むせ返るような芳香、甘い蜜。蝶のような優雅さで。 そのカラダに鋭い棘を隠して。
はじめに
ようこそ、偽アカシアへ。
こちらは私、朝斗の今までの作品展示室となっております。
過去作品から随時追加予定です。
同じものを掲載していますが、若干の推敲をしている場合もあります。
詳しくは『はじめに』をご一読ください。
2008.5.6 Asato.S
足音が聞こえた気がして顔を上げた。
――きっと、破滅の足音だ。
日の落ちたアーケード街は、また新たな人工光で彩られていた。
人の行き来は絶えない。夜の到来を忘れたように皆、何食わぬ顔をして日常の中の非日常を楽しんでいる。
仕事終わりのOLや学校帰りの学生達。生き急ぐ中でふと呼吸をする、そんなひととき。こうして見ると、この世界の表面のなんと平和なことか。
ふいに、少し前をクレープ片手に歩く少女に目を戻す。
市内の某私立高校の制服。彼女の工夫で襟や袖口にレースがあしらわれた白いセーラー。ウインドウ・ショッピングを楽しむその様子は、この通りを歩く他の人間達と何ら変わらない。
ブランド店のショーウインドウに自分達の影が映る。少女の数歩後ろを無表情でついていく自分の姿、硝子越しに見る少女の横顔。それに一瞬だけ、幻想が過ぎる。
本当は今も表の世界を生きていて、その中で『彼女』と街の中を歩いている。そんな、自分でも見ていることに気がつかないほどの泡夢。
俺が今の俺でなく、目の前にいるのは彼女ではなく。
「さ――」
硝子の中の雑貨に夢中になっている横顔に声をかけようとした。口をつきそうになった名前に思考が停止する。
違う、今のは夢だ。壊れてしまった夢。
俺のたった一人の、最後の家族だった人。
皮肉だと思った。どこか彼女に似た『彼女』と組むことになるなど。
「なにしてるの、黄泉。行くわよ」
我知らず硝子の向こうの自分を見据えていた。
彼女の無邪気な笑顔に、甘く苦いものが込み上げる。
西の空まで暗くなって、身を隠す場所に困ることはなかった。
なんとか逃げ切ったようだが、右の肩の損傷が酷い。あまり遠くまで行くことは出来なそうだ。
それでも、少しでも遠くへ。彼らの心臓の音が聞こえなくなるくらいは遠くへ。
暗い路地裏に息を潜ませながら生体機能の回復を待つ。息は白く淡い。コンクリートが冷たいのかこの指先が冷たいのか、分からなくなっていた。
逃げ切れるとは思っていない。『あれ』が俺にとって…俺達にとってどれだけ重要な情報なのかは、自身が良く理解している。
だからこそ持ち出した。この過ちを終わらせるために。
俺に生命を教えてくれたひと。
創られた俺達の、辿り着く先が同じなのかは分からないけれど。
辿り着く場所があるのかも分からないけれど。
いや、それは『人間』であっても同じか。
何でもいい。誰でもいい。
あの子の居ない場所なら、どこだって同じだ。泡のように消えたって。
ただ――もう少しだけ。
俺にはやらなきゃいけないことがあるから、もう少しだけ。
待ち受けるのが崩壊で、その前に進むことが出来なくても。
全てが消えたとしても。
だから。
「――匿って」
その気配を読み取って、俺は顔を上げた。
胸に耳を押し当てていた。
あんなに遠ざかりたかった音なのに、今はこんなに温かい。
――きっと、破滅の足音だ。
日の落ちたアーケード街は、また新たな人工光で彩られていた。
人の行き来は絶えない。夜の到来を忘れたように皆、何食わぬ顔をして日常の中の非日常を楽しんでいる。
仕事終わりのOLや学校帰りの学生達。生き急ぐ中でふと呼吸をする、そんなひととき。こうして見ると、この世界の表面のなんと平和なことか。
ふいに、少し前をクレープ片手に歩く少女に目を戻す。
市内の某私立高校の制服。彼女の工夫で襟や袖口にレースがあしらわれた白いセーラー。ウインドウ・ショッピングを楽しむその様子は、この通りを歩く他の人間達と何ら変わらない。
ブランド店のショーウインドウに自分達の影が映る。少女の数歩後ろを無表情でついていく自分の姿、硝子越しに見る少女の横顔。それに一瞬だけ、幻想が過ぎる。
本当は今も表の世界を生きていて、その中で『彼女』と街の中を歩いている。そんな、自分でも見ていることに気がつかないほどの泡夢。
俺が今の俺でなく、目の前にいるのは彼女ではなく。
「さ――」
硝子の中の雑貨に夢中になっている横顔に声をかけようとした。口をつきそうになった名前に思考が停止する。
違う、今のは夢だ。壊れてしまった夢。
俺のたった一人の、最後の家族だった人。
皮肉だと思った。どこか彼女に似た『彼女』と組むことになるなど。
「なにしてるの、黄泉。行くわよ」
我知らず硝子の向こうの自分を見据えていた。
彼女の無邪気な笑顔に、甘く苦いものが込み上げる。
西の空まで暗くなって、身を隠す場所に困ることはなかった。
なんとか逃げ切ったようだが、右の肩の損傷が酷い。あまり遠くまで行くことは出来なそうだ。
それでも、少しでも遠くへ。彼らの心臓の音が聞こえなくなるくらいは遠くへ。
暗い路地裏に息を潜ませながら生体機能の回復を待つ。息は白く淡い。コンクリートが冷たいのかこの指先が冷たいのか、分からなくなっていた。
逃げ切れるとは思っていない。『あれ』が俺にとって…俺達にとってどれだけ重要な情報なのかは、自身が良く理解している。
だからこそ持ち出した。この過ちを終わらせるために。
俺に生命を教えてくれたひと。
創られた俺達の、辿り着く先が同じなのかは分からないけれど。
辿り着く場所があるのかも分からないけれど。
いや、それは『人間』であっても同じか。
何でもいい。誰でもいい。
あの子の居ない場所なら、どこだって同じだ。泡のように消えたって。
ただ――もう少しだけ。
俺にはやらなきゃいけないことがあるから、もう少しだけ。
待ち受けるのが崩壊で、その前に進むことが出来なくても。
全てが消えたとしても。
だから。
「――匿って」
その気配を読み取って、俺は顔を上げた。
胸に耳を押し当てていた。
あんなに遠ざかりたかった音なのに、今はこんなに温かい。
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それから幾らもしないうちに、少年の体が泡のように薄れて溶け出した。
常田は目を細める。そういう仕組みなのだ。足がつかないように、生体活動が止まると肉体は消滅する。
彼は少年の最期を見守ってから、ポケットの携帯端末を取り出した。
「――燐音か」
コール音はない。応答を待たずに相手の名を呼ぶ。受話口の向こうからは加工さえされていない女性の声。いや、うら若い少女の声。
「今、終わった」
『貴方にしては随分掛かったのね』
鈴のようにころころと澄んだ、自信の満ち溢れた口調。抑揚なく告げる常田を嘲笑うような気配が窺えた。
「仕方無いさ。俺にも都合ってものがある」
『そう。それじゃあ、メモリを持って《13号棟》へ戻ってきて』
「古本屋にあるそうだ。日が昇らねぇと開かねぇよ」
『だったら、朝一で手に入れてきなさい。ちゃんと一般人を装ってね』
常田は軽く溜め息を吐いた。彼女とは長い付き合いになるが、彼女にかかれば誰であってもただの駒でしかない。利用できるものは利用する、お互いの有益のためには仕方のないことだ。
目を閉じると、アンドロイドの少年の微笑みが浮かんだ。
『お前は、本当に人使いが荒いな』
スピーカーの向こうから呆れたような声がする。燐音はそれに笑いながら、手元では数台のコンピュータを操作する。
「あら、貴方は人間だったかしら。死神でしょう?人の振りをしちゃ駄目」
『それはお前もだろう。死神も混沌魔王には負けるよ』
その言葉の傍らでオイルライターの音が聞こえる。通信相手が頭を掻きながら煙草を咥える仕草を連想し、思わず口角をあげる。
「じゃあ、8時間後に」
彼女の言葉を合図に回線が切れる。同時に、キーボードを叩いていた手が止まった。
何かを熟考する少女。控えていた男性が気遣わしげに声をかける。
「いかがなされましたか、お嬢様」
「いいえ、何もないわ。総て順調よ」
そうして、椅子を離れて窓際に立った。磨かれた硝子には自分の影が映る。綺麗に手入れされた長い髪、陶磁のような肌。フランネルのチュニックに黒色のジーンズ。
「観上、紅茶を。大至急お願いね」
「かしこまりました」
窓の外を見下ろした。そこは高層ビルの最上階で、人間が足を付ける大地は既に遠い。
広がるのは虚ろと静謐。僅かに散らばっているのは輝石だった。東の空が仄かに色付き始めている。
「夜明けが近いわね」
ひとり呟いて、少女は優雅に微笑んだ。
常田は目を細める。そういう仕組みなのだ。足がつかないように、生体活動が止まると肉体は消滅する。
彼は少年の最期を見守ってから、ポケットの携帯端末を取り出した。
「――燐音か」
コール音はない。応答を待たずに相手の名を呼ぶ。受話口の向こうからは加工さえされていない女性の声。いや、うら若い少女の声。
「今、終わった」
『貴方にしては随分掛かったのね』
鈴のようにころころと澄んだ、自信の満ち溢れた口調。抑揚なく告げる常田を嘲笑うような気配が窺えた。
「仕方無いさ。俺にも都合ってものがある」
『そう。それじゃあ、メモリを持って《13号棟》へ戻ってきて』
「古本屋にあるそうだ。日が昇らねぇと開かねぇよ」
『だったら、朝一で手に入れてきなさい。ちゃんと一般人を装ってね』
常田は軽く溜め息を吐いた。彼女とは長い付き合いになるが、彼女にかかれば誰であってもただの駒でしかない。利用できるものは利用する、お互いの有益のためには仕方のないことだ。
目を閉じると、アンドロイドの少年の微笑みが浮かんだ。
『お前は、本当に人使いが荒いな』
スピーカーの向こうから呆れたような声がする。燐音はそれに笑いながら、手元では数台のコンピュータを操作する。
「あら、貴方は人間だったかしら。死神でしょう?人の振りをしちゃ駄目」
『それはお前もだろう。死神も混沌魔王には負けるよ』
その言葉の傍らでオイルライターの音が聞こえる。通信相手が頭を掻きながら煙草を咥える仕草を連想し、思わず口角をあげる。
「じゃあ、8時間後に」
彼女の言葉を合図に回線が切れる。同時に、キーボードを叩いていた手が止まった。
何かを熟考する少女。控えていた男性が気遣わしげに声をかける。
「いかがなされましたか、お嬢様」
「いいえ、何もないわ。総て順調よ」
そうして、椅子を離れて窓際に立った。磨かれた硝子には自分の影が映る。綺麗に手入れされた長い髪、陶磁のような肌。フランネルのチュニックに黒色のジーンズ。
「観上、紅茶を。大至急お願いね」
「かしこまりました」
窓の外を見下ろした。そこは高層ビルの最上階で、人間が足を付ける大地は既に遠い。
広がるのは虚ろと静謐。僅かに散らばっているのは輝石だった。東の空が仄かに色付き始めている。
「夜明けが近いわね」
ひとり呟いて、少女は優雅に微笑んだ。
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冬に包まれる季節。
詳しくはFirstを参照ください。
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