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むせ返るような芳香、甘い蜜。蝶のような優雅さで。 そのカラダに鋭い棘を隠して。
はじめに

ようこそ、偽アカシアへ。
こちらは私、朝斗の今までの作品展示室となっております。

過去作品から随時追加予定です。
同じものを掲載していますが、若干の推敲をしている場合もあります。
詳しくは『はじめに』をご一読ください。
2008.5.6 Asato.S
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迷いの森で出逢うもの
See in the Wander Wood

 
 
 何もすることがなくて城内を散策していた。
 ひとりふらふら、あてがわれたエプロンドレスに身を包んで。

 突然連れて来られたのは、名も知らない国のお城。まるで要塞のように高い壁の内側に私は滞在していた。
 私を連れてきた『彼』は言った。『ここに居てくれるだけでいい』と。
 それは愛の台詞でもなんでもなくて、そのままの言葉の意味。
 

 そろそろ部屋に戻ろうかな。そう思ったのに、ふと顔をあげて途方に暮れる。
 続くのは回廊、窓の外には、変わらない灰色の空。

 ――どこから来たんだっけ?

 長い長い赤絨毯を睨んでも道順が分かるはずはない。永遠に続くのじゃないかと不安になる廊下には、同じ様相同じ大きさの扉が沢山並んでいる。私は諦めて、すぐ側にあった大きな扉を開くことにした。

 
 そこは広くて狭い部屋だった。間取りは広いけれど、中に押し込められた沢山のもので空間が狭い。
 どうやら蔵書室のようだ。大木のように本棚が並んでいる。おかげで昼間なのに薄暗い。
 ――学校の図書室とは比べ物にならないわね。
 静謐な空気と、古ぼけた紙とインクの匂い。奥から差し込む陽射しと、ちらちらと舞う埃の陰。それらに誘われるように、本棚の間を彷徨う。
 本の背を飾る文字は殆ど見たことのない言語だ。中には英語に似たものも混じっている。
 私は興味をそそられて、その中の一冊を手に取った。
 開いてみる。頑張ればなんとか読めそうな気がした。
 
 

「ネズミかな」


 ふいに声がした。
 びくりと、背中に緊張が走る。途端に感じられる人の気配。振り返ると、僅かに差し込む光の中に誰かがいた。暗い室内にその陽射しは強すぎた。眩しくて目を細める。
 出窓に腰掛ける人影。逆光の中に見えたのは、金色の髪と、金色の瞳。

「違うね。女の子だ」
 次第に目が慣れてくる。
 どうやら窓の縁に座って本を読んでいたらしい。ページをめくる手を止め、こちらを窺っている。少し目つきの鋭い、線の細い青年だった。
 改めて見るその人は、金の髪も目もしていなかった。目の錯覚だったのだろうか。
 
「あ…あの」
 私は言葉を返すことができなかった。まるで借りてきた猫のように萎縮してしまう。勝手に入ったことを怒られるだろうかと。
 しかし彼は、静かに尋ねるばかり。
「見たことのない子だね。誰かな」
「……リラ」
 私は一瞬迷ってから、本当の名前を名乗ることにした。
 きっと、《アリス》と名乗ってしまえば全ては早く片付いただろう。けれど、それを口にするのは、覚悟のない私には荷が重過ぎる。

「ふぅん?」
 彼は頷くだけ頷いて、また手元に視線を戻した。それから本を閉じ、つまらなさそうに床に下りる。
 心臓の音がうるさかった。同時に、やっと人に出会えた事には安堵を憶えていた。この城の人なら帰り道も分かるかもしれない。

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「つまりは、幼馴染みの『お兄さん』なのね?」

 その日も私と紫は、甘い香りに包まれながら時間を過ごしていた。
「元、みたいなもんだけどね」
「細かいことはどうでもいいの。とにかく、美乃の知り合いだっていうのはアタシにとって凄く心強い」

 結局私達は、ほぼ毎日のようにソレイユに通うのが日課になっていた。
 飲み物のみの注文も大丈夫なのに、ついうっかり、プチガトーまで頼んでしまう。タルト・フリュイをつつく紫の横で、私はフォンダン・ショコラを口に運ぶ。

「にしても。美味しいわよねぇ、このケーキ。桐島さんって腕がいいんだ」
 お互いの皿を、一口ちょうだいなどと言いながら食べ比べる。さっくりとしたタルトの上に、カスタードクリーム。彩る真紅の苺とクランベリー。
「問題は体型維持だね」
 いくら甘さ控えめ・カロリー控えめと書かれていても、これじゃきっと効果は無い。
「アタシは大丈夫よ。太りにくい体質だもん」
「えー。ずっるいなぁ」
「美乃は辛抱強く、筋トレでもしてなさいって」
 そういえば、彼女がカロリーに悩まされているのを、出逢ってから一度も見たことがない。どういうことかと思えば。太らないなんて、うらやましいことこの上ない。

 でもさ、と会話を続けようとすると紫は、あ、と声を洩らして私の背後に視線を吸い寄せられていた。
 余所行きの笑顔が誰に向けられているのかは、振り返らずにも分かった。けれど、私もつられて後ろを振り向く。

「いらっしゃい。美乃ちゃん、紫ちゃん」
 そこにはやはり、彼の爽やかな微笑。

「こんにちは、桐島さん。おじゃましてます」
「今日も来てくれたんだね。いつもありがとう」
 紫に合わせて、ぺこりと頭を下げる。

 そこから先は、心を弾ませた紫が朔也兄さんと楽しげに喋るのを黙って見ていた。
 美味しいです、とか、これはどうやって作っているんですか?とか。そんな彼女に、ひとつひとつ丁寧に答えるパティシエ。
 楽しそうな紫を見て、安心する。
 実際のところ、朔也兄さんに用事があるのは紫だから。
 私は、恋する彼女のただの付き添い。

 の、はずなのに。

 なんとなく、胸の奥がもやもやするのは何故だろう?
 


「今日も朔也くんのお店に行くの?」

 四月も終盤の、土曜日の午後。
 玄関で靴を履いているとき、そう母親に声をかけられて我に返った。
「あ、うん」
 このところ、紫がバイトでいけない日も、私はソレイユに通っていた。ただの付き添いなのだから、ひとりででも行く必要なんてない。ぼうっとする頭を幾度か振って、母を振り返る。
「じゃあお土産に、オペラとパリジェンヌ買ってきてよ」
 前払い、と手を出すと、千円だけ渡された。
 足りない。足りなかったら言いなさい。あとで払うから。
 言い負けて、しぶしぶ千円だけ財布に入れ家を後にした。


 美乃が出て行った後、彼女の母・美紀は投函ポストの中身を確認した。
 新聞の投げ込みチラシに雑ざって、ひらりと封筒が足元に落ちる。
 それを拾い上げて、何気なく送り主を確認する。
「あれ。桐島さんから何か来てる……あら、朔也くん」
 
 

 静かにクラシックのかかる店内で、苺の綺麗なフレジエを前に、ぼんやりと時を過ごす。
 
 どうして私、ここにひとりで来てるんだろう。
 プチガトーが美味しいから? 居心地の良い空間だから? それもあると思う。
 けれど一番の理由は、他にある。
 紫と二人で座る指定席。無意識のうちに、目が厨房のドアに吸い寄せられる。

 ああ、いけない。
 
 忘れていた気持ちが、朔也兄さんに再会したことで掘り起こされていた。
 それを今は、はっきり自覚している。
 

 朔也兄さんを好きなのは、紫なのに。
 
 麗らかな午後の陽気に、だんだんと目蓋が重くなる。
 

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 私が呆然としているうちに、紫は席を立った。
 どうしようか迷った挙句、仕方なく彼女の後を追う。

「すみません。このフィナンシェ、エラブルとショコラ3つずつ、持ち帰りでっ」
 彼がショーケースに並べている間を見計らって声をかける。
「かしこまりました」
 桐島朔也は顔を上げ、にこやかに応対する。二種類のフィナンシェをテイクアウト用に包みながら、オーダーした紫の後ろ、控えめに立つ私に目を留めた。
 そして、驚いたように話しかけてきた。
 
「あれ、もしかして…美乃ちゃん?」
 
 私は困って、少しだけ後ずさった。けれど、目は離せなかった。
 更に驚いたのは紫だったろう。振り返って、私と桐島朔也とを見比べる。
「朔也、兄さん…」
 
 やっぱり。
 間違いなかった。あの、朔也兄さんだ。見間違えるはずがない。
 
「やっぱりそうだ。天城美乃ちゃん」
 朔也兄さんは、私が『知っている美乃』だと確認すると、途端に人懐こい笑みを浮かべた。何年も前の、高校生だった彼の面影がそこにあった。
「どうして?だって、東京の製菓専門学校を出た後は、向こうで働いていたんでしょう?」

 ああそうか、製菓専門学校。今の今まで、その意味を理解していなかった。
 朔也兄さんはパティシェになるために上京したんだ。

 
「つい先週戻ってきたんだ。これからはここが僕の職場」
 ふと気づくと、紫がこちらに目で合図を送っている。
 なに?どうして知っているの?知り合い?と、言葉を交わさなくとも紫が何を言いたいのか分かった。
 そんな二人のやりとりをよそに、朔也兄さんはお喋りを続ける。
「それにしても驚いたな。そうか…もう高校生なんだね。綺麗になっていて分からなかったよ」
 なんとなく照れくさくて、ふと顔をそらす。その一瞬を、紫は見逃さなかった。振り向いて朔也兄さんの目を捉え、にこりと微笑む。
 こんにちは初めまして、と控えめな自己主張。

「美乃ちゃんのお友達?」
「はい!谷竹紫です」
 笑顔でしっかり自己紹介までしてしまう紫。さすが、私とは比べ物にならない程の場数を踏んでいるだけはある。

 結局私もフィナンシェを買って、その日は『ソレイユ』を後にした。
「またいつでもおいで」
 会計の後。店の外まで見送ってくれた朔也兄さんに手を振って別れる。
 そして、紫と二人駅前に向かって歩き出した。
 
 

「どーいうこと?」

 彼が見えなくなった途端、紫が私の腕を掴んだ。ぐらぐらと揺すりながら、事のあらましを詰問する。
「だだだ、だから、ごめんって」
 言いながら、どうして謝ってるのか分からなくなる。
「というか、顔見るまで知らなかったし」
 そう、黙っていた訳ではないのだ。実際のところ、私も驚いたのだから。なんという名前の人なのか、先に聞いておけば話は別だったのかもしれない。
「まぁ、そうよねぇ。そんな感じだったわよね」
 すると紫も平静を取り戻したらしく、ぎっちり握っていた腕は放してくれた。それから、改めて私の手を握る。

「紹、介。してよね」
 彼女の澄んだ瞳の奥には、冗談でも嫌だとは言えない何かが漂っていた。
 
 
「え?朔也くんが?」
 家に帰ってから、私は母親に尋ねてみることにした。ご近所付き合いの手前、母なら先に知っていたかもしれないから。
 しかし彼女も、驚いたように目を瞬かせるだけ。
「うんそうなの。駅前近くのね、『ソレイユ』ってお店で働いてるの。お母さん何か聞いてない?」
「初耳よ………あ、待って」
 母はフィナンシェを持ったまま、じっと天井を見つめた。
 それから数秒かけて、やっと首を縦に振る。

「そういえば、聞いてたかも」

 信じられない。またこんな大事なことを忘れていたらしい。
 物忘れは母の特権だ。
 


 バイトで疲れた体を引きずり、部屋に戻った。

 どさりとベッドに倒れこんで、夕方のことを思い出す。
 昼間のうち太陽に晒していた布団は、春の匂いがした。
 
「そっか…戻って来てたんだ」

 何年ぶりかな。私がまだ小学生の頃だから、6、7年くらいかな。
昔よりずっと大人びた笑顔が、脳裏に浮かぶ。相変わらず肌は白かったけれど、腕は少し逞しくなっていた気がする。

「体力使うお仕事なんだろうなぁ…」

 私の初恋の人。憧れの人。尊敬するお兄さん。

 小さい頃はよく遊んでもらって、彼が高校卒業後、東京に行ってしまうまでは勉強だって教わった。
 美乃ちゃん。そう、呼んでくれた。私の事、憶えていてくれたんだ。
『綺麗になったね』
 そう言って、懐かしそうに嬉しそうに、微笑んでくれた。


 あぁ…やっぱり格好良いな。
 横になったまま、私はゆっくりと目を閉じた。

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