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