むせ返るような芳香、甘い蜜。蝶のような優雅さで。 そのカラダに鋭い棘を隠して。
はじめに
ようこそ、偽アカシアへ。
こちらは私、朝斗の今までの作品展示室となっております。
過去作品から随時追加予定です。
同じものを掲載していますが、若干の推敲をしている場合もあります。
詳しくは『はじめに』をご一読ください。
2008.5.6 Asato.S
時計が進んでいない。
そう気付いたのはつい先刻だった。
学校を後にしたのは4時。あれから1時間は経っているはずなのに、時計はまだ4時過ぎ。壊れたのかと疑ったけれど、どうも違うらしい。
そしてもう一つ。というか、こっちは気がつかないほうがおかしい。
破片が大きくなっている。
階段を昇れば昇るほど。
初めはどこにでもあるピースのサイズだったのに、定期入れと同じサイズになり、顔が隠れるほどになり、ついには部屋のドアよりも大きくなってしまった。
「空に近づいているせいよ」空の司者は答えた。
「穴の大きさに合わなければ元通りにはならないでしょう」
それでも、パズルのピースは羽のように軽い。重さだけは変わらなかった。おかげで、大きさの割には片手で持っていられた。
「まだ着かないの?」
時間的に距離的にも、随分昇った気がする。もう雲の上に来たらしく、見渡す限り真っ白い雲。
「もう少しよ」
今度は上を見る。どこまでも白一色。それ以外は何もない。
何も…あれ?
目を凝らすと、上空に何かがポツンとあった。それは太陽や飛行機ではなさそうだった。平たくて大きな何かが雲の上にそびえ立っている。
更に空を昇ると、段々近づいてきた。どうやら私達はあそこを目指しているらしい。
辿り着いてみると、それは門だった。
人工物風の頑丈そうな門。でも、もう不思議とすら思わない。だからその側に人が立っていて手を振っていても、驚きもしなかった。どうやら男の人らしい。見た目は二十代中頃くらいの。白雲の上、碧の髪と瞳が際立っていた。
「やあ、カナリア。お勤めご苦労様。今日も可愛いね」
「…いい加減にして」
青年はカナリアに微笑みかけた。彼女は珍しく、拗ねたように顔を背ける。少し困ったようにも見えるその顔は心なしか赤かった。
「誰?」
「空の門番よ。お喋りでうるさいの」
それから私をその門番に引き合わせる。
そこあるのは『門』だけのようだった。入り口だけで、建物も何もない。 空の上だから『何もない』のが普通だと思うけど。
「破片の持ち主を連れてきたわ」
青年は私にも人懐こい笑顔を向けた。門番という割には怖くも厳しくもなさそうだった。握手を求められて手を握る。
「初めまして、俺はジェイド。キミの国の呼び方だとカワセミだね」
「カワセミ? 翡翠じゃなくて?」
思わず聞き返した。Jadeなら英語で『ヒスイ』のはずだ。
「元々翡翠というのはカワセミのことなんだよ。翡翠色ならカワセミの羽の色」
そう言われれば確かに、彼は綺麗な翡翠色の髪をしていた。瞳も同じ翡翠色。
「いいから早く通して頂戴。いつまでもあなたと喋っていたくないの」
カナリアはいつにも増して強気口調だった。ジェイドはそんな彼女を見てクスリと微笑する。
「はいはい。では、鳥をこちらへ」
サクラが青年の腕に止まった。次に彼は振り返って、
「所有者の…キミの名前を聞いても良い?」
「暮咲結衣です」
「クレサキユイ…じゃあもしかして、彼女に『サキ』って呼ばれなかった?」
「え? どうしてそれを…」
「ジェイドっ!!」
突然カナリアが会話を遮った。それ以上喋るな、と言いたそうな瞳で。ジェイドはまたもや面白そうに微笑む。
彼の腕に留まるサクラが、澄んだ声で鳴いた。それが空一体に響いて、大きな門を揺るがせた。
一拍置いて、門の向こう側から同じ鳴き声が返ってきた。途端に門番の腕を離れ、門の向こうへ。あっという間に姿が見えなくなってしまった。
「声門一致。空の司者カナリアと、破片の所有者ユイの通行を許可します」
門が音もなく開き始めた。見た目は頑丈そうだけれど、雲で出来ているのか、重さは感じられない。
「ありがとうございます」
頭を下げると、彼は私をじっと見つめた。そして髪に視線を注ぐ。
「綺麗な黒だね。深い夜よりも艶やかだ。ちょっと触らせてくれないかな」
「え、え…?」
面食らっていると、横からカナリアが私の腕を引っ張って、門番の手を回避した。
「行くわよ、サキ!」
ジェイドには目も合わせないで門をくぐった。ふり向くと青年が手を振っていたので、とりあえず振り返しておいた。
「…どうしたの?」
「別に、どうもしないないわ」
「じゃあ、あのジェイドっていうひとが嫌いなの?」
彼女は一瞬だけ遠くの青年に目をやって、何かを必死に考えていた。
「…キライよ」
そう答えるのに、ゆうに10秒はかかった。
そう気付いたのはつい先刻だった。
学校を後にしたのは4時。あれから1時間は経っているはずなのに、時計はまだ4時過ぎ。壊れたのかと疑ったけれど、どうも違うらしい。
そしてもう一つ。というか、こっちは気がつかないほうがおかしい。
破片が大きくなっている。
階段を昇れば昇るほど。
初めはどこにでもあるピースのサイズだったのに、定期入れと同じサイズになり、顔が隠れるほどになり、ついには部屋のドアよりも大きくなってしまった。
「空に近づいているせいよ」空の司者は答えた。
「穴の大きさに合わなければ元通りにはならないでしょう」
それでも、パズルのピースは羽のように軽い。重さだけは変わらなかった。おかげで、大きさの割には片手で持っていられた。
「まだ着かないの?」
時間的に距離的にも、随分昇った気がする。もう雲の上に来たらしく、見渡す限り真っ白い雲。
「もう少しよ」
今度は上を見る。どこまでも白一色。それ以外は何もない。
何も…あれ?
目を凝らすと、上空に何かがポツンとあった。それは太陽や飛行機ではなさそうだった。平たくて大きな何かが雲の上にそびえ立っている。
更に空を昇ると、段々近づいてきた。どうやら私達はあそこを目指しているらしい。
辿り着いてみると、それは門だった。
人工物風の頑丈そうな門。でも、もう不思議とすら思わない。だからその側に人が立っていて手を振っていても、驚きもしなかった。どうやら男の人らしい。見た目は二十代中頃くらいの。白雲の上、碧の髪と瞳が際立っていた。
「やあ、カナリア。お勤めご苦労様。今日も可愛いね」
「…いい加減にして」
青年はカナリアに微笑みかけた。彼女は珍しく、拗ねたように顔を背ける。少し困ったようにも見えるその顔は心なしか赤かった。
「誰?」
「空の門番よ。お喋りでうるさいの」
それから私をその門番に引き合わせる。
そこあるのは『門』だけのようだった。入り口だけで、建物も何もない。 空の上だから『何もない』のが普通だと思うけど。
「破片の持ち主を連れてきたわ」
青年は私にも人懐こい笑顔を向けた。門番という割には怖くも厳しくもなさそうだった。握手を求められて手を握る。
「初めまして、俺はジェイド。キミの国の呼び方だとカワセミだね」
「カワセミ? 翡翠じゃなくて?」
思わず聞き返した。Jadeなら英語で『ヒスイ』のはずだ。
「元々翡翠というのはカワセミのことなんだよ。翡翠色ならカワセミの羽の色」
そう言われれば確かに、彼は綺麗な翡翠色の髪をしていた。瞳も同じ翡翠色。
「いいから早く通して頂戴。いつまでもあなたと喋っていたくないの」
カナリアはいつにも増して強気口調だった。ジェイドはそんな彼女を見てクスリと微笑する。
「はいはい。では、鳥をこちらへ」
サクラが青年の腕に止まった。次に彼は振り返って、
「所有者の…キミの名前を聞いても良い?」
「暮咲結衣です」
「クレサキユイ…じゃあもしかして、彼女に『サキ』って呼ばれなかった?」
「え? どうしてそれを…」
「ジェイドっ!!」
突然カナリアが会話を遮った。それ以上喋るな、と言いたそうな瞳で。ジェイドはまたもや面白そうに微笑む。
彼の腕に留まるサクラが、澄んだ声で鳴いた。それが空一体に響いて、大きな門を揺るがせた。
一拍置いて、門の向こう側から同じ鳴き声が返ってきた。途端に門番の腕を離れ、門の向こうへ。あっという間に姿が見えなくなってしまった。
「声門一致。空の司者カナリアと、破片の所有者ユイの通行を許可します」
門が音もなく開き始めた。見た目は頑丈そうだけれど、雲で出来ているのか、重さは感じられない。
「ありがとうございます」
頭を下げると、彼は私をじっと見つめた。そして髪に視線を注ぐ。
「綺麗な黒だね。深い夜よりも艶やかだ。ちょっと触らせてくれないかな」
「え、え…?」
面食らっていると、横からカナリアが私の腕を引っ張って、門番の手を回避した。
「行くわよ、サキ!」
ジェイドには目も合わせないで門をくぐった。ふり向くと青年が手を振っていたので、とりあえず振り返しておいた。
「…どうしたの?」
「別に、どうもしないないわ」
「じゃあ、あのジェイドっていうひとが嫌いなの?」
彼女は一瞬だけ遠くの青年に目をやって、何かを必死に考えていた。
「…キライよ」
そう答えるのに、ゆうに10秒はかかった。
「ところで、宝探しは終わったのか?」
砂塗れの割には、夕梨亜の手には何もなかった。その代わり、ビニールバッグから勿体つけたように、何かを取り出した。
「勿論。ほらこれ」
砂の上に置かれたのは、程よい感じに塗装の剥がれた、長方形の箱だった。
青色に金の縁取り。蓋には英語の印刷。錆び付いているところを見るに、木製ではなく鉄かアルミ製のようだ。お中元やお土産で、こんな入れ物をよく目にする。
「…クッキーの缶箱?」
夕梨亜は耳元でその缶を振った。何か入っているらしく、がらがらと響いた。
「中で音がするの。開けてみる?」
潮風で錆び付いた缶の蓋は、なかなか思うようにはいかなかった。四苦八苦する彼女から「貸して」と取り上げ、少し力を入れてこじ開ける。勢いで中に入っていたもの…砂がいくらか飛び散った。
期待を込めて覗き込んだ視線の先には、まだ大量の砂と、中に埋もれた親指ほどの巻貝。
「…なんだこれ?」
「多分、ヤドカリの家?」
中身は住んでいなかった。どうやら、誰かが拾った缶に貝殻を入れたらしい。他には砂と絡んだ釣り糸と、波に洗われたマリングラス。どれもが親指大くらいのサイズだった。
「あはは、ちっちゃい!」
ころころと笑う彼女の横で、まったくだよと、つられて笑う。貝もガラスも、目立って大きいものはひとつとしてなかった。
「あ。でも見てよ、ほら」
夕梨亜は缶の中に指を入れると、半透明で綺麗な破片を取り出した。
小さくて脆そうな、実際に脆い淡紅色の。
「桜貝。充分宝物じゃない」
缶を覗くと、まだ所々に同じ色が混じっている。摘み上げた中には、完全に一枚の貝の形を留めているものもあった。どうやら本当に宝箱だ。
いったいどこに持っていたのか。いつの間にか夕梨亜はお宝を保存用の小さなビンに入れ、しっかり蓋を閉めた。
太陽に透かすようにビンを覗き込む。コルクの蓋の下、サクラ貝のカケラ達がカタンとぶつかった。
満足そうに微笑む彼女。さて、と、おもむろに立ち上がって伸びをする。体をはたくとさらさら砂が落ちてくる。
「お土産も出来たところだし。そろそろ帰りましょ」
彼女に習って、温かい砂の上から体を離した。唇を嘗めるとわずかにしょっぱい。空を見上げると陽は西に近付きつつあった。
「そうだな」
缶は蓋を戻して、そのまま砂浜に置いて。
目の前では相変わらず波が行ったり来たりを繰り返していた。
「戻ろうか。また、狭くて丁度良い日常に」
海風が、耳元で何かを囁く。自然と顔が綻んだ。
ああ、幸せか。
そして俺は、ヘッドフォンをカバンに仕舞い込んだ。
砂塗れの割には、夕梨亜の手には何もなかった。その代わり、ビニールバッグから勿体つけたように、何かを取り出した。
「勿論。ほらこれ」
砂の上に置かれたのは、程よい感じに塗装の剥がれた、長方形の箱だった。
青色に金の縁取り。蓋には英語の印刷。錆び付いているところを見るに、木製ではなく鉄かアルミ製のようだ。お中元やお土産で、こんな入れ物をよく目にする。
「…クッキーの缶箱?」
夕梨亜は耳元でその缶を振った。何か入っているらしく、がらがらと響いた。
「中で音がするの。開けてみる?」
潮風で錆び付いた缶の蓋は、なかなか思うようにはいかなかった。四苦八苦する彼女から「貸して」と取り上げ、少し力を入れてこじ開ける。勢いで中に入っていたもの…砂がいくらか飛び散った。
期待を込めて覗き込んだ視線の先には、まだ大量の砂と、中に埋もれた親指ほどの巻貝。
「…なんだこれ?」
「多分、ヤドカリの家?」
中身は住んでいなかった。どうやら、誰かが拾った缶に貝殻を入れたらしい。他には砂と絡んだ釣り糸と、波に洗われたマリングラス。どれもが親指大くらいのサイズだった。
「あはは、ちっちゃい!」
ころころと笑う彼女の横で、まったくだよと、つられて笑う。貝もガラスも、目立って大きいものはひとつとしてなかった。
「あ。でも見てよ、ほら」
夕梨亜は缶の中に指を入れると、半透明で綺麗な破片を取り出した。
小さくて脆そうな、実際に脆い淡紅色の。
「桜貝。充分宝物じゃない」
缶を覗くと、まだ所々に同じ色が混じっている。摘み上げた中には、完全に一枚の貝の形を留めているものもあった。どうやら本当に宝箱だ。
いったいどこに持っていたのか。いつの間にか夕梨亜はお宝を保存用の小さなビンに入れ、しっかり蓋を閉めた。
太陽に透かすようにビンを覗き込む。コルクの蓋の下、サクラ貝のカケラ達がカタンとぶつかった。
満足そうに微笑む彼女。さて、と、おもむろに立ち上がって伸びをする。体をはたくとさらさら砂が落ちてくる。
「お土産も出来たところだし。そろそろ帰りましょ」
彼女に習って、温かい砂の上から体を離した。唇を嘗めるとわずかにしょっぱい。空を見上げると陽は西に近付きつつあった。
「そうだな」
缶は蓋を戻して、そのまま砂浜に置いて。
目の前では相変わらず波が行ったり来たりを繰り返していた。
「戻ろうか。また、狭くて丁度良い日常に」
海風が、耳元で何かを囁く。自然と顔が綻んだ。
ああ、幸せか。
そして俺は、ヘッドフォンをカバンに仕舞い込んだ。
End.
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