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むせ返るような芳香、甘い蜜。蝶のような優雅さで。 そのカラダに鋭い棘を隠して。
はじめに

ようこそ、偽アカシアへ。
こちらは私、朝斗の今までの作品展示室となっております。

過去作品から随時追加予定です。
同じものを掲載していますが、若干の推敲をしている場合もあります。
詳しくは『はじめに』をご一読ください。
2008.5.6 Asato.S
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 それから数刻の後、祠を片付けて二人は夏端家邸宅へと向かった。
 屋敷に蔓延していた眷属も平和的且つ合法的にお帰り頂いた。御神体、『刀』の切れ端は新しく布を丁寧に巻き直し、翠仙がしたためた符札と共に祠に納めた。
 奉るということは、こういうことである。

 手際良く全てを終わらせた二人を、感心と猜疑が混じった目で見つめる。
 けれど夏端家の者達は、確かに家の中が清められた気配を感じていた。足音も障子の影も、異形の列が跋扈する夢さえももう見ることはないのだと、漠然と理解していた。

「以上で、私共の仕事は終わりです。あとは何年かに一度、あの祠の手入れを怠らなければ悪いことは起こらないでしょう」
 厳粛に、常葉は頭を下げた。その後ろには相変わらず影に隠れるように少女が潜んでいたが、夏端はもう何も奇妙に思うことはなかった。そろそろ飽き始めているらしい横顔も、今では神々しく、また微笑ましく見える。

「ありがとうございました」

 頭を垂れる。瞳を潤ませながら感謝の意を唱える母と妻の姿に、夏端はこの上ない幸福と安堵を憶えた。
 こんなにも早く解放されるなら、何故もっと早く彼らを頼らなかったのか。否、今となっては変わらぬ話だ。ただ我が家に戻ってきた平穏を噛み締めながら、その真っ白な後姿を見送った。

 
 彼が再び薊堂を訪れたのは、二人が夏端家を治めた一週間後のことである。
「お陰様で妙な事も起こらなくなりました。祠も毎年掃除をするように取り決めました」
 前と同じように二階の洋室に通され、よく冷えた麦茶を勧められながら礼を述べる。少女は眠りこそしていなかったが、やはり長いソファの上で寝そべっていた。
「お役に立てたようで何よりです」
 常葉が心から喜ばしげに微笑む。値段があまりに良心的だったため少々不安に思っていたが、どうやら正しいらしい。夏端は思い出したように、携えてきた袋を常葉に差し出した。

「そうだ、これ」
 テーブルの上に揚げられた白い紙袋。常葉は一瞬だけ怪訝な顔をして、勧められるままにそれを受け取る。取り出してみると、更に紙で包まれた箱が入っていた。

「あの、この油揚げをお嬢ちゃんに」
 その言葉に、常葉が驚嘆の表情を浮かべる。
「戴いても宜しいんですか」
「ええ。ウチは代々にがり屋なもので」

 言い訳染みた言葉ではあったが、夏端の家が豆富屋であることは事実だった。それにやはり、狐には油揚げが良いと考えたのだ。ちらりと青年の後ろに目をやると、少女もまた首をもたげてこちらを見ていた。
 それから幾度と礼を述べる常葉に暇を告げ、夏端は薊堂を後にした。

「またお困りのことがあれば、どうぞ薊堂へ」
 深く下げられた頭に会釈を返す。きっとここに来ることはもうないのだろう。そう思うと嬉しくもあり、少し淋しくもあった。
 
 

 夏端が扉を出て行ったのを見送って、常葉はソファの上の少女を振り返った。
「翠仙、油揚げを貰ったよ。どうしようか」
 何やらそわそわと落ち着きを欠いた動向。いつもより喜色の強い微笑みに翠仙は溜め息を吐く。
「どうしようも何も」
 暫く不満げにその様子を見ていたが、やがて目を逸らして呆れた顔。それから面倒臭そうに彼の名前を呼んだ。

「…常葉」
「なにかな?」
「しっぽ出てる」

 うきうきとした言葉を断ち切るように。常葉はとっさに自らの尻を隠す仕草をして、まるで犬が自分のそれを追いかけるようにくるりと体を回した。
「嘘よ。冗談」
 視界の端でそれを追いながら、翠仙は益々呆れたように肘掛に頬杖をついた。
 

 時刻は丁度お八つ時。
 結局、煮浸しにした油揚げを全部常葉にやって、少女は静かに麦茶で喉を潤していた。
 こうも至福そうに食べる姿を見ると、油揚げはそんなにまで美味しいものだったかと錯覚する。
「ほんとに…人間の真似、上手いよねぇ」
 滅多に座らない執務机に向かい、薊堂の主人・浅見翠仙は感心したように言葉を洩らした。
 それに何を思ったか、常葉は得意げに胸を張る。

「まぁまぁ。それもこれも妖のなせる業だよ」

 そう言って悪戯っぽく片目を瞑ってみせるが、嬉しそうに油揚げを頬張る後では到底格好もつかないと、少女は重ねて思うのだった。
完.

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