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むせ返るような芳香、甘い蜜。蝶のような優雅さで。 そのカラダに鋭い棘を隠して。
はじめに

ようこそ、偽アカシアへ。
こちらは私、朝斗の今までの作品展示室となっております。

過去作品から随時追加予定です。
同じものを掲載していますが、若干の推敲をしている場合もあります。
詳しくは『はじめに』をご一読ください。
2008.5.6 Asato.S
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 常田と幽を見つめる人影。そこに佇むのは、一組の男女。どちらも端整な顔立ちではあったが、その気配が普通とは異なっていた。
 片方は少女。ひらひらのレースがあしらわれた改造制服を身に纏い、もう片方は二十歳前後の青年。カーキ色のブルゾン姿はありふれた大学生風の出で立ちだったが、それに似合わない大きな刀剣を担いでいる。

「魔剣士に、傀儡師…」
 忌々しげに幽が呟く。その声は聞こえたのか否か、にこりと少女が哂う。

「あまり手を煩わせないでね。あたしたちは貴方ひとりのために時間を割いていられるほど暇じゃないの」
「だったら、追いかけてこなければいい」
「違うわ。貴方が逃げなきゃいいのよ」
 幽は常田を後ろに押しやり、二人のほうへ踏み出した。両腕を迎撃に備えて構える。それを見て、剣を背負っていた青年が一歩を引いた。

「俺は双刀遣いだ。簡単に捕まると思わないで」
「いいわ。あたしが『人形遣い』と言われる理由を教えてあげる」

 柔らかに微笑む冷たい眼差し。少女は何もない宙に手を翳した。
 そして、夜空を薙ぐように指を滑らせる。

 耳鳴りがした。直接脳に届くような鋭い波紋。それより一瞬早く幽が駆け出す。
 その中で常田は、歪みを見た。
 

 ぐにゃりと夜風が捩れる。点滅していた街の光が掻き消えて、その内側から葡萄(えび)色の闇が溢れた。
 幽が何かを察して間合いを取る。数瞬前まで右足があった場所のコンクリートが、ごそりと削ぎ落ちた。それを見て、常田は息を詰める。


「ステルス…光学迷彩…?」

 不可視の何か。おそらく切り口からして、ワイヤーのようなもの。幽はただ彼女を睨み、真白い制服の少女がまた微笑む。

「避けちゃったのね」
「お前が避けさせたんだろう」

 手刀のように構えた右手が空を裂く。今度は少女が軽快にステップを踏んだ。その背後の壁が音を立てて崩れる。
 月が出ていた。 

 お互いが何をしているのか、常田には見ることが出来なかった。ただ、それぞれの斬撃が目に見えるものではないと察知する。幽が両腕を振り抜くと少女の周りが剥ぎ落とされ、少女の指先が孤を描くと、幽の足場が決壊していく。いつの間にか幽だけは腕や顔に細かな傷を負っていた。


「嗚呼、なんて素敵なお茶会かしら。そう思わない?黄泉」
 少女は目に見えて上機嫌だった。まるで鼻歌でも歌い出しそうで、街灯の上に降りて踊るように月光を浴びる。
「少し遊びすぎだぞ、朔」
 無表情だった青年の、眉間に僅かに皺が刻まれる。それに気付いて朔はちらりと舌を出す。それから改めて、幽を見下ろした。
 
「それ、人間よね」

 少女が、幽の後方にいた常田を指差す。常田は顔色ひとつ変えずにそのやり取りを見守っていた。今の時点では、自分には何も出来ることはないのだから。

「巻き込んだの?不用意にも程があるわね。まぁ、貴方はもう『廃棄』だから構わないけど」
「この人は関係ない。お前達は俺を捕まえたいんだろう」
 吐き棄てるように、幽が言う。少女の表情は変わらない。
 そうね。と微笑んだまま、可愛らしく首を傾げる。

「消してしまえば関係ないわね」

 両手を高く掲げた。今度は傍らの青年も共に剣を振り下ろした。
 常田は思わず拳を強く握り直す。

「させない」

 そう聞こえたのが早いか、幽の背中が見えたのが早いか。
 常田の視界が反転したのはほとんど同時だった。


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 何を馬鹿な、常田(トキタ)はそう笑おうとして失敗した。

 少年の真っ直ぐな瞳。やけに空虚な、硝子のようでいて意志のある光。そんなものに見つめられて、話をはぐらかせるほど人間が出来ていなかった。
 それにこの世界は、そんな話を笑い飛ばせるほど簡単ではない。

「生粋の人間じゃない。と言っても義体とか生態端末とか改造人間とかじゃなくてさ。人の身代わりになるために作られたもの。アンドロイド、なんだ」


 『アンドロイド』。表の世界に生きるものでも知っている言葉だった。時折ニュースを賑わせる、いつの間にか現実に浸透してしまった異物。ある組織が作り出したという、知能を持つ兵器。
 幽は常田の動揺をよそに淡々と語り続ける。だからだろうか。その様子はまさに人とは異なるもののような気がした。白い肌も感情起伏の少ない声も表情も、精巧な作り物のように浮き彫りになる。


「身代わりっていうのは、そのまま。要人の護衛についたり、危ない場所にスパイとして潜り込んだり。万一命を落としてもいいように、組織の足枷にならないために」

 何が正しいか分からない世界で、人ではないと彼は言う。まるで他人事のように。
 常田は真偽の吟味を放置して舌打ちした。追われているのは警察じゃないとは言っていたが、どっかの外事部が聞き耳でも立ててたらどうするんだ。また一本、煙草に火をつけようとしてやめる。取り出したそれを二つに折って灰皿に加えた。


 一通りを話し終えたのか、幽は黙ってしまった。解説も弁明もない。ただ思いに任せて言葉を連ねたらしい。かすかに目を逸らしたのを見て、常田が小さく息を吐いた。

「それで、お前は何を望んでいるんだ。死神に会いたいのか?何か変化を求めているのか」
 まさか。呟いて力なく首を振る。
「引き金を引くのはキルドレだけで充分だよ」
 そう言ってほんの少し笑った。その表情だけは妙に人間らしかった。




 それからどれくらい経っただろう。常田は所要で事務机から離れ、部屋を空けた。彼が席を外したのはほんの数分のことだったろう。携帯電話を上着のポケットに戻しながらドアノブを捻り、違和感に気付いた。

「おい、幽?」

 相変わらず暗い部屋。しかし、静か過ぎる。何がおかしいのだろう。
 そしてすぐ、黒革のソファがもぬけの殻になっていることに気付き、唇を噛んだ。
 
「あいつ…っ」



 
 
 暗い昏い帳の中。足音と気配を殺して一人の少年が道を急ぐ。

 自分は少し、あの場所に長居し過ぎた。詮索しすぎない世話人、奇妙な話を聞かされても否定も受容もしないその思い切った態度に、好感を持ってしまったのがいけなかった。
 否定しないことで彼の存在は認められたようなものだから。
 だから気付くのが遅れた。共有する時間が長ければ長いほど、彼を巻き込む危険性が高まることに。少なくとも今は、彼を『巻き込みたくない』と思うほどには愛惜の情を持っていたのだ。
 しかしその決意も、追いかけてきた大きな掌に握りつぶされる。

「幽!」

 左腕の自由が一瞬途絶える。誰かが自分の腕を掴んだのだと分かり、とっさに振り返った。
 そこにはやはり、苦虫を噛みつぶしたような常田の顔。

「こんな所に居たのか。戻るぞ」
「麻斗…どうして」
 安堵と絶望が同時にやって来る。その腕と共に振り払って、少しだけ緊迫した顔を睨んだ。

「早く帰って。これ以上俺といると厄介事では済まなくなる」
「なに無茶なこと言ってんだ。子どもは大人の言うことを聞いとけ」
 ここに来て食い下がってくれたことに少しだけ感謝して、それから、思い直して彼を拒絶する。早く、彼らが来てしまう前に。
 包帯をしたほうの肩が、少しだけ痛んだ。

「もう俺はいい。随分休んだから機能も回復してる。それに、重要なのは俺じゃなくて、俺の持ってる情報だ」
「だから――」
 苛立ちを覗かせる常田の声音。しかしそれも、また違うものによってかき消されてしまう。


「やっと見つけた」
 それは、喜びに溢れた少女の声。


「居たわね。ナンバー0238」

 彼らが振り向くと、ネオンの残滓の中に二人分の影があった。

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 灰色と青が滲んだ空の下、ゆっくりと道を下っていく。
 人というのはしぶとい。けれどどこか不安定で、こうして迷うことが怖い。
 けれど、彼は違った。
 あの人は『知って』いるのだろう。他人の抱えているものが、無関係なのに見えている。だから彼は鳥を売る。彼自身が迷う必要はなく、どことなく退屈そうに。

「彼に会って、僕はどうだろう?」

 少しだけ心が軽くなった気がする。影響を受けたのかもしれない。こっそり、教えてくれたのかもしれない。それが彼の退屈しのぎでも構わない。利害の一致だ。
 それに約束してくれた。自分の手で掴めないときは、売ってくれると。

 また会えるよ。
 必ず。
 その言葉にまた少し気持ちが楽になり、けれど同時に、なにかが軋んだ気がした。それもすぐに薄らいで分からなくなってしまったけれど。


「…また降る前に、少し急がないと」

 ところで、あの言葉はなんだったんだろう。
 扉が閉ざされて残された、あの言葉の意味は。

 ――早く抜け出せるといいね。

 彼はなんと言っただろう。何を伝えようとしていたのだろう。
 ふと鳥の声を聞いて空を見上げる。雲間に鳥の姿はなかった。

 燦々。目を細める。

 太陽の光が強くて、眩暈がした。
 

 
 
***
 

 どれくらい歩いただろうか。確か目的があって歩いていたはずだったが、考え事をしているうちに忘れてしまった。
 仕方なく、足の進むままに石畳を辿っていく。

「まずいなぁ」

 そのうちに数分前まで蒼天だった空が瞬く間に曇り出して。これは降るな、と思う間もなく冷たいものが頬に当たった。
 やっぱりさっきの店で傘を借りてくればよかったかと思いもしたが、どちらにせよもう遅い。
 ついにザアザアと音を立てるほどの天気になって、僕は慌てて辺りを見渡した。
 
 
 そして見つけたのだ。ショーウインドウのある、小さな店を。
 古めかしい佇まい。漆黒の木枠に金のドアノブ、ドアを挟むように大きな窓が二つ。硝子の中には空っぽの鳥籠。
 軒先で雨宿りをしながらそっと覗いた。骨董屋か何かだろうか、見上げても看板はない。
 僕はまるで吸い寄せられるようにして、その扉に手をかけていた。
 
 カラン、カラン。
 ベルの音が室内に木霊する。
 
 裏通りらしく比較的小さな店だった。
 一番奥に木のカウンターがあって、そこに一人の青年が佇んでいた。
 
「あの…雨宿りさせてもらっていいですか」
「ええ、勿論どうぞ」

 店主はその場から動くことなく、僕に声をかけた。僕は周りを眺めながら数歩、更に店の奥へと歩を進める。そしてふと首を傾げた。

 
「……初めてお会いしますか?」

「さて、どうだろうね――」

 そう言うと彼は、複雑そうに笑った。
End...

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