ようこそ、偽アカシアへ。
こちらは私、朝斗の今までの作品展示室となっております。
過去作品から随時追加予定です。
同じものを掲載していますが、若干の推敲をしている場合もあります。
詳しくは『はじめに』をご一読ください。
「な…何を、ですか…?」
思わず敬語で聞き返す。
ワンピースの少女はハトを撫でながら、さも当たり前そうに言った。
「決まってるじゃない。空の破片よ」
決まってるって何?
この子と初対面のはずだし、だいいち…何の破片って言った?
空? それは何かの比喩表現でしょうか。
「知りません…けど」
仕方なく答える。けれど、少女はそれくらいでは引き下がってはくれなかった。
「そんなはずないわ。だって現にこうして鳥がさえずってるじゃない」
もう一度白いハトが私を見て鳴いた。
「鳥は空に向かって鳴くのよ。間違うはずないわ」
変な理屈だけど、彼女には絶対的確信があるようだった。
『帰り道に執拗に尋ねてくる人物』。あぁ、なんかこれ聞いたことあるなぁ、と思ったら。
昼間に智美達が言ってた『ナントカの男』に似てる。
あれ? じゃあもしかして…
「もしかして、空の破片って…パズルのピースのこと?」
少女はびしりと私に人差し指を向けた。
あ、人を指差しちゃいけないんだぞ。
「それよ。じゃ、持ってるわね? 拾ったわね?」
少女の態度に多少面食らいつつも、事実だったので、私は言われるままに頷いた。
まさか、昼間のあれが本当の話だったなんて。
でも、おかしいな。昼間のは『パズルの男』だったけれど、目の前にいるのはどう見ても少女。どこかで話がねじれたのかな?
少女は、私に向けていた指を開いて、手のひらを提示した。
「返して」
真っ白な手が差し出される。
多分、話の流れからいってパズルのことだと思うけど。
「大事なものなんですか?」
今度は少女が頷く番だった。
「当たり前でしょ。あれがないと困るの、世界中の誰もが」
随分大袈裟な話だ。それくらい大切な思い出の品か何かという意味だろうか。
まぁ、あのピースは私には必要ないものだし、(私だけの空を失うのは少し残念だけど、)そんなに大切なものなら尚更返さなければいけない。
「でも」 私は口を開いて弁解する。
「今は持ってないの。家に置いてあるわ」
「…そう」
少女は残念そうにしゅんとした。気が強そうだけど、こうして改めて見ると可愛い子だった。
急激に可哀想になった。
「あ、だ、だから今から家に行って……」
「だったら」
落ち込んでいたはずの彼女が力強く顔をあげた。私の言葉を遮って、
「3日後の同じ時間にもう一度来るわ。その時に持って来て」
…可哀想だと思ったのに。
私は急に気落ちした。心の中で溜め息を吐く。
「分かった」
ふいに風が吹いた。彼女から目を放したのは、肩を落としたその一瞬の間だった。
なのに。
「ところであなたは…あれ?」
せめて名前くらい聞こうとしたその時。
ワンピースの少女は、もう跡形もなくその場所から消えていた。
それから、ひと月が経った。
雲ひとつない夜空に、星と丸い月が輝いている。
私は思い立って、あの入り江に足を運んだ。
やはり彼女は、月の影の中にいた。
「こんばんは」
「こんばんは」
「また、演奏に来たのですね」
「ええ。それから、あなたに会いに」
そうしてヴァイオリンを弾いた。
海の女神は、私の演奏に合わせて歌を歌った。ヴァイオリンに彼女の澄んだ声は良く合った。今までに聴いたことのない、美しい二重奏だった。
それから私たちは、満月になる度、入り江で二人だけの演奏会を開いた。ひとつきの内にたとえ嫌なことがあっても、天満月の夜が来れば心が洗われた。
恋を、していたのかもしれない。
あの女神に。
私の演奏を受け入れてくれた、海の歌姫に。
「海を渡ることになりました」
毎月の演奏会を催すようになって、10度目の夜。
私は弦を引く手を止めて、そう口にした。
「海の向こうへ。音楽の街でヴァイオリンの修行をするのです」
「そうですか」
彼女は淋しげな表情を滲ませた。心が、痛んだ。
「もっと、貴方のヴァイオリンを聴きたかった」
そう言って、海の向こうを眺める彼女。もしかしたら、私の行く先を探しているのかもしれない。
「まだ」
堪らず声をかける。彼女が、私を振り返った。
「まだ、名前を聞いていませんでしたね。私は、カクタス。あなたのお名前は? 海の女神」
「マロウと申します。この入り江に住む、海の住人です」
そうして私達は、初めてお互いの名前を呼んだ。
波の音だけが、静かに響いた。
「また会いましょう、マロウ」
「ええ、カクタス。…きっと」
また会う約束をしたのも、初めてだった。今度ばかりは、約束をしなければ会えなそうだったから。
けれどもう。
逢う事は叶わないと、心のどこかで理解していた。
次の日の夜。最後の船で私は海に出た。
波の合間に、朧げに、歌声が聞えた。
それは私が海辺で弾いたあの曲だった。
満月の夜に奏でた、女神に捧ぐセレナーデ。