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むせ返るような芳香、甘い蜜。蝶のような優雅さで。 そのカラダに鋭い棘を隠して。
はじめに

ようこそ、偽アカシアへ。
こちらは私、朝斗の今までの作品展示室となっております。

過去作品から随時追加予定です。
同じものを掲載していますが、若干の推敲をしている場合もあります。
詳しくは『はじめに』をご一読ください。
2008.5.6 Asato.S
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 夜はすっかり深くなっている。

 常田が奇妙な少年を拾ってから、かれこれ1、2時間といったところだろうか。
 少年・幽は相変わらずソファで毛布にくるまっている。彼の言葉通り、一睡もしないまま天井を見上げていた。目を閉じればそのうち眠れるだろう、そう提言しようとしてやめた。

 繁華街から外れたビル通りは深夜を回ってしまえば静かなものだった。響くのは時計の音と、時折何かに向かって吼える野良犬の声。部屋の中はデスク上のスタンドライトだけが灯っている。その弱い光が、幽の横顔を照らす。
 
 
「あんたは、死神って信じる」
 沈黙の合間を縫うように幽は言った。常田は暇潰しに開いていた週刊誌を捲りながら返す。

「死神、ねぇ」
 少し驚きつつも、視線は上げないまま片手間で首を捻る。幽の言葉は唐突だった。何を考えていて思い至ったかは知らないが、まるで寝物語の延長のようで、常田は深く考えずに答えた。

「黒の死神かブギーポップか…いずれにせよ、魂を狩るものだろ」
「物語の上ではね」
 含みのある言い方だった。はじめて常田は顔をあげる。

「でも、現実の奴らは違う。あいつらは、魂のない奴を狩る」
「まるで、会ったことのあるような口ぶりだな」
 灰皿の吸殻の山を崩しながら常田が言った。茶化したつもりだったが、少年は笑わなかった。
「まさか。さすがに俺だってないよ」
 軽く首を振る。視線は天井を見つめたままで、何を見ているのかは窺えない。
「ただ、『サーカス』の連中が怖れてたから」
 じっと注いだままの真っ直ぐな瞳。胸の辺りが呼吸に合わせて上下するが、ひどく落ち着いているように見えた。

「魂っていうのは命というより精神、意志だよ。所謂(いわゆる)太陽の下を生きる人間が持たなきゃいけない、真っ当なもの。俺たちにはそれがない。自分達の仕事は公にすればマズイって本当は知ってる。だから『サーカス』の奴らも『美術館』の人間も、『宇宙船』の奴らでさえ、悪魔や死神や魔王を怖れてる」

 突然幽が身体を起こした。その瞳がやっと常田を捉える。幾らかの空白を置いて、静かに静かに口を開く。ジリジリと電球が音を立てる。


「あのさ、麻斗。きっと信じてもらえないけど、聞いてくれる」

「何だ」

 室内に溢れる暗闇。灯火を反射して揺れる目の光。泥を落とした顔だけがやけに青白かった。


「俺、ヒトじゃないんだ」

 その言葉に、常田はただ彼を見つめ返すしか出来なかった。

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「それを諦めるのも追い求めるのも君の自由だ。けれど、それで後悔はしない?」
「……分かりません」
 僕は躊躇い無く首を振って、それから溜め息を吐く。
「先のことは僕にも分からない。どうするのが最善なのか、どうすれば満足できるのか。何を選ぶのが正しくて、求めるものに辿りつけるのか。未来は、見ることができないから」
「未来は、偶然に辿り着く先じゃないよ」

 新しく珈琲を入れてくれながら、彼方さんが言った。
 とっさにその横顔を見る。視線が合った。

「言っただろう?選ぶんだよ。自分で行きたい先へ向かうんだ。行き着くべきして行き着く。自分の求めるものを追いかけるなら、ね」

 彼の口元に浮かぶのは温情か慈愛か。ぐずぐずと悩む僕を励ます、鋭い温かさを隠しているように見えた。

 僕の追い求めてきたもの。
 もしかすると、それを追ってここに迷い込んだのかもしれない。

 追いかけて。近付いているのかすら確かめられないで。
 暗闇でもないから、光すら見つからない。
 灰色に紛れて。そのくせ足元も不確かで。
 ただ知っているのは、前に進まなければいけないという現実。
 

「僕の鳥は、この店にはいないんですよね」

 僕は広くない店内を一通り見渡した。
 そこに羽根を休める、多くの人の希望。視界の端で彼が応える。

「そうだね。今は居ない。もしかしたらいつかやってくるかもしれないけど、その前に梨生自身が見つけるかもしれない」
「じゃあ、もし僕が見つけられなくて、もしこの場所に僕の鳥がやってきたら、彼方さんは譲ってくれますか」

 振り返ると、少し困ったような微笑み。細められた目が見ているのは、僕の心かもしれない。
 僅かな僅かな、僕の心。
 やがて彼方さんは、納得したように頷いた。優しい眼差し。その目蓋がかすかに揺れた。

「それで君が後悔しないなら、喜んで返すよ」

「ありがとう。その言葉だけでずっと心強い」

 僕は弱いから、確かめずにはいられない。
 せめてこの道が正しいかどうかだけでも教えてほしい。
 だから、彼の言葉にひどく慰められて。

 それだけで、全てが救われた様な気がしていたんだ。

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「その人の大切なものだよ。その人間がその時点で持っているものの中から、身代わりに出来るものを貰う。鳥を手に入れるなら犠牲にも出来るギリギリのもの…いや、違うな。犠牲にしてもいい、と思い込んでいるもの、かな」

「その犠牲の中にこそ、大切なものがあるかもしれないのに?」

「そういうことだね」
 言って彼は笑った。少し嘲るような、同情するような笑みだった。

「人間は賢くて愚かだ。悩んだり考えたり騙したり騙されたりしているうちに、どんどん狡猾になる。手段を選ばずに、自分が優位になる結果だけを求める。リスクという言葉を掲げながら、本当はその意味すら理解していない。だから大切なものを危険に晒す。何が大切かなんて、本当は考えなくても分かるのに」

 ふいに僕の中にひとつの疑問が浮かぶ。
 人間が狡猾なら、それを手伝う彼はどうなのだろう。いったいどんな思いで鳥を『売って』いるのだろう。
 それは善意だろうか、悪意だろうか?
 いや、そもそも、そんな感情すら抱いているのか。ただ淡々と、鳥籠を手渡すその姿が思い浮かべる。表情だけは穏やかで、その瞳は氷雪のような冷たさを隠して。
 彼方さんの声が、一層雨の音を遠ざけていく。
 
 
 カチリ。柱時計が思い出したように時を刻む。まるでたった今まで時間が止まっていたように、急に針の音がその存在を主張し始めた。
 それに彼方さんも気がついたのだろうか。固く組んでいた指を解いて、コーヒーカップの縁をするりと撫でた。そして苦笑する。

「少し、複雑な話になってしまったかな」

「いえ。楽しいです。まるで、言葉遊びみたいだ」
 僕はカップに口をつけた。いつの間にか冷めてしまっている。ひとつだけ入れた角砂糖が底の方で濁っていた。

「彼方さんの話を聞いて、少し安心しました。そうですね、誰だって自分の求めているものの姿は見えないんだ」

「梨生も探しているものがある?」
 店主の漆黒の瞳が、じっとこちらを見据える。それは僕の心を窺っているようで。

「はい。もう、ずっとずっと。最近は、自分が何を探しているのかも分からなくなって」

 スプーンで珈琲をかき混ぜながら何気なく答えた。深く考えずに出た言葉は、口を介すると突如実感を生み出した。

「前はもう少し情熱的だった。何が何でも手に入れてやろうと思った。でも今は、叶わないなら諦めて、もっと手近なものを見つけたっていいんじゃないかって」

「それは何?」

「それは……?」

 何故か意識がふわふわとして、とっさに思い出せない。
 まるで夢の中にいるみたいだ。そう過ぎって訂正する。
 けれど、これは夢じゃない。夢ならば夢だと意識しないはずだから。きっと、不安が大きすぎて口に出すことを憚られているだけ。
 言葉に置き換えると、泡のように儚く弾けてしまいそうだから。

「――内緒、です」

 だから僕は笑った。そう。これは内緒なのだ。
 彼方さんは一瞬つられるように微笑んで、目を細める。その瞳の色の本当の意味を、僕は知らなかった。


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詳しくはFirstを参照ください。
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